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愛媛のじゃこ天と天ぷらの食べ過ぎ   4/23/15

ボストンマラソンが催された夜の飛行場は大混雑、誘導されながら別の建物にグルグルと回され、何とか一つ見つかったパーキングスポットはJALのターミナルから一番離れた反対側の7階。
到着されたFさんと雨降りしきる中、やっと飛行場を出られたのは3時間後。
しきりに気の毒がるFさんに「ご心配無用ですよ。この時間はお世話代金に加算されますから。」と、からかう。

私のお客様だった先生に連絡を取りたいとのことで、私の携帯を取り出して「これからもお付き合いをしたいと思うお客様のみ携帯にお名前と番号を入れておくの。だから、この先生の番号はすぐに分かりますよ。」と言うと大笑い。

翌日、Fさんの携帯電話購入の手続きをしている最中、店主のMに「空腹で死にそう。隣でサンドイッチを買ってくるけど、コーヒは如何?」と聞くと「有難う。」との返事。
やり取りを聞いていたFさんは「僕が払います。」と財布を取り出そうとする。
「どうしてですか?」と、いぶかって訊くと「良くしてもらっていますから。」と言うのには、感激したが断った。
後で「貴方って、本当に心遣いをされる人ね。携帯電話のリストに入れておきます。」と褒めてあげた。

数ヶ月して愛媛から来られる奥さんに、名物の”じゃこ天”を持ってこさせると言うので「あれは、暫く止めです。実は先日愛媛からの御夫妻が沢山の”じゃこ天””てんぷら(薩摩揚げ)”を下さって、賞味期限短く無駄にしてはならじと必死の思いで、朝から毎日食べていたら気持ち悪くなったのです。」と話すと「では、何が良いでしょうかね、、、。」と思案される人柄の良さ。

   寒さ戻る
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   個人的にも親しくしていた眞木さん一家が、ボストンマラソンの翌朝帰国。
   JALで帰るマラソンの参加選手と一緒に記念撮影。
   留学直前に義兄をパーキンソンと診断した御主人から「何かあれば遠慮なく。」と再度の
   申し出。
   姉に「葛谷先生然り、そして眞木先生と京大の脳神経内科のお二人がいるんだから、もう
   両手両足が震えても”大丈夫!”と力付けておいて。」と電話をした。 
by arata-tamiko | 2015-04-24 10:30 | 諸々の出来事 | Comments(0)

また親しき友が一人逝ってしまった   4/20/15

アメリカに移って来たのが83年で、初めて住んだ町がベルモント。
その時の隣人で、何かと助けてくれた夫妻の夫、ヴァグが96歳の人生を閉じたと知らせが入った。

住み始めた頃、私を見ると近所の人たちから「出かけるの?」と訊かれ、どうしてなのか理由が解らなかったが、暫く過ごしているうちに、家にいるにしては私の身なりが余りにもキチンとしているため、そう思われていたようだ。
日本で未だジーンズが流行っていなかった時代、私は一本も持ち合わせておらずアメリカに住み始めても常に日本と同じような格好をしていた。
だからアメリカ人の服装のだらしなさには驚かされ、穴のあいたTシャツを着ているヴァグに「どうして繕わないのか?」と聞いたことがある

ある問題が起き、彼に相談をすると「自分が弁護士を演じるから、テーブルで、君は何も話すな。」と言われ、約束の日に彼のドアベルを鳴らすと、出てきた彼は別人かと見紛うほどのいでたち。
言葉が出ない私に「スーツ姿で何十年働いてきた自分は、退職した後の人生は、洗濯さえしていれば穴があいたシャツを着て気兼ねなく生活をしているんだよ。」と笑った。
席に着くや否や相手に向かって「初めに自分が話す。終わるまで黙って聞け。君が話すときは、私も質問をしないで黙って聞くから。」と、先手を売って見事な演技。

ことが片付いた後「アカデミー賞ものね。」と褒めると、歳の離れた兄さんが本物の弁護士で書類を手伝ったりしていたし、法廷通いの傍聴が趣味だった。
それで時折朝早く、彼は出かけていたのだ。

ドイツの敗戦後、駐留した地で妻のウスラと知り合い結婚。
彼女は典型的なゲルマン民族のプラチナブロンドと澄み渡った青空のようなブルーの瞳。
結婚式の写真のウスラのエレガントさと美貌には、引きずり込まれるほど。
ドイツ人女性の几帳面さ、清潔さを備えた彼女の家は、常に埃一つ見つからず磨いたようにピカピカ。
アメリカに来て数年後、クローゼットを片付けていた彼女は夫が持ち帰ったナチスの鉄カブトとハーケンクロイツの旗をベランダに虫干しをしていたそうで、帰宅したヴァグは近隣の人々の感情を思うと肝がつぶれるようだったと、愛おしそうに彼女を見つめて想い出話をしたのも懐かしい。

自宅で開かれた、つつましやかな息子の婚約ディナーの席で婚約者の女性に「結婚を決めた一番は?」と聞くと「彼の両親に対する態度を見ていて、この人なら私は一生幸せになれると思ったの。」だった。

ある問題で、やはりヴァグに相談をした時に「君は決して間違ってはいない。しかし余りにも真っ正直だと、他人に取ってはトラブルメーカーになりかねないのだよ。」と、諭され肝に銘じるようにしているが、性分なので、未だに突っ走ってしまうことがある。

   雨の中、ボストンマラソンの選手達大変だろう
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                             山登り用だそう
by arata-tamiko | 2015-04-21 03:20 | 悲しかったこと | Comments(0)

女性セブンの記事に疑問あり   4/15/15

女性セブンに掲載された「加藤登紀子が語る半生」の中で、母親について「誰とでも真摯に向き合う女性だった。」と、彼女の気丈さを、誇らしげに述べている。
その例の一つとして「ソ連軍が怖くて日本人が逃げる中、母は一人ソ連軍の司令部に乗り込んでいきました。そして『こんな乱暴を働いているのはおかしい』と訴えたそうです。司令部は母の進言を受け入れて略奪行為を取り締まりました。母は、どんなときでもきちんと相手と向き合う強さを教えてくれました」とある。

2歳で終戦を迎えた加藤登紀子は、この話を母親から聞かされたはずだが、正直私には信じ難い。
スターリンが日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、怒涛のごとく押し寄せたソ連兵の多くは獄に繋がれていた殺人などの凶悪犯だった。
電気のない環境で生まれ育った兵達は、日本の民家で初めて見る煌々と光る電灯に驚き、略奪した腕時計をいくつも腕にするような人種。
民間人の女子供を手当たり次第に家族の目の前で強姦し、抵抗すれば犬コロのように射殺され、庇う男達をも殺戮する。
百万のソ連兵の強姦から逃げるため、老いも若きも短髪にし顔に泥を塗り、人間が人の心を失い生きるためエゴ剥きだしとなりわが子にすら手をかけ、極寒の満州で飢えと恐怖に怯えるこの世の地獄ともいえる阿鼻叫喚での逃亡の日々。

ある病院での目撃者の男性は「12、3歳の少女から20歳くらいの十名ほどの女性がタンカで運ばれてきた。全員が裸で、子供の恥部は紫色に腫れ上がり、その原型はなく、一人の女性は下腹部を刺され腸がはみ出していた。」と証言をしている。

これからが、私が疑問とするところ。

女とみれば、何人もの兵隊に犯されたあげく殺されることが分っていながら司令部に一人行くだろうか?

もし行ったとしても、母である自分が死ねば残された三人の幼子は、どうなるかと露ほども思わなかったのだろうか?

彼女の母親が、ソ連の指令官を説得するだけのロシア語が話せたとは、到底思えない。
敗者である日本人、それも女性が勝者であるソ連の司令官に「貴方達のすることは間違っている。」と注意をして「はい、はい。悪うございました。」と、鬼畜のソ連兵達が素直に心を入れ替えるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。
子供を叱るのとは、訳が違うのだから。

この週刊誌の女性記者は満州開拓団に関しては、全く知識がないのでは?
せめて、著名な女流作家二人の満州引き上げの実話を読んでからインタビューをして欲しかった。

             流れる星は生きている (中公文庫): 藤原 てい

             朱夏            (新潮文庫) 宮尾 登美子

      突然春が来て水仙が咲き始める
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    階下の住人の娘家族が飼っている犬と、我が家のチビはまるで兄弟のように似ている
    スラリとした後ろのが彼らの犬。手前の胴が長くウェスト太く足の短いのがチビ。
    スタイルまで飼い主の私に似てくるとは、あな恐ろしや。    
by arata-tamiko | 2015-04-16 10:21 | 納得いかないこと | Comments(0)

海のない県からのお土産が、天ぷらとは。  4/12/15

全てのお世話が終わり「有意義な留学生活を。」と、お別れの挨拶をすると「一時帰国をした時に、何か買ってきます。一番好きな食べ物は何ですか?」と、若いドクターから訊かれた。

「それは、天ぷらよ。私は練り物が大好きで、今度来られる方が愛媛のジャコ天を持ってきてくれるのよ。」と、言うと「じゃー、僕も薩摩揚げを持ってきます。」と、はずんだ声で言う。
「貴方のところは、海がないでしょう。そんな所で育った人が、美味しい天ぷらの味を知るわけないでしょう。そう、山に囲まれた貴方は山菜にしてちょうだい。」に「はい。そうします。」と素直。

「日本に帰れば、全ての科のドクターとお知り合いでしょうから、困らないとは思いますが、僕の専門で役立つことがありましたら、どうぞ遠慮なく連絡を下さい。」との申し出。
「貴方は血液の癌でしょう。我が家は、胃癌、大腸癌そして私が腎臓癌なのよ。血液癌には縁がなさそうよ。」
「それでも何かの場合です。」と、可愛いことを言う。

実に人柄良く、数日間一緒に過ごした日々、まるで息子か孫を世話をしている錯覚に陥るほど気が合った。

   春が来た! 日中20度
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        そして昨夜到着された新居浜からのお客様が待望の”じゃこ天”を持参!
by arata-tamiko | 2015-04-13 09:30 | 諸々の出来事 | Comments(0)

天皇陛下御夫妻のパラオ慰霊訪問で想う事 4/8/15

天皇陛下御夫妻の、念願だったパラオ訪問のニュースを観ながら「良かった。」と思う気持ちで胸が一杯となった。
天皇陛下もそうだが、特に美智子妃の暖かさ、品性、気品は世界の妃の中でも際立っている。
お二人が、心から相手を思い、思い遣る態度、労る目ざし、心打たれる。
30度の蒸し暑さ、80歳過ぎのお二人には、どんなに堪えるだろう。どうぞ無事でと願っている。

半世紀前、私は同じ南洋諸島のサイパンに一年間姉夫婦と住んでいた。
アメリカ合衆国の自治領である島々は、当時一般の日本人には開放されておらず貴重な体験をした。

戦後20年の島には、海辺や山に戦争の跡がいたるところで見られた。
朽ち果てた戦車、砂浜の岩に兵士が刻んだ日本語、雑草が生い茂る”万歳クリフ”そして最後の司令部の洞窟には、当時の椅子や机もそのまま残っていた。

ある日、野生のグアバや樹木が生い茂るジャングルを、マチェテ(刀)を使いながらかき分け探検していると、大きく奥深い湿気た洞窟を見つけ中に進んだ。
そこには、おびただしい人骨と一緒に、墨で名前が書かれた水筒や錆びたヘルメット、短剣、飯ごう、瓶、食器や鍋釜の生活用品が散乱していた。
どんな思いで兵士達は暗い洞窟で生き延び、そして最後を迎えたのかと、痛ましさで恐怖感は全くなかった。

島民は「ドイツが占領していた時代は、何もしてくれなかったが、日本は学校を建てて私達を教育してくれた。」と感謝をする親日だった。
島の小さなスーパーマーケットもどき店には、島民が作る大福が売られていた。

広島、長崎へ向かって原爆搭載機が飛び立ったテニアン島の飛行場、日本海軍司令部、通信所、発電所、弾薬庫、トーチカなど等が、草木が茂る中に手付かずのまま残っていた。
カメラが安価に手にはいらない時代で持っておらず、記録に残せなかったのが今思えば残念だった。

   だんだん春めいてきた
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    蜜柑の産地で育った私は蜜柑が大好き。
   高校卒業後、東京の学校での身体検査で”黄疸”と診断されたほど蜜柑を食べていた。
    アメリカで初めて美味しいと思った蜜柑が、この会社でスーパーマーケットのマネジャーに
   今後この蜜柑を仕入れてくれと頼むと、評判が良いそうだ。
by arata-tamiko | 2015-04-09 11:33 | Comments(2)

医学系研究留学者の年収   4/5/15

今年は、来られる方よりも帰国をされる方のほうが多い。
アメリカで研究をしようとする意欲を持つ留学者が減少していることもあるだろうが、各大病院の方針として、研究者に年間最低額$47,000を、支払わない限り雇用してはいけないことになったと聞いた。

確かに今年留学された三十代前後の若い研究者の二人は、$39,000だった。
今までは、家族持ちでも、これほどの年収を支払ってもらえる研究者はいなかった。
しかし、どれだけのラボのボスが、これだけの金額を支払えるだろうか。疑問に思う。
せいぜい、$25,000~$30,000が限界ではないだろうか。

ある研究者が先日「これからのJ1ビザ取得にはTOEICのテストもあるそうです。」と話していた。
読み書きが得意な日本人でも、聞く話すで減点されてしまう。
これでは、益々留学者は少なくなってしまう。

以前ある大家から「どうして、この人は私の言うことが理解できないのか?」と、電話がかかり「話すより書いて見せてください。すれば、彼は理解できます。」と、お願いをすると「話せないのに、どうして読み書きができるのか!」と、呆れられたことがある。

   風が強く冷たい
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       我が家から車で5分もしない所に、アルパカ7,8匹飼っている家がある。
     先日お客様のお母さんと子供さん達をつれて見に行ってきた。
by arata-tamiko | 2015-04-06 12:58 | 諸々の出来事 | Comments(0)

日本語を学ぶ    4/2/15

健康の優れない韓国人の友、Hさんから「今朝は気分が良く、お腹も痛みませんから。」と、電話があり、彼女と私との中間点に位置する韓国レストランで一緒に昼食をした。

シカゴ大学に行く孫息子が、村上春樹の小説を読んだことで日本に興味を持ち日本文化を専攻して一年となり、今年の夏は函館でホームステイをする。
父親の中国人祖父母の両親は、戦前の中国大陸で反日の闘志だったそうで「どうしてよりに寄って日本なのか。これからの時代は中国なのに。」と、嘆き中国語を学ぶように説得をしても頑として耳をかさない。
「日本が好きな私としては嬉しいのですが、かと言って日本研究の学者だけでは、食べていけません。我が家に集まると孫が私と日本語を使いたがり、あちらの祖父母に悪くって。」と困っている。

毎月日本から文藝春秋を長年取り寄せているHさんは、日本の習慣を熟知しており「日本人は脱いだ靴を揃える。」と教えて以来、Hさんの家に来ると必ずそうするので可愛いと笑顔。
函館で日本人から名刺をもらうことがあれば、必ず両手で受け取り軽く頭を下げることと言い聞かせたそう。

十年近く前に知り合った頃のHさんは、日本人と交際する機会もなく日本の本を読むことだけの日本語だったから戦前の日本語から全く進化していなかった。
「今日は、いかがお過ごしだったでしょうか?」と言った調子で電話がかかってきていたが、今は大分私の現代日本語の影響を受け、感嘆詞として以前は「まぁ~。」だったのが「へぇ~。」と言い出し始めているのも笑える。
今回始めて「何々をしちゃって。」と言ったのには、私が吹き出し「何か可笑しな日本語を使いましたでしょうか?」と聞かれ、説明をすると本人は全く意識していないそうだ。

20歳になる私の孫も学校で日本語を学んでいて、新しく習った漢字を交えてテキストメッセージを送ってくる。
友のMさんに見せると、教科書のような日本語に「おっさん日本語みたい。」と的を得た感想に私も笑ったが、今綺麗な日本語を話すのは日本語を勉強する外国人ではないだろうか。
お笑い芸人たちの日本語は、聞くに堪えない。

  少し春めいてきた
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           親しくしていた 眞木さん御夫妻からお別れの食事に誘われた。
           スヤスヤと寝るだけの生まれて間もない音ちゃんも、今は三歳。
           四人の子供を、しっかりと育てている頑張り奥さん。
 

   
by arata-tamiko | 2015-04-03 00:00 | 諸々の出来事 | Comments(0)