<   2016年 10月 ( 2 )   > この月の画像一覧

真の親日家たち   10/15/16

日本のニュースを観る限りでは、韓国人の大半が反日であるように思えてしまうが、植民地時代に日本の教育を受けた80代の私の友人たちは回顧趣味ではなく、日本の文化を心から愛し尊敬している。
こちらに住む韓国女性のHさんから紹介をされた亡き夫の中学時代からの一番の親友であった韓国に住むR氏を十年前に紹介をされ、未だ会う機会もないままメールのやり取りをしている。

脳梗塞で寝たきりとなり透析も受けなければならない妻を8年間一人で看病され、一年前に逝かれたR氏の落胆は大きく、しばしば妻を想う俳句を詠み送ってくれる。
先日「歳を重ねた夫婦の川柳」の中から、いくつか抜擢をして送ると、戴いた返事は、14歳までの日本語教育とは信じられない日本語での情景描写、言い回し、今の日本人でもなかなか書けない文章力と思う。

夫婦の川柳、有難うございました。
「先逝くな。。。」で腹を抱えました。
しかし「花火の夜。。。」で胸がじいんと鳴りました。
と言うのは私なりのわけがあるからです。

話は今から60年以上の昔にさかのぼります。
当時、国内の放送局電波の出力が弱かったせいか、日が暮れると日本のNHKや朝日放送ABCなどの放送がよく聞こえました。
大学生であった私は、うちの4球ラジオの木箱にかじりつくようにして「二十の扉」、「頓智教室」、「話の泉」などの人気番組を楽しんでいました。

ある年の夏、NHKが京都の大文字焼きを実況放送しました。
加茂川からの中継で東山の中腹に「大」の字の形に並べて積み上げた薪が燃えて、暗い夜の山に大の文字が浮かぶ有様を伝えるアナウンサーの声が震えていました。テレビでなく、ただのラジオで
聞くだけでしたが、あれが見られたらなあとため息をついたのを覚えています。

それから40年の歳月が経って、私がK大学の電子計算所長を務めていた1986の夏、IBMが東京でひらくExecutive Conferenceに招かれました。Conference三日前の8月15日に日本が初めての妻を連れて東京へ飛び、そこから新幹線で京都へ向かいました。
妻に大文字焼きを見せるためでした。
四条大橋、南座の裏にある小さな旅館に泊まりました。

翌16日の日中には斑鳩の法隆寺へ出かけて、国宝の五重の塔や夢殿金堂等を見せました。
百済観音のあまりにもほっそりした姿に妻は何度も首をかしげていました。

午後、京都に帰り夕食をすませて、憧れの「大文字焼き」へと妻と連れたちました。
二条大橋あたりで一番よく見えるそうですが、電車がひどく混んでいましたので、二条を目指して歩き始めました。
ものすごい人混みなのでやっと三条大橋まで歩いたら、薪に点火する8時です。

町の照明が消えました。真っ暗い人混みのなかではぐれまいと、妻の手を握りました。
日本語が話せない妻が暗闇の中で怖かったのでしょう。
しっかりと握り返してきました。やがて、東山の山肌に大きな「大」の字の形の火が浮かび上がりました。

漆黒の闇のなかで鮮やかに大きく燃える大の字は実に神秘そのものでした。
手を握られた妻は何度もため息をついでいました。
日本通の亭主に手を握られながらこの神秘を体験した妻は、若い時分にお盆の次の夜の体験に憧れていた私の気持ちがわかったそうです。

国交断絶の中、日本語を忘れまいと必死に日本のラジオ番組を聴くR氏、夫がどうしてそれほど日本を愛するのかの一環を理解した妻、そして夫婦の情愛がひしひしと伝わってくる。
4歳年下となると、R氏の妻のように日本語は話せない年代となってしまう。
R氏のように、植民地時代の良いことも悪いことも知っている韓国人世代が、どんどんこの世を去ってしまうのは、とても残念。
このRが最近の日本語の乱れを嘆くのに「韓国人に指摘されては、世もお終いですね。」と苦笑い。

   見事な秋晴れが続く
d0024276_0465449.jpg

    この春、近所の庭で二羽の野生の七面鳥を見て驚いたが、今では
    10匹となっているそうで、遂に我が家の裏庭を散策するようになった。
d0024276_0472367.jpg

           どうひいき目に見ても愛らしい鳥ではない。
by arata-tamiko | 2016-10-16 00:53 | 諸々の出来事 | Comments(0)

日本語の乱れを一人嘆く   10/8/16

言葉は世の流れと共に変化をしてくるとは解っていても、1つの言い回しが流行ると総ての日本人が”右に習え”とばかりになってくる現象は実に奇怪。

4年ほど前に、アメリカの食品を見た若い母親が「デッカイー!」とか「ヤパイ!」と発する言葉に、まじまじと相手の顔を見てしまったが、今ではそれが女性の間では一般的となっている。
これほど情緒豊かな日本語を、考えなく破壊している状態に、いけないとは知りながら耐え兼ねて注意をしてしまうこともしばしば

日本語では、数量を表す場合に助数詞が付く。
それが最近では、全て「個」で済まされ、お札を数えた後「はい、30個です。」と渡されたのには「お札は”枚”です。」と言ってしまう。
彼女とは気が合った気安さで、何度か「そんな言葉は盗人や香具師のものだったのよ。女性が使う言葉ではないわ。」と注意をしてしまったが、彼女としては「親でもない人になんで言われなければ。」と心中思っていただろう。

先日の点滴殺人のニュースでNHKの女性アナウンサーが、点滴袋の数量を「個」と表現した。聞き間違いかと、7時のニュースで確かめると間違いなく「個」と言っている。
お客様で親しいドクターに電話をすると「袋だったかな?いや瓶もあるから、瓶だったかな?個とも言ったかな?別の病院では「管(かん)」とも言っていましたね。僕も判らなくなってしまいました。調べておきます。」と戸惑っていた。

安岡章太郎の随筆の中に「女の器量は顔の造作よりも言葉かもしれない。」とある。
NHKアナウンサーだった広瀬久美子氏は彼の従妹だそうで、娘の番組で園芸の先生が「根分けをしてあげたら、水をたっぷりあげて下さい。」などと言うのを、母親は聞き咎めていたそうだ。

安岡氏は、既に何十年前に「近来、日本語の乱れ方は酷いものだ。まるで一億総動員で自分たちの国語を毀しにかかっているかと思うほど。」と嘆いている。

   秋晴れ続く
d0024276_21385641.jpg

         庭の柵に沿って菊を並べ、その見事さに一人満悦
by arata-tamiko | 2016-10-08 21:44 | 諸々の出来事 | Comments(0)