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韓国人が韓国人であることを否定する笑い話 9/28/13

Reliableのお店を手伝っていると、いろいろと面白い出来事がある。
週末に働く韓国人のCの専攻はジャズ歌手で、夢は韓国にいる会計士のフィアンセと一緒に日本に住むこと。
彼はかなり日本語を話せるそうで、Cは最近日本語コースを取った。

フルーツ味の小さな氷の塊が入ったIce Boxと書かれたアイスの容器を開けて、レジの二人に分けてあげると、Cは感動していた。
「見ていてごらんなさい。ポッキーを真似したように、今に同じものが韓国で発売されて、韓国人は自分達がオリジナルと言いだすから。」と言うと、「そうよ。何でも真似してしまうもの。」と、大笑いするCを見て、タイからの女の子はもっと笑う。

気難しそうな韓国人客や商品の質問をされた場合は、全て彼女のレジのほうに行かせるので、いろいろと嫌な思いを客からさせられている。
客が去ったあと、カウンターの下にしゃがみこんで、韓国語で一人罵しっている様子が可笑しく、私達は笑ってしまう。

Cと韓国人女性客との間にいざこざがあった。
Cに悪気はなかったのだろうが、彼女の釜山言葉は、きついためか、客が大声で怒鳴りだし、何度も謝るCを尻目に店主まで呼びつける始末。
客が去ったあと、Cは泣きながら、「今日から私は韓国人ではないからね。日本人になるの。タイ人でもいいわ。」には、同情していた私たちは笑ってしまう。

それから数時間後、韓国語で質問をしてきた客がいて、タイのナタリーと私はCの方に目をやり、「韓国人の彼女に聞いて。」と言うと、胸に手を当てたCが、「I am not a Korean。」と言ったのには驚いた。
客は、ポカ~ンとして、私達を見る。

   最高の秋晴れ
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      お客様から戴いた”あおさ”の香りは、遠い昔の日々を想い出させる。
      海と川の境目の岩肌にビッシリとはえている”あおさ”を採って帰ると、母親が
      味噌汁の実にしてくれた。
      その香ばしさ、私の大好物だった。
      2ミリほどの足がいっぱいはえた虫が、紛れ込んでいるため何度も洗う。
by arata-tamiko | 2013-09-29 12:15 | 諸々の出来事 | Comments(0)

我姉のトンチンカンチンな話   9/24/13

東京にある留学センターEDICMの粂原さんから、「10月に子供の親と学校ツアーに行くから、欲しいものを持っていくわよ。」との電話。
彼女とは、もう20年の付き合い。

以前に友人が持ってきた”豚みそ”の味が忘れられず、日本の姉に、「忙しく留守がちな彼女だから、着払いは無理だけど、コンシェルジュがいるので、代金だけ生産もとに払っておいてくれる?」と、お願いをした。

「販売部門から受け取ったメール」

6袋の金額は、525円(税込み)×6=3,150円 送料700円 
              計6,850円になります。


無頓着な私は、「結構高いな~。」と思いながら、姉に「6,850円を払ってね。」と、注文数を話していなかった。
姉から「田舎の人のせいか、とても感じの良い女性でね、アメリカからの注文と知っているからでしょうね、2本もおまけをしてくれるそうよ。なんでも150円不足だけど、それも会社が持ってくれるんだって。」
「それって、いくら何でも、おまけしすぎよ。聞き違いではないの?」
「子供の頃、海水浴で中耳炎になっているけど、絶対に、そう言ったわよ。10袋頼んだんでしょう?」

再度確かめてみると言う姉を断って、私が日本にかけてみた。
「誠に申し訳ありません。3,850円のところ、当方の間違いで6,850円を請求してしまいました。それで12袋としまして、150円の不足は、こちらで持たせていただきました。」
「ちょっと、待って!お金の問題ではないのよ。重くって、12袋もアメリカまで持って来られませんよ。
6袋と聞かされている友人は、怒ってしまいますよ」
「はぁ~、そうですね。」

困りきっている女性担当者に、「荷は、発送されたのですか?」と聞くと「今、出すところです。」
「では、こうしましょう。その半分の6袋は、姉に買わせます。送料と不足の150円で850円の追加が姉から送られてきますから、姉宅に6袋発送してください。」

事情を飲み込んだ姉も「断りなしに、勝手に追加したのね。中耳炎で耳が遠くっても、絶対に私に許可を取っていないわ。」と驚いていた。
「でね、結局、貴女が850円払って、6袋の豚みそを買うことになったの。」
「そうなの。貴女が美味しいって言うものは間違いないから、買うわ。」

しかし、姉の一人合点と早とちりは、私も同様で我家に脈々と流れているようだ。

   吹く風が冷たい
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      来られて一ヶ月少々の後藤さん御夫妻から、夕食に招待をされました。
      お兄ちゃんの元遥君4歳、間もなく二歳の元博君の反応が見たく「かわいい子!」と、
      言うと、遊びを止めて「はい!」と返事をしたのには皆で大笑い。
      次に「かわいい顔は?」と聞くと、両目を細め顔面しわくちゃにしてみせる。
      「こんなことするの初めて。」と、両親は驚きと喜びとで爆笑。
by arata-tamiko | 2013-09-25 10:34 | 諸々の出来事 | Comments(0)

私がAquacizeを止めた理由   9/20/13

薄い幅広ゴムを使った簡単な動作のみで、こんなにも苦しんでいる膝の痛みに効き目があるとは期待もしていなかったので、Aquacizeのクラスを早々と申し込んでいた。
(このバンドは、一般にTherabandと呼ばれていると、オレゴンの姉からのメール)
「インストラクターは、きっと贅肉のないスラリとした魅力的な体に違いない。」と、買ったばかりの水着を持って、勢い込んで町のプールに行った。

プールのドアを開けると、ビーチチェアーに寝そべった30歳くらいの女性から、「ハ~イ。早いわよ。」と、声をかけられた。
「この人は、痩せるためにクラスを取ったのね。」と、ぷく~っと出た彼女のお腹と贅肉を見て思った。

私を入れて6名集まると、その彼女が、「私がインストラクターのJよ!」と、自己紹介をしたとたん、このプール体操に興味を失ったことが一つ。
Aquacizeを申し込んだのは膝のためだったが、続ければ少しは減量の助けになるのでは、、、と、淡い希望もあったのは確か。
「一日中、プールの中にいたいほど、水が好きなの。」と、言う小太りの彼女の言葉で、もっと幻滅感を味わう。

40分コースが終わってシャワールームに行くと、我が家の近くに住む女性が水着でいる。
毎夜来て、何年も泳いでいると言う。
少し頭が弱く足に支障がある彼女は、天使のように清らかな心で花や植物が大好き。
私を見ると、遠くからでも声をかけてくるので、話をするが、皮膚病なのか鳥肌立つほど頭皮が”ふけ”だらけのため、なるべく頭を見ないようにしている。

二度目の日、シャワーを浴びないでプールに入り、帽子もかぶらない年配女性達を見ていると、「ウォッシュレットも使わない、この人達、大が終わった後に綺麗に拭いたのかしら?」とか、「あの女性の”ふけ”が一杯この水に混ざっているのだわ。」と、この水が顔にかかり、口にも入ると思うと気持ち悪くなり、止めることに決めた。

   最高の秋晴れ
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    セールで手に入れた20ドルの水着に大喜びしていたが、安物は安物の価値しかない。
    体に巻きつけたお気に入りの白いタオルも、真っ青のまだらになった。
by arata-tamiko | 2013-09-21 09:05 | 諸々の出来事 | Comments(0)

富岡恒次郎が朝鮮遣米使節団に随行した経緯 9/18/13

「宮岡恒次郎」として検索をすると、高田美一氏(立正大学?)李漢燮氏の日本語で書かれた論文が目を引いた。
李漢燮氏を調べると、高麗大学日語日文学科内「李漢燮研究室」とある。

「二人の論文から」

外国から開港を迫られた朝鮮は、英語のできる中国人通訳を雇って1882年にアメリカと修好条約を結んだが、アメリカに公使館をおくだけのお金が捻出できない。
そのためにアメリカの提案で、使節団を送ることになった。
しかし、一番の問題は、当時英語のできる朝鮮人が一人もいないため、朝鮮を牛耳る中国の李鴻章が送った英語のできる中国人通訳を使節団に加え、中国語ができる朝鮮人の通訳を随員とした。

つまり、英語ー中国語ー中国語(朝鮮側)-朝鮮語となる。
それも言葉で理解不能の場合は、両者は漢字を交えての意思疎通だった。

明治10年、ボストンきっての名門、そして大富豪であるロウエル家の息子、パーシヴァル・ロウエルが日本に魅せられ来日し、自費で10年間滞在生活を送る。
彼の大親友の二人の一人は、大森貝塚を発見したボストン出身の海洋学者、エドワード・モース。
もう一人は、生活に困窮した大名達が手放す日本の美術品の数々が、海外に流出される惨状を惜しみ、岡倉天心と籠に乗って日本国中を旅して集め、ボストン美術館に寄贈したアーネスト・フェノロサ
(モースは庶民的な美術品を集め、セーラム美術館に寄贈)

次は、宮岡恒次郎
10歳で、授業は全て英語でおこなわれる東京英語学校に入学。
13歳でモースとフェノロサの通訳をしたとあるから、よほど語学の才能があったのだろう。

アメリカの駐日公使から「使節団の案内役」として依頼されたパーシヴァル・ロウエルは、日ごろから目をかけていた英語の堪能な僅か17歳の富岡恒次郎を秘書として、合計11名の編成となった。

アメリカの軍艦Monocacy号で朝鮮から長崎に向かい、長崎から郵便船に乗り横浜。
東京に一ヶ月間滞在してロウエルと恒次郎が乗船。
1883年8月18日にアメリカへ出航して、サンフランシスコ、シカゴ、ワシントンDC、ニューヨークそしてボストン。
11月19日に帰国。

中国人を使う複雑な通訳よりも、朝鮮使節団の中に、日本留学などで日本語を理解する人が5人もいたため、殆ど宮岡恒次郎が通訳で活躍をしたとある。
Pさんが、新聞を私に渡しながら、「この中に、福沢諭吉の塾に行っていた人がいるはずですよ。」と、言うので「まさか?」と思っていたが、彼は正しかった。

李漢燮氏の25ページと高田美一氏の21ページの論文をプリントをして、50年以上前にHarvard大学で朝鮮の歴史分野で学位を取ったPさんにあげると、「僕も、どうして日本人が付いて行ったのか、初めて知りましたよ。これは面白いですね。」と、発見に大喜び。

   寒くなった
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            悔しいかな、日陰で育った美代子さんの茗荷の太っていること!!
by arata-tamiko | 2013-09-18 13:25 | 諸々の出来事 | Comments(0)

朝鮮遣米使節団と一人の日本人との関係 9/14/13

隣町のPさん宅で、お茶を頂いていると御主人が、「Hさんのご主人のことが新聞に載っていますよ。」と、ボストンで発行されているハングル文字で書かれた韓国の新聞を見せてくれた。

そこには、朝鮮の帽子と衣装に身をつつんだ朝鮮使節団11名の横7センチ縦5センチ足らずの130年前の小さな写真が掲載されていた。
威風堂々とした朝鮮人たちの中にいる背広姿の背丈の低い男性を指差して、御主人が、「この人は日本人ですよ。」と言う。
「この記事の筆者は、Hさんの御主人の論文を参考にしたと書いています。」と言うが、彼女の夫は、韓国人ながら、こちらの大学で化学の教授として教鞭を取っていたはず。
「そうですが、歴史研究家としても有名でしたよ。」には、「本当ですか?」と、驚いた。
80歳のHさんとは、7年のお付き合いで、週に一度は電話を掛け合う仲。
だのに、そのような話は一度も聞いたことがない。

帰宅早々電話をすると、「はい。趣味で朝鮮の遣米使節団などを調べていました。なんでも若い日本の通訳がいたと聞いています。」に「どうして朝鮮使節団に、若い日本人がいるのですか?未だ朝鮮は、日本の植民地になっていないのに。」
「本当に、そう言われればそうですね。どうして日本人通訳がいるのでしょう?主人が生きていれば聞けるのですが、、、。あの人は、家のことは何もしてくれず、雪が降り始める前に、庭の落ち葉をかきあつめるどころか、葉っぱ一枚拾ってくれませんでした。時間があれば、資料集めをしたり、その上に人が好きで、毎週だれかれと夕食に招待をしましてね、、ボストン大学でフルタイムで働いていた私は、腹が立って、主人が何か発見をしても聞く耳を持ちませんでした。」には、笑ってしまう。

ご主人が集めた古い写真の中に、掲載されていた写真もあったし、日本人通訳が写っている他の写真も見たことがあると言う。
使節団の全権大使は、朝鮮王朝最後の王となる高宗国王の甥で、Arthurアメリカ大統領に朝鮮式の床にひれ伏すお辞儀をしている写真は、色づけされていたそう。
「主人が集めたものは、大きなファイルにされていましたから、何とか探してみます。」と、言うことで私達の話は終わった。
そして深夜から、私は、若い通訳と紹介されている「宮岡恒次郎」が、何者で、何のために加わったのか?の謎解きのため、パソコンに向かった。

(今夜テレビで松田聖子を久しぶりで観たが、いや驚いたのなんの。あの額の広さ、只事ではない。皺取りに毎年引っ張り上げているからに違いない。)

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     今年の初夏に美代子さんから分けてもらった茗荷を箱庭に植えたが、日当たりが
     良すぎたせいか、茗荷が出てくる気配がなく諦めていた。
     二週間前にのせた枯葉を、そ~っと覗くと、二つ茗荷を見つけた時の嬉しさ!  
by arata-tamiko | 2013-09-15 13:11 | 諸々の出来事 | Comments(0)

膝の痛みの激減とAquacize

フィジカルセラピーに通ったのが9回、我が家でする足にかけた平べったいゴムでピンコシャンコと足を上げたり下げたりの単純な動作のエクササイズが5回で、膝の痛みが殆ど消え、階段の上がり降りもスタスタ。
膝を曲げて、お風呂の掃除が出来るようになったのも嬉しく、足の爪も切ることができる。

唸るほどの激痛で夜は安眠できず、昼は昼で歩行困難だったのに。
どうしてこのような治療が日本で普及しないのか?と姉と話していたが、姉から、「分かったわ。理由が。」と、電話があった。
姉流の説によると「薄っぺらな日本のドアは、ドアの隙間と壁に挟んだゴム帯を引っ張る動作をしていたら、ドアごとはずれるからよ。そして天井まで落っこちてきたりしてね。」だそう。

歳を取るごとに、姉妹は体質が似てくる。
姉は「ちょっと、私もその動作をしてみようかしら。」と、物干し台の手すりに掴まって、青空の下でお尻を突き出したヘッピリ腰の体勢を、何十回もしているそう。
「それって、近所に事情を説明してからした方がいいかもよ。でないと、ご近所で、そのあられもない姿が噂になるわよ。」と、私。
昔主人の田舎の奄美で、女性のお年寄りが着物の裾をはしょって野原でオシッコをしているのに驚かされたが、それと全く同じ姿勢そのものだから。

定期健康診断の際、主治医に「あんな簡単な動作で、、と、初めは眉唾ものに思えたけど。」と、驚きを話すと「あなただけでないのよ。皆同じように思うの。」と、笑っていた。
コルステロール、血圧、血液の酸素と、体重を除いて全て褒められた。
「どうやったら、貴女のように細くなれるの?」と訊くと、「今までよりも量を少なくして食べなさい。」との助言だが、それが出来ないからこうなったのに。
ジムに行く必要はないと主治医もフィジカルセラピーと同じことを言い、プールのアクアサイズのクラスを取ったことを話すと「それは助けになるわ。」と、勧められた。

「関節炎は治癒できないが、痛みはこのエクササイズを続ける限り大丈夫よ。」とのこと。

   晴天
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     友人から分けてもらった茗荷の根から、こんなに育ちました。
     でも、被せた枯葉の量が少なかったせいか、今年は茗荷が採れそうにありません。
by arata-tamiko | 2013-09-11 22:12 | Comments(0)

私のお客様たち   9/6/13

お客様の奥さんから、「子供二人を保育園に預けるとなると、一ヶ月三千ドルになるのです。」と、相談を受けた。
日本で医師の彼女は、二年間休むと、ある資格の免許が無効になるため一年間はボランティア的に働かないといけないのだそう。

彼女の三歳の男の子は、元気一杯。
下の10ヶ月の女の子は、お人形のように可愛く大人しい。
こんなに静かな子なら、これ幸いと保育園の部屋の隅に一日置いておかれるのではと心配になってくる。
私が働いていないのなら、喜んで引き受けるのにと思いながら、何か名案はないかと思案していると、ハッとMさんの顔が思いついた。
「そうだ。4人の子育てをしながらも、皆から頼られ八面六臂の活躍をしているMさんが、最適だ!」。
そしてベッドに入った。

その夜、夢の中で私は、この素晴らしい発想に生き生きしてMさんの家に向かっている。
「あなたも知っているXXさんね、これこれの事情で。」と、説明をしている私の言葉をさえぎって、「ごめんなさい。私五番目が出来たのです。」と、照れたように笑いながら言う。
私は、「なんてことをしてくれたの!」と、呆れている。

翌日、彼女宅に行って、この話をすると、ご夫婦で爆笑しながら、「絶対にそんなことはありません。絶対に5番目は出来ません。」と断定をしているが、この世の中”絶対”と言うことはありえない。
「もうこうなったら四人みるのも、五人みるのも同じよ。」と、Mさんを納得させる。
Mさんの帰国時期と合えば上の子をみてくれるそうなので、帰国が延期となるように願っている。

     素晴らしい秋晴れ
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      四日前に到着された平井さんの女の子二人は、二卵性とは言え全く似ていない。
      右の清楓(さやか)ちゃんは、お父さんそっくり。
      髪の毛も生まれてから切ったことがなくとも、この長さ。
      左の絢椛(あやか)ちゃんは、お母さんそっくり。
      こちらは髪の伸びが早く、何度も切っているそう。
      奥さんの従妹二人も双子を出産しているそうで、DNAの凄さを知る。(父親サイド)
 
by arata-tamiko | 2013-09-07 13:10 | 諸々の出来事 | Comments(0)

乳癌で切除された乳房再建手術   8/31/13

ジムよりも“Aquacize”が良いとセラピストから勧められ、何十年ぶりに水着を買いに出かけた。
夜8時過ぎの閑散としたデパートの売り場で、親切な女店員が売れ残った数少ない水着の中から一緒に探してくれる。
色もデザインも好みではないが、この体型がおさまれば文句は言えない。
「貴女に会えて良かったわ。フルタイムで働いているの?」と聞くと、「二度目の手術で暫く休むの。」から、彼女の話が始まった。

去年の八月に乳がんの定期検査を受けた結果は「問題なし」。
十二月に入ると胸あたりに何か異変を感じ、同じ病院で再検査をすると既にステージ3だった。
「ここには二度と戻ってきません。」と、世界的に有名なDana-Farber Cnacer Instituteへ電話をすると、Dr. M. Cartyを紹介され、腕下のリンパ節へ転移していたため一ヶ月間のキモセラピーが続いた。
そして、彼の執刀のもとで12時間に及ぶ“Deip Flap”の手術を受けたそう。

「お腹の周りのTissue(神経「筋肉」組織)を切り取って、両乳房を切除したところに埋めて、残した皮膚を引っ張る乳房の再建手術(Breast Reconstruction)なの。」
(You Tubeで観ることができる)

「で、乳首もあるの?」

「そうよ。それも作ったのよ。」

「でも、少し色がついていないと変でしょう?」

「だから、次の手術は、中をクリーンにするのと、刺青で色をつけるの。」と、彼女が先に笑ったので、私も遠慮せず一緒に笑ってしまった。
アンジェリーナ・ジョリーとの違いを聞くと、「彼女はTissueの代わりに豊胸手術に使われるシリコンバックを入れたの。でも、何年に一度は取り替えないといけないし、破れる恐れもあるので、Deip
Flapを選んだわ。」

「私は、長年携帯電話を胸にあてていたから乳癌になったのかも。」

「いつも胸にポケットがある服を着ていたの?」

「違うの。ブラジャーの中に入れていたのよ。仕事中でもバイブレーションですぐ分かるから。」と、見せてくれたので、また二人で大笑いとなった。

「もう一つの原因は、生まれも育ちもLong Islandなの。そして乳癌の発生率が他州よりも際立って高いのは、巨大なパワーラインが走っているからだと言われているの。私の友人の4人が乳癌なの。」

このニュースは知っているが、現実に初めて患者から聞いた。

   少々、蒸し暑い
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   Gabeeのふっくらした胸に「まるで本物みたい。」と触らせてもらうと乳房の感触そのもの。
   「また来るわね。」
   「退院したら、二階のバッグ売り場に移っているからね。」と、別れた。
by arata-tamiko | 2013-09-01 12:20 | 諸々の出来事 | Comments(0)