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「西郷隆盛の首を発見した男」   4/28/14

お客様が銀行で口座を開きオンライン・バンキングの設定をする際に、三項目に記載をされている中から自分の好きなものを選ぶようになっている。
「う~ん。」と唸りながら注意深く読みながら選ぶ人、即決で決める人と見ていてなかなか興味がある。

先週の鹿児島出身の方は迷わず歴史上の尊敬をする人物を選び「西郷隆盛」と打ち込んでいた。
ちょうど私は文藝春秋出版の「西郷隆盛の首を発見した男」として加賀藩士の家に生まれ戊辰、西南、日清そして日露を戦った千田登文が几帳面に書き残した日記を基にした生涯についての本を読み終わったところだった。

別府晋介の介錯で切腹をした西郷の遺体は首がなくとも政府軍は判別に迷うことはなかったと以前読んだことがある。
なぜなら西郷は島流しにあった際、風土病に侵され馬に乗る事が出来ないほど袋が大きかったそうで「本当かな?」と思っていたが、この本の中にも同様の記述がある。

見つからない西郷の首を皆が血眼で捜す中、疲れた千田が石垣に腰掛けて休息を取ると、土から布の切れ端が覗いており、掘り下げてみると手拭に包まれた切り口も生々しい首を発見する。
水で綺麗に洗い司令官山形有朋のもとに差し出すと、大西郷の目を開きハラハラと涙を流しながら首に向かって慇懃な挨拶をしたと千田は書き残している。
当時の武士、しかも司令官ともあろうものが一目もはばからず涙を見せた心境を思い遣ってしまう。

鹿児島生まれである主人の70年まえの思い出話。
中学の友達数人とよそ様の庭にある大きな柿の木に登って盗んでいると、家の中から「誰か!」と老人男性の怒鳴り声がした。
とっさに主人は「西郷隆盛だ!」と名乗ると「よし。好きなだけ持って行け!」と返事があった。
柿を見るたび、この話を思う。

   一挙に寒さが戻ってきた
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     十数年前に留学されていた眼科医の高橋先生ご夫妻が学会に来られた。
     帰国後開業され今ではスタッフが17名の成功者。
     中華の店で従業員の昼食がテーブルに運ばれるのを見ていた先生「あれは芋だな。」と
     言うお皿を見ると茹でたカリフラワーが山盛り。
     「相当目が悪いですね。良い眼科医に診てもらったほうが良いですよ。」に皆で爆笑。
by arata-tamiko | 2014-04-29 09:03 | 興味ある話 | Comments(0)

韓国人の口癖”ケンチャーナ”   4/24/14

旅客船沈没関係のニュースが出てくる度に、これは一重に韓国人の口癖である”ケンチャナ”主義も影響しているのではないかと思ってしまう。

70年代に韓国の新築コンドメニアムに住んだ初めての夏、突然お湯が出なくなりお風呂に入ることも出来なくなった。
我が家に働くチャン小母さんと一緒に管理事務所に行くと「寒い冬でもないのに、どうして毎日お風呂に入る必要があるのか。」と呆れた顔で言われた。
日本で生まれ育った小母さんは「韓国人は日本人のように毎日お風呂に入らないんです。」と恥かしそうに言った。

で、主人は窓の外にプロパンタンクを取り付けさせお湯の配管が終わった工事人が帰った後、ガスの臭気に気づき窓を開けるとタンクから二本出た必要でないほうの一つのパイプ管が塞がれていなかった。
戻ってきた工事人達は「ケンチャーナ、ケンチャーナ。ガスは外に漏れていくから。」と主人の怒りが理解出来ない。

数ヶ月ほど経つと天井で何かが走る音がし始め、子供の体に湿疹が出始めた。
これも小母さんを連れて管理事務所に行くと「ネズミのダニだよ。ケンチャーナ。ネズミにはナフタリンが効き目がある。」と言われ、半信半疑ながら人を雇って天井裏にばら撒いてもらった。
「こんなことしても我が家の天井から逃げたネズミは他の部屋に住みつくことになるわけよね?」と、小母さんに言うと「そんなややこしいこと韓国人が考えますかいな奥さん。ケンチャーナで終わりですよ。」と笑った。

ところがピンポン玉ほどの丸いナフタリンを天井裏でネズミがゴロゴロと転がすような音がして寝ることが出来ない夜が続いた。
天井を見上げながら主人の言った言葉が「流石韓国だな~。ネズミがサッカーをしているよ。」
もちろんネズミ退治には、これっぽっちも役立たなかった。

   桜が咲き始めた
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         先日催された町のパレードに参加する独立戦争当時の服装の人々
by arata-tamiko | 2014-04-24 21:33 | 諸々の出来事 | Comments(0)

旅客船事故に見る韓国のメディア記事  4/20/14

今回の韓国の惨劇、あらゆることに於いて酷すぎる。
転覆している船の中にいる我子達が苦しみながら死へ近づいていることが分かっていても、何もしてあげることも出来ない親達は生き地獄に我が身をおくようなものだっただろう。

新しいニュースが出るたびに呆れ果てることが多すぎる。
一番に逃げ出した船長は一般人と身分をごまかし、濡れたお札をオンドルで乾かしている。
25歳の航海士に取っては初めて運行する航路。
今日に至っては政府高官が対策室前で記念撮影をしようとして家族が激怒したとある。

日頃はヤクザの因縁のごとく日本にケチをつけているのが、流石に韓国メディアも腹に据えかねたらしい。
この事故で記事の内容が変わってきた。
「あれ?自虐は日本の左がかった人たちがお得意だったのに。韓国からお株を奪われたのかしら?」と思える社説や記事が多くなってきた。

韓国で一番の発行部数を誇る新聞の社説見出しが「韓国は三流国家」。

「旅客船沈没:09年に日本で同様の事故、死者はゼロ」の見出しで始まる社説があった。

>「ありあけ」の事故では人命被害は発生しなかった。船が傾くと、船長はマニュアルに従って海上保安庁に救助を要請した。乗組員は、衝撃で船体がゆがみ、客室のドアが開かなくなる恐れがあると考えて、乗客らを客室から避難させた。船が大きく傾いていたため脱出は容易ではなく、消防用のホースをロープ代わりにして乗客を甲板に引っ張り上げた。甲板に待機していた乗客らは、およそ2時間後、ヘリで救助された。乗客が救助された後、乗組員が順番にヘリに乗った。最後まで船を守った船長・1等航海士ら6人は、浸水が続いたため、救命ボートを降ろして海に飛び込んだ。この6人も全員救助され、死者は1人も出なかった。<


ある別の社説は韓国のバスに比べて日本のバスの運転がいかに乱暴でないかで始まり以下の文で締めくくっている。

>王も大統領も、国民を見捨てて逃亡した過去がある。命を捨てろとまでは言わない。ただ、自ら与えられた地位に責任を持ち、規則を守ってほしいということだ。船が沈みそうになったら、マニュアル通りに行動し、中にいる子どもたちを避難させてほしいということだ。


あるネットユーザーは「上が下を見捨てて逃げる民族性なのか?壬辰倭乱(文禄・慶長の役)では(日本が攻めてくる前に)王が城を捨てて逃げ、6.25(朝鮮戦争)のときには指導部が漢江の橋を落として逃げ、残った国民は北軍に殺され、今回は船長が乗客を捨てて逃げた。」と書き込んでいる。

スヨンに「安部首相が手を差し伸べた時に受け入れれば数人でも助かったかも。」と言うと「だって韓国民は彼のことを北朝鮮の金正恩より嫌いだもの。韓国人は自尊心が強いから駄目よ。」とのこと。

   風に春を感じる
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     階下に住む夫婦宅に集まった孫達が寝静まった後、大人たちでイースターエッグを
     庭のあちこちに隠した。
     今朝エッグハントに庭に出てきた孫達が発見したものは割られて散乱した沢山の
     イースターエッグ。
     狸がプラスティックの卵を割ったり開けたりして中のチョコレートのみを食べつくし
     ゼリービーンズには一切手をつけていない。
     狸がチョコレート好きとは初めて知った。
我が家のチビも参加。     

       
by arata-tamiko | 2014-04-21 13:11 | Comments(0)

スヨンが韓国に帰国をするそう   4/18/19

いよいよこの夏に韓国に帰ることになったと、シカゴに住むスヨンから電話があった。
彼女と知り合ったのは十年前。
韓国に住んでいた時の友人達と三十数年ぶりに連絡を取り合うようになり、挨拶くらいは韓国語でと思い立ち、好きな時間に韓国の店であるReliableに行って韓国語を耳に馴染むようにしたのが彼女と出会う切っ掛けとなった。

まもない日、お店で彼女が泣いている。
英語が全くできない彼女だったが習字の先生だった父親を持つお陰で韓国人には珍しく漢字が少々解る。
彼女が書く漢字から察すると、子供時代からの友人夫婦宅に住んでいたのが喧嘩をして家を追い出された様子らしい。
行き場所のない身の上に同情して我が家に連れてきたのが5年もの同居の始まりだった。

これほどユーモアがあり心優しい女性はなかなかいない。二人でどれほど笑いあっただろう。
キムチも作れなかったスヨンだったが私のために懸命にいろいろな韓国料理を作ってくれ、初めは余りの不味さに「無人島で飢え死に寸前でも、この料理は食べられない。」とまで私に言われていた。
彼女の偉いのは「ノー・ギブアップ」と言い続け、絶対に諦めず作り続けた。
ケジャン(渡り蟹の醤油漬け)が大好物だと知ると韓国の母親に電話をして料理法を習い実に美味しいケジャンを作ってくれた。
「こんなに料理上手になった今はお嫁にいつでも行けるのに肝心の男が見つからない!」と笑わせてくれた。

韓国に戻ったら歴史の先生として再就職したいそうで「私の授業は面白いと眠る生徒は一人もいなかった。」と言うので「でしょうね。でも日韓の歴史を都合の良いように変えて生徒に教えないでよ。竹島も我国のものだからね。」と釘を刺しておいた。

大雪でシカゴ市内の電話が不通となり、韓国の食品卸会社で品物の発注受注を担当するスヨンの携帯電話が鳴りっぱなし。
それでスヨンは上司に聞こえるように「こんなにかかってきたら毎月のリミットをオーバーして支払いが大変になるわ。」と声を大きくして言った。
すると上司から「あれ、その携帯を買った時”アンリミット”だと自慢していなかったっけ?」と言われたそうで「アイッシ!あの男、覚えておいて欲しいことは忘れて、下らないことは覚えるんだから!」と罵ってみせる可笑しさ。

帰国前の7月にボストンに別れの挨拶に来るそうで「美味しいケジャンを作るから待っていてよ。」という。
とてもとても楽しみ。

   寒さが戻る
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                             雪で倒れた水仙
         シカゴ乗換えのお客様の荷物が二個も届かず、冬服がなく震えている
by arata-tamiko | 2014-04-19 11:01 | 諸々の出来事 | Comments(0)

私の気晴らし方法   4/14/14

時間があればReliableで働いているので、皆が好意的に”働き者”とみてくれ、くすぐったい思い。
自分のビジネスともなれば気を遣うが、この店は本業でないので私に取っては最高の気分晴らしになる。
興味ある人物と出会えば話しこみ、お腹が空けばキッチンに行って好きなものを口にして、疲れれば必要な食料品を勝手に選んで好きな時間に帰っている。
鮪のトロが手にはいった時など好きなだけ切ってもらい堪能する。

四年ほど前から毎週末に来る五十代のアメリカ人女性は日本の大学で教鞭を取っていただけあり日本語が堪能で日本食は何でもござれ。
来るたびに「何か美味しいものは入荷していない?」と挨拶代わりに訊いてくる。

店の一番奥で彼女と料理法などの話をしている間中、彼女の後ろに立って一緒に話を聞く男性に「ボーイフレンドが出来たのかしら?」と思った。
「今日はとても美味しいHouseのスンドゥブ・チゲとお漬物を紹介するわ。」と店の反対側の陳列台に歩いて行くと男性もついて来る
チゲの作り方を説明していると彼は彼女の後ろに立って懸命に聞いている。
「失礼だけど貴女のボーイフレンド?」と聞くと「なに?だれが?」と驚くので「この人。」と言うと、後ろを振り返った彼女は「全く知らない人よ。」と目を丸くする。

「あの~、さっきから私達について回っている貴方は誰なのですか?」と訊いた。
「すみません。僕は少し日本語が解ります。貴女の話を聞いていると、あれもこれも美味しそうでついフォローしてしまいました。」と言った後に自己紹介をした。

私達三人は大爆笑となった。

   一挙に日中26度
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           来られた時はご夫婦のみ。帰国時には親子4人の葛谷家一家。
           瞳子ちゃんと弟の基(もと)君。
           つくづく時の流れを思う。
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    来月帰国の先生宅にご招待され陽子さんの作ったデザートの美味しかったこと!
    もう一つマンゴーのムースもあり、先生は残されたが私は二つともペロリとたいらげた。
by arata-tamiko | 2014-04-15 11:17 | 諸々の出来事 | Comments(0)

これも偶然の出来事

インターネットで探したとG大学から留学されるA先生からメールがあり、「同じ大学のK先生をご存知ですか?」と返信メールに添えた。
すると「K先生とは同級生で仲良くしています。」と返事があり、そのK先生からも「貴女の手術のことで、僕がいろいろ訊いたのは彼ですよ。良い奴なんです。」とメールが来た。

2011年、腎臓と腎盂摘出手術を控え” まな板の上の鯉”の心境で怖さはなかったが、麻酔で熟睡している間に聞かれたら困るようなうわごとを言わないかの方が心配で親しくしている麻酔医のK先生に訊いた。
子供の頃から寝言が酷いと親から言われ、結婚して主人から「君は寝言でも実にはっきりと話すんだね。」と感心されていた。
k先生の説明で麻酔にかかるとは、どういう状態になるかを始めて知り驚いたが寝言の心配が消え安心した。
その際に「手術の段取りを日本語で知りたいの。だれか専門医を知らない?」とお願いしてK先生が訊いてくださったのがメールを下さったA先生だった。

日米の手術費用の比較になるかと一方的に判断をして手術の全額請求書を添付ファイルで送ったが「留学前の忙しい時に、、、。」と内心思っているかも。

   クロッカスが咲き始める
by arata-tamiko | 2014-04-09 01:01 | 諸々の出来事 | Comments(0)

コヨーテ始末記   4/3/14

車で五分もかからない山林に囲まれた湖の回りを、リードなしのチビと散歩をしていると「林の奥にコヨーテがいたわ。犬から目を離しては駄目よ。」と時々注意をされる。

すると今度は一軒離れた隣人が「裏の崖の上に夕方コヨーテーを見かけたので、チビが食べられないように。」と忠告をしてきた。
「そんな馬鹿な。」と笑うと、隣人は「一緒にいた友人も犬ではないと断言したのよ。動物保護センターと警察に電話をしたわ。」と真剣。

人里離れた寒村に住んでいるわけでもなく人家も多いのに野生のコヨーテがいるとは信じがたい。
オンラインでタウン情報を開いてみると「最近コヨーテ出没の報告が出ているので犬猫を外に置き去りにしないように。塵箱の蓋はきつく閉めておくように。見かけたら直ぐに報告を!」と注意事項と出没範囲の地図に我が家の通りも入っていた。

何とか確かめたい一念で一計を案じ崖の下に薩摩芋を置き毎日見に行くと四日目に消えていた。
この付近に住む狸の仕業ではないかと、今度は木の根元を掘って牛肉を隠してみた。
すると翌朝、何かの動物が掘った爪あとが見られ肉は食べられていた。

Reliableの店で肉をスライスするたび端切れは豊富に出るので肉はいくらでも手にはいる。
そうこうする内に、いつものように深夜12時半過ぎにチビのオシッコのため外に出ると、薄暗い電柱灯の下を犬がトコトコ歩く姿が目に入った。
「隣家のシェパードが、どうして放し飼いで今頃???」と思ったとたん「あれはコヨーテだ。肉を食べに行っている!」と背筋が寒くなると共に「遂に姿を見た!」と言った達成感もあった。

この後、数度姿を見かけ深夜の12時半~45分の間に崖下に来ることが判ると「よくぞこんな環境で生き延びてきたわね。」と愛おしくなり、Reliableの塵バケツから取り出す肉も健康に良いようにと赤味を選び、牛だけでは飽きるだろうと豚肉の日も決めた。
(ゴミ箱から肉を集めている私も見た韓国の客から「何のスープを作るんだ?」と訊かれたのには苦笑)

ところが雪が降り始めるとコヨーテの足跡と血肉が白い雪上に鮮明になってしまった。
これでは「コヨーテの命取りになる。」と止めてしまったが、夜中に降った雪の上に時折足跡を見つけると「可哀想に。どんなにがっかりしたことでしょう。」と哀れで罪悪感に陥った。
やっと雪が溶け春の気配がする日々の中で「野生は野生で逞しく生きるのが自然の掟」と自分に言い聞かせているが、そこを通るたびに林の奥に目がいってしまうしチビも付近を嗅ぎ回っている。

   昨日から急激に木の芽が吹いて来た
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              雑食のため環境に適応し生き延びる力に優れているそう。  
              兎、猫、犬が好物で人間を襲うことは殆どない。(写真転載)
by arata-tamiko | 2014-04-04 01:48 | 興味ある話 | Comments(0)