映画好きの私たち  5/15/19

伊丹に到着した先生から「友人の緑さんは、黒沢監督の”素晴らしき日曜日”に出演しています。」と、彼女の旧姓まで書かれたメールが入って来たのには「先生の映画好きは只事ではない!」と感服してしまった。

口角泡を飛ばすかのごとく二人で話し合った日本映画の名作の数々、中にいくつかの間違いに気づいたと修正までしてあった。


この緑さんも得がたき友であった一人で、彼女から聞いた女優時代の思い出話を先生に話した。

昭和22年、日本映画史上初めてニューフェイスを新東宝が一般から募り、時代は戦後の食糧難。

集まった人々の殆んどは、みどりさん同様お昼に出る弁当が目当てだったと言う。

大勢の中で異彩を放っていたのは、復員服に軍靴の日本人離れをした顔立ちと体格の男性で、のちの三船敏郎だった。

採用され、ロケ現場に行くまでは下駄を履き、撮影が始まると大事な靴に履き替えた話。女優たちは、進駐軍のアメリカ兵と親しくして、化粧品を手に入れていたこと。 一番もてていたのは、高峰秀子だったそう。


緑さんの大親友だったMちゃんは、愛らしい人柄で裕福な家柄の兵隊に見初められ、カリフォルニアの豪邸に住み幸せな結婚生活を送っているが、当時からの口癖は”Oh My God"で、全てはこの一言で片づけ、英語は今でも駄目だと緑さんは笑っていた。

「だから私たち当時の仲間は言うのよ。”Oh My God!"だけの英語で、これだけの金持ちを射止めたのは世界でもMちゃんだけよね。」には、大笑いをした想い出がある。


三船敏郎が80年代の終わりにボストンを訪れた折、緑さんは三船氏と昔を懐かしんだそう。


話が飛んだが、先生の話では、年寄りの瞼の垂れ下がりは視野が狭くなり危険だと言う事で保険が効くと言う。

宝塚の姉が下を向いて本を読んでいると、孫が「寝てるの?起きているの?」と問いかけたそうで「失礼しちゃうわ。」と憤慨していたことを思い出し「我が姉よ。もう心配ないわよ。」と早速電話をしてあげた。

「シミ取りも遠慮なく。」と優しく姪まで気遣ってくれる先生。

あぁ~、私が阪神に住んでいたなら、明日と言わず、今日でも行くのに!


曇り


  体中がウキウキしてくる

  奈良県バンドフェスティバルより   一瞬ピコ太郎かと、思った! 


by arata-tamiko | 2019-05-16 05:50 | 興味ある話


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