最愛の友と永の別れ   7/18/16

何から書き始めたらいいのだろう、、、。
想い出が余りにも多すぎる。

Graceと言う名の敬愛する得難き友人が今朝息を引き取った。

33年前にベルモントの一軒家の二階に住むGrace宅の階下に私が住んだ日から苦楽を共にしてきた。
聡明で知性に溢れ他人への暖かい心と思い遣り、無欲そして不屈の精神と確たる信念を持った女性。
彼女から多くのことを教えられ学んだ。

生涯教育に力を注ぎ、教え子にマット デーモン現NY市長がいる。
シングルマザーとして、幼かった男の子三人を立派に育て上げ、その息子たちが母親を尊敬し大事にする様子は、今の日本ではもう見られなくなった光景だと思う。

6年前に発病した免疫関係の病気のせいで、筋肉力が失われスプーンすら持てない状態となったが、各種の薬で全快かと思われたが、数年後に再発。
薬を替え海外旅行も出来るようになったが、三度目の再発は、どの種類の薬も効かず、特に残りの人生一年は嚥下がより困難となり、水を飲むことさえ息ができないほど咳き込み苦しんだが、6年間一度も愚痴も泣き言すら聞くことはなかった。

一週間ほどの入院の後、ナーシングホームに移り、彼女の容態は息子たちが作成した
「Care Calendar(看病カレンダー)」に寄って、毎日オンラインでGraceの状態を知ることができ、自分の面会時間も記入できる。

三日前の夜に「あの世へ旅立とうとしている母のためホスピスを頼みました。」と書き込みがあり、昨夜仕事が終わった夜の8時近くに訪れた。
他州から泊まり込みで来ている長男が母親の耳元に「Tamikoが来ているよ。」と囁くと、虚ろな目を開き私を見ると手を上げようとする。
差し出した私の手を、自分の胸の上に置いて弱弱しく私の手の甲をたたきながら「Don`t
cry。」と息絶え絶えに何度も私に言い聞かせるように言う声に涙が流れ落ちる。

「Grace言い忘れたことがあるのよ。」
「何が?」
「貴女の言うことを聞いて買ったV会社の投資、$600儲かったのよ。有り難う。半分上げようか?」
「フ、フ、フ。」と、かすかに笑ったGraceは目で長男に合図をすると、彼は母親の口元に耳を寄せる。
顔を離した彼は私に向かって「母が”TamikoはFunnyでしょう。いつも私を笑わせるのよ。”と言っています。」と伝える。
また耳を寄せた息子は顔を上げ「”友達でいてくれて有り難う。”と言っています。」に嗚咽が止まらず、長男も一緒に泣く。

「明日仕事が終わったら来るから、必ず待っていてよ。」と耳元で言うと、軽く頷き立ち去る私に向かって二本の指を唇に当て投げキッスをした。
「母親を笑わせてくれて有り難う。」と礼を言う息子とGraceを後にして部屋を出た。
この4時間後に意識混濁となったそうで、これがGraceとの永の別れとなってしまった。

   猛暑少し落ち着く
最愛の友と永の別れ   7/18/16_d0024276_124522100.jpg

    夫を亡くしたドイツ人の友人、ウスラを慰める昼食を二年ほど前にした。
    強い薬で顔が変貌してしまったGrace(左)
by arata-tamiko | 2016-07-19 21:11


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