産経新聞の反日記事から思い出すこと   8/18/13

70年代の韓国では、自家用車を持つことは、金持ちである象徴だったから、殆どがお抱え運転手を雇っていた。
名が知られた韓国レストランの駐車場では、、自慢げに車をピカピカに磨いたり、運転手同士で雑談をする姿が見られた。
食事が終わり、先に出た7歳の息子が招待者の車のドアノブに手をかけると、貧しい子が触っていると勘違いをした運転手から、頭を殴られたくらい主人の車は大事だった。
自転車やリヤカーで混雑する道路を、主人の威をかりた彼らは、乱暴な運転で事故が多かった。

我が家に働いていたチャン小母さんは、日本生まれの日本育ちで、終戦直後に21歳で韓国に帰ったから、自分を日本人と思っていたふしがあり、いつも本音で話をしてくれるので面白かった。

「轢かれた貧しい人たちは病院に払うお金はどうするの?」と聞いた。

「ありませんがな~奥さん。そやから、こっちの人は、死んだ人間を車の持ち主の金持ちの家に連れて行って、ギャーギャーみんなして騒ぐんですがな。」

「それで、お金が取れるの?」

「取れんかったら、死体を玄関の前に置いて帰るんですよ。韓国人は、きついから日本人のように黙っていますかいな。」

「日本のヤクザだって、そこまでの恐喝はしないわよ。」

「金を取らなあかんとなったら、韓国人は、何でもしますがな。」

8月15日付けで、在韓の産経記者が「多少のことでは驚かないのだが、先日は久々にぎょっとする出来事に遭遇した。」と、書いている記事に、苦笑をしてしまった。
チャン小母さんから聞いた時から三十数年経っても、彼らは頑なに彼らの風習を守っていたのだ。

11日に87歳で元慰安婦の1人が他界したのだが、遺族や僧侶が遺体を乗せた霊柩(れいきゅう)車をソウルの日本大使館前に乗り付け、遺影と位牌(いはい)を前に読経するなど“葬儀”を行い、教師の引率で夏休み中の中高生ら約1300人が集結。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130815/kor13081503140000-n1.htm

自分達が絶対に正しいと思うのは勝手だが、常軌を逸している。

   朝晩の寒さに窓を閉める
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      チャン小母さんや運転手だった金さんと一緒に行った両班(貴族階級)の末裔が住む
      良洞村は思い出深い
by arata-tamiko | 2013-08-18 23:44 | メディアから


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