死語となった検便   8/17/09

 日本統治時代は「恨み、屈辱」として、いまだにもって当時の遺物遺跡を取り払う努力をしている韓国ながら、日本のシステムをそのまま継続していることも多々あった。

 スヨンが親から送ってもらっている、いろいろな漢方薬の中に黒い小さな玉がある。
「何か?」と訊けば「子供のころから便秘で、この黒玉はとても効き目がある。」と言うことから、彼女が検便の話をし始めた。

 いや、久しぶりに検便の話を聞き懐かしかった!
日本では既に五十数年前になくなっていると思うが、韓国では日本の学校行事?をそのまま続けていたのだろう。

 スヨンの話し。

「朝出たフレッシュなのを学校に持っていかないといけないけど便秘の私、出ないのよ。」
「兄さんも便秘気味だから、学校に行って友達からマッチ箱に少し分けてもらったりしてね。でもくれる友達が皆回虫もちで毎年学校がくれる虫下しを飲まなければならなかったわ。」

 検便持参の日は教室中が酷い臭気だったそうだが、考えてみると私の時代もプラスティック袋なんてないから同じようなものだったと思う。
その当時は通学途中の田舎道には、人糞を溜めておく”肥えたご”が畑の端に沢山あり、大雨で溢れた道をジャブジャブ歩いていたのだから臭気には慣れていたのかも。
(こんな中で伝染病がよく発生しなかったものだと今思う。昔の子供達は強い。)

 小指の先ほどの便が入ったマッチ箱を紙袋に入れて学校に持って行ったのだろうか?
私も朝、兄姉と分けあった記憶がある。

 スヨンの話では「自分の便を小分けにして売る生徒がいてね、マッチ箱つきなら、もっと高かったのよ。」と言うから、やはり韓国人は逞しい。

   この蒸し暑さ、野外のどこかにいるスカンクが夜になるとオナラをするのは困ったものだ
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     アジサイ科の花  白色もあるが、これは青い色をしている
by arata-tamiko | 2009-08-18 23:10 | 興味ある話


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