朝鮮戦争   7/21/05

  また今日も昼食に外食をする。Yちゃんのお母さんとお祖母さんが未だベトナム料理を食べた事がないと言うので、チカちゃんも一緒にAllstonのベトナム料理屋に行く。
Yちゃんのお母さんとチカちゃんは高校、大学と同じで、会うのは卒業以来との事で話に花が咲く。
渡り蟹のシーズンなので三人のためにオーダーをした。初めて口にする三人とも「美味しい、美味しい」と言う。

 その後はチカちゃん宅に行き、例の「太極旗を翻して」を彼女に見せる。又もや私は彼女と一緒に泣いてしまい、二人で相手の泣き顔を見ながら照れ笑いをした。
彼女は30歳をチョット過ぎた若さで、朝鮮戦争勃発の原因も様子も全く知らないから時折説明が必要だった。私の歳でも記憶はないが、私の田舎の町はセメントの産出で有名である。私が5歳くらいの時に朝鮮戦争に必要なセメントの積み出しにアメリカ船が沢山寄航していた。私の両親が営む本屋件文房具屋に多くの韓国人の船員が買い物に来ていた。
何語か分らない言葉を話している人たちが沢山の日本の雑誌を買うのが不思議で両親に聞いた事がある。今から思うと、その当時の韓国人達は日本の教育を受けたから日本の雑誌に飢えていたのだろう。そして故郷に残してきた子供を想い出すのか、私はよく彼らからアメリカのチョコレートをもらった。
その当時のチョコレートは欲しくても手に入らない貴重品だから兄姉達に羨ましがられた。
そんな分けで何となく朝鮮戦争と言うと私には身近に感じられる。

 今夜のインターネットのニュースに「美人財務省官僚、一億円ボロもうけ!」と言う見出しが載っているので写真を見る。つい最近も例の”ホリエモン”の広報、乙部綾子がエッセイ集を発売したとかで「美人」と言う見出しが踊る。
財務省の方は写真が小さいのでともかくとして、オトアヤとか称される彼女は週刊誌に得意満面の笑顔がページ一杯アップで載っている。両目が離れていて顎が小さく何かオットセイを思わせる顔立ちである。お世辞にも美人には程遠いと思えるけど、最近は日本の美人の基準が変わったのかしら?

 暑い
by arata-tamiko | 2005-07-22 14:06


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