ハリケーンの被害をニュースで観た友人達が日本から心配して電話をしてきたが、私の住む町は電気も消えなかった。
来られたばかりのお客様から「怖くないですか?」と、メールがきたので
「小さい頃から大型台風に慣れっこになっている私は、これしきの風雨はなんてことありませんよ。昔は、もっと怖ろしい暴風雨と海潮でしたから。」と返事をだした。
最近はコースが違ってきたそうで、私の田舎も昔のように度々大型台風が直撃することもないようだ。
私の子供の頃は、ラジオから刻々と知らされる台風情報を家族全員で聴きながら、海まで数分の我が家では、父が「満潮に通過するけん危ねなぁ。」と、判断すると本や文具を扱っている我が家は、店の品々を皆で手分けして上に上げていた。
単調な日々の中、警戒警報のサイレンが鳴り響き、消防団員が
「只今豊後水道を通過中」と拡声器でふれ回ると、家中が大騒ぎとなって動き回る様子に興奮がいやでも増してくる。
台風が去ったあと、友達同士で「もうちょっと強かったらなぁ~、学校が休みじゃったのに。」と残念がったりした。
波が打ち寄せるたびに、潮の勢いで土の道路に開いたいくつもの穴から噴水のように潮水が噴きあがるのが面白く、それを見たさに風雨の中を飛び出る私達子供に親は止めもせず、沢山の大人も子供も来ていた。
姉の主人の実家も海辺で、親から「危ないから止めろ。」と注意をされた記憶は一度もないと言う。
朝小雨、夕方大雨と雷
(大野 俊公氏から拝借)
大波を見に行った海岸通り
そして海岸通の岸壁は、跡かたなく消えてしまった。
この昭和29年9月の台風のすさまじさは覚えている。
こうやって見ると、当時は白黒の服装が殆ど。
右上の禿山は水晶山と呼ばれセメントの採掘で現在は
なくなってしまった。