今回も不思議な出来事があった。
親しくしている韓国人の友人、Hさんから
「助けを借りたくてお電話をさせて頂きました。」と電話があった。
日帝時代に朝鮮で日本教育を受けたHさんは、日本が大好きで何度も訪れている。
偶然に知り合った年配の日本女性とお付き合いが始まり、その方も何度か来られたそうだ。
その日本の友人の息子さんがO大学病院のお医者さん。
今回シカゴの学会に同行し、その後にボストンまで息子さん共々Hさんに会いに来られるとのこと。
Hさんの娘夫婦もドクターなのだが生憎と来月末はフロリダ出張。
「どなたか病院か研究所の御案内は出来ないでしょうか?」と気兼ねをしながら私にお願いをするHさんに「大丈夫ですよ。ご心配せずに任せてください。」と電話を切った。
O大学からの先生はお客様で結構いらっしゃるが個人的にも親しくしている松XX先生に電話をして事情を話した。
聞き終えた松XX先生は「その方の苗字は山XX先生とおっしゃいましたよね?」と聞きなおした。
「そうよ。腎臓が専門ですって。」
「あの~、お名前のほうは?」とおずおずとした口調で聞いてくる。
「何か変?このもの言いは、きっと二人は不仲だったに違いない。どうしょう。」と思った。
「えぇ~と、下の名はXXXさんです。」
「あの~、僕話していませんでしたが父が腎臓のほうで具合が悪くなり一月に急遽戻ったのです。
おいくつくらいの方ですか?」
かなりしつっこく聞いてくるけど、どうしょう、、、と思ったりもした。
「さぁ~、まだ三十歳前後でお若いそうよ。」
「父の担当医の方とピッタリ合うのです。余りないお名前ですし。今調べます。待ってください。」とパソコンで検索しているようす。
「やはりそうでした!父のことで何度かお会いしているのですが、その時はアメリカで研究をしているとだけ言ってボストンとは言わなかったものですから。でもこんな事ってあるんですね~。なにか怖くなってきました。」 と、穏やかな松XX先生が興奮気味に、これがまるで奇跡であるかのように繰り返す。
これに似たことは度々あるので嬉しさで高揚はしたが別に怖さは覚えない。
7年前のお客様の奥様とお話をしていると、彼女のお父様は名古屋の癌センターで十数年前になくなった長兄の担当医だったことが判明したときは驚愕させられた。
日本から駆けつけた私や姉を見た山村先生は「皆様の写真を撮ってあげましょう。」と看護婦さんや他の医者たちに頼むことなく自ずからカメラを手にされた。
兄は私達に向かって
「ほら、僕が尊敬するのが解るでしょう!」と自慢げに言ったのに、その兄にこの事を話してあげられなかったことが残念だった。
燦燦と太陽は出ていても風の冷たさ!
この冷たい雪と空気の中でも水仙は春の訪れを感じて芽を出し始めた