今日は久しぶりに韓国の友人Pさん御夫婦を訪ねた。
長年蒙古に支配されていた朝鮮の歴史を証明するがごとく、顔立ちだけでなく、80歳過ぎた彼は180センチはある堂々とした体格で日本人とは異なる。
百数十年に建てられた大きく古い豪壮な屋敷に住み、家の前の土地を耕し畑として、丹精して育てた野菜類を、道行く見知らぬ人々に分け与えるのを趣味として生きている。
多種の野菜の育成は趣味の範囲を超えて、人は足を止めて見惚れてしまう。
生憎と奥さんはNYに住む妹さんと出かけたそうで、暇を持て余していた御主人から「話していきなさい。」と、ドアを広く開いてしきりに勧める言葉に甘えて上がり込んだ。
日本語の上手なPさんに「
李完用の直筆はないですか?」と、尋ねると「ありますよ。」と、古い引き出しを軋らせて掛け軸を取りだした。
彼の奥さんは、韓国人が
「売国奴!」として、一番憎悪する日本による韓国併合に大きな働きをした政治家の一人娘の長女。
奥さんがいると、聞きづらいことも今日は留守。
「義母の方は、どんな方でしたか?」と、訊くと「お姫様みたいでしたよ。日本の学習院ですからね。出生証明書には
”貴族”と書かれていました。」
(4年前に亡くなられた彼女を尋ねて話を聴かなかったことが、とても悔やまれる。)
夫婦間では、どうしても意見の食い違いが出るので、李完用や歴史についての話は一切しないそう。
義父は戦前の東大法科卒業。
解放後の韓国の立法に携わり、日本の大企業と交渉の際に弁護士として活躍をした。
明日の暴風雪警報が嘘のような晴天
町が、新しく下水道とガス管を敷くのに、家の前の道路を掘ると地面下に何百メートルに
渡って、この石が敷き詰められていた。水はけを良くするためでもあったそう。
捨てると聞かされたPさんは、「もったいない。」と、一人で家まで運んで石垣を作った。
交通整理をする警察官や道路工事の人たちも、驚きながらも協力をしてくれた。
200年以上昔、ヨーロッパから商品を運んでくる帆掛け船のバランスを保つために
これらの石を船底に重石として使った。
帰途の船は、この地に多い湖から切り取った巨大な氷の塊を船底に積んで重石とし
遠くはインドまで運び商売とした。
(Pさんが前に住むHarvard大学の歴史学者より聞いた話)
見事な筆跡! 李完用の号である一堂が左に見える