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日本人には、あり得ない行動と韓国人が言う。   3/27/13

Reliableマーケットで、沢山の食料品を胸元に両手で抱える日本人の奥さんに、「落っことしますよ。バスケットを持ってきましょう。」と、声をかけると、「いいえ、大丈夫。」と、言われた。
案の定、すぐその後に瓶を落っことし、床にガラスと黄色いドレッシングが飛び散った。

店主の女性と店員が一緒になって、瓶の破片を集め、モップをかけている間、彼女は、同じ品を持ってきて、カウンターの上に他の商品と一緒に置いた。
大人しいタイ女性のナタリーは、「どうしたらいいの?」と言った目で私をチラチラ見ながら、品物をスキャナーにかけている。
もし、お客に少しでも払う仕草があれば、「どうぞ心配しないで。」と、気持ち良く私は言いたかった。
が、彼女から、すまないと言う態度は全く伺えず、何事もなかったような平気な顔をしている。

合計金額が出たところで、ナタリーに「割れた品の代金もチャージをしてね。」と、言うと、ホッとした顔で、加算をした。
すると、その奥さんは、「エッ、どうして私が払うんですか?」と、呆れた顔で私に詰め寄る。
「貴女が割ったのですよ。そうしたら払うのは当然ではないですか?」と、笑顔で言ってあげた。
「信じられない、払わせるなんて。私、このドレッシングいりません。」と、新しく取ってきたものを返すので、「ナタリー、では、チャージするのは一本分だけね。」と、穏やかに言った。
彼女の顔は、怒りで歪んでいた。
ナタリーは、「日本人で信じられない。韓国人ではないの?」と、聞いた。

このことを、韓国人の友人、Hさんに話すと、「それは、絶対韓国人ですよ。韓国人は決して自分の非を認めず、何でも人のせいにするのですから。」と言う。
「いいえ、日本人ですよ。」と言うと、「あなたが知らないだけで、日本語を話せる韓国人ですよ。日本人は必ず悪かったと言う態度を見せます。」と、韓国人であると言って、韓国人の彼女は譲らない。
「Hさん、貴女が知る日本人は戦前の日本人で、今は変わりましたよ。」に、「そうですか。」と納得しないのが、ますます持って可笑しい。

「Hさん、ある本に書いていたことを聞いてください。」と、台湾人の黄文雄氏の著作に「韓国人の意識構造」として書かれている一章節を読んであげた。

「自分は無謬。悪いのは全て他人。字を上手く書けないのも筆墨のせい。餅をうまくつくれない女は、まな板のせい。暮らしが悪ければ祖先のせい。事業が上手くいかなければ墓のせい。」
(無謬: 理論や判断にまちがいがないこと)

「本当に、韓国では、昔そう言いました。」と、笑いが止まらないHさんだった。

   晴天、暖かし

                  澄み渡る音色
by arata-tamiko | 2013-03-28 10:10 | 諸々の出来事 | Comments(0)

アサヒ靴の”快歩主義”   3/25/13

新しいアサヒ靴が手に入り、前のようにお客様に、「破れているのですが、これほど履き易い靴が他にないものですから、手放せないのです。」と、言い訳をしなくとも良くなったのが嬉しい。

子供の頃から、感動をすると相手に思いを伝えたく、いろいろな人々に手紙を書いている。
今回も、この喜びと、靴で苦労する人々を理解し、思い遣ったデザインをされた方々への感謝、そして彼らの素晴らしい仕事を高尾社長に知ってもらいたく手紙を書かずにはいられなかった。
日本から靴を運んでくれた、Y先生も、試しに日本で一足購入した靴に、「四十数年間、これほど気持ちの良い靴は初めてです!」と、感激していることも。

すると、高尾社長本人から、手紙を頂いた。
人柄が全文に溢れている余りにも素晴らしい手紙文なので、是非皆様に読んでもらいたく、氏の承諾なしに紹介をいたします。

 拝啓

 この度は、弊社健康シユーズ 快歩主義 を御購入、御愛用頂き誠にありがたく存じます。
 加えて、先日は、心温まるお手紙を頂きまして、嬉しく拝読致しました。
 弊社のネット販売窓ロヘお寄せ頂きました、現在御愛用頂いています 快歩主義 の写真を
 拝見し感銘を受けました。 靴の上部がすでに破けた状態で尚、履き続けておられる様子が
 偲ばれました。弊社の靴が新田様の生活の一部となつていることに、靴屋冥利の気持ちを
 強く感じました。
 ご苦労の末、新たに3足の快歩主義をご購入頂き、更にお礼のお手紙まで項戴レ大変恐縮
 しております。
 今回のことを社内の会議で社員へ紹介しました所、皆が感動し全国のアサこ
 社員へ伝える事にしました。快歩主義を開発した商品部門の皆も大変喜んでいます。
 遥か彼方のアメリカはボストン在住の方に、これほどまで愛用されている靴を私たちが
 手作りしている事を日本全国の皆様に自信を持つてお届けしようと勇気が湧いてきました。
 ありがとうございました。

 この感動と感謝の気持ちを伝えたくて、御無礼を承知でお手紙を差し上げた次第です。
 厳しい寒きが続いております。ご自愛の程お願い申し上げます。
 末筆ながらt御礼まで。

                                                 敬具

                                       アサヒコーポレーション
                                       高尾 芳樹                           


姉いわく、「この社長さんも、きっと甲高だん広足で、靴に苦労していたのよ。だから、このような企画が生まれたに違いないわ。」とのこと。

   晴天
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           お客様が来ると、このロープを持ってきて引っ張れと要求するチビ
by arata-tamiko | 2013-03-26 11:12 | 諸々の出来事 | Comments(0)

李完用の掛け軸 (終わり)   3/22/13   

曾孫であるKさんの、お母様は幼稚園は学習院。それから朝鮮の貴族や上流階級の子女が通学する、京城(ソウル)にある淑明高等女学校で、大学は再び学習院。
1914年生まれのお父様は、旧制武蔵高等学校から、東京帝国大学の法科に進み卒業されている。
日本人ですら、経済的に不可能な時代に、朝鮮人の親が子供にそれだけの教育を受けさせるとは、よほど裕福だったのだろうと、訊いてみると、郡の地方長官だったとのこと。

韓国の友人、Hさんに話すと、開口一番,「それは相当な親日家ですね。」と、言った。
「なぜ?」と訊くと、「私の父親のように、当時の朝鮮人は京城帝国大学に行く人が多いのです。それを、狭き門の東京帝大にまで留学させるのですから。」
(ウィキペディアに「一学年の定員80名」とある。日本のみならず、朝鮮半島、中国そして台湾からの精鋭が集まっての受験者の中での合格だから、お父様はエリート中のエリートだっただろう。ちなみに、Hさんは、淑明高等女学校。)

戦前判事だった父親は、戦後は親日とみなされたのか政府機関の仕事に就かず弁護士をしていた。
そして、1965年、朴大統領が結んだ「日韓基本条約」により、日本企業が進出するにおいて、韓国政府や昔の同級生から声がかかり、お父様の活躍が始まった。

夫婦間でも日本語で話していたほどの日本語、日本留学中の英才教育で学んだ英語。
そして母国語である韓国語の三ヶ国語を流暢に使える才能がある彼を日本の大企業は争って求めた。
「書斎の机上に、山積みにされた書類に毎日向かっている父親の姿が強く印象に残っています。」
「三菱から招待された日本旅行は、語ることが出来ないほどの大名旅行でしたよ。父親が亡くなった後にも、私達家族は、日本一周旅行に招待されて、名所旧跡を案内をされました。」

お父様は良い仕事をしただけでなく、人物的にも慕われていたのだろう。
Kさんと、十数年前に知り合っていたなら、ご両親に会って、いろいろなお話が聞けたのにと、実に残念。

韓国には、日本のような習慣がないようで、頂き物に対して後日に何の言葉もない。
しかし、Kさんは、「ありがとう。」の、お礼と共に、どのように美味しく味わったかも話してくれるので、日本的な育ちを感じさせる。

   風の冷たさ、真冬なみ
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          北京(ブッキョン)は、中国風の韓国料理店
          頼んだ甘辛エビの小サイズ、その量の多さにビックリ!
          料理だけでなく、白菜、大根キムチ、付きだしに出る茄子も美味しい。
          お薦めです。

                     151 Brighton Ave. Allston
     
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                   Buk Kyungの奥さん
          日本人生徒の多い、ローレンス小学校のバザーに寄付をしてくれた 
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                           店内
  
by arata-tamiko | 2013-03-24 10:40 | 諸々の出来事 | Comments(0)

李完用書の掛け軸の釈文(2)   3/20/13

  電話もせずに訪問をした私を、ご夫婦は暖かく招き入れてくれた。
河内先生からの釈文を目にするお二人に、先生が受けた感想の「風格」「儒者」を漢字で書いた用紙をお見せすると、奥さんは、とても喜ばれた。
李完用直系曾孫である、彼女は70代初めなので、日本語を話せないが、漢字を理解する年代。
つくづく漢字の威力を知る。
80歳過ぎた御主人は、かなり上手な日本語を話す。

「貧しさで亡国の危機にさらされていた朝鮮は、日本か、ロシアに助けを求める以外の道しかなかったのではないですか?当時朝鮮を訪れた外国人は、おしなべて”これほど民衆が疲弊し、貧しい国は見たことがない”と、書いています。このような歴史を、今の韓国民は知っているのですか?」と、聞いた。
”日本から搾取され、食べるものにも事欠いた。”と、言いますが、人口が急増しているのですから、矛盾が生じます。私の親しい韓国の友人は”そのような人々は、植民地にならなかったとしても食べていけない人なのです。”と、言うのです。」に、彼女は笑った。

「国を去って60年以上経ちますから、現代の韓国の教育を知りません。でも私達親族の間では、日韓併合の調印をした後は、田舎で隠遁生活をするべきだったと言っていました。日本から侯爵の称号をもらうべきではなかったのです。」

墓を暴いた人々が、石碑を自分達の墓に使っているとは、日本人には考えられない行為だが、「きっと何か財宝でも一緒に埋められていると思ったのでしょう。」と、苦笑いをしていた。

手入れがされた庭園で撮られた李完用の家族写真に、孫の一人が日本の着物を着ていることからして、日々の生活に日本がかなり入っていたのだろう。
漢字のみで、写真の人物説明があり、ハングルが一切使われていないのも興味深い。
二人とも、中学生くらいの男の子に記憶が全くないそうで、「きっと妾の子だろう。」と、なったが、普通は決して家族写真にも系図にも載らないのにと不思議がっていた。
親類が集まって先祖の法事をする時でも、妾の子は一歩も家に上げてもらえず、終わるまで門の外で頭を垂れていなければならなかった差別を受けたそう。

つづく

   やっと晴れた
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              是非にと言われ、夕食に韓国の餅スープまでいただいた。
by arata-tamiko | 2013-03-21 01:13 | 諸々の出来事 | Comments(2)

李完用書の掛け軸の釈文

 1910年の日韓併合に大きな働きをし、韓国人が”売国奴”と、一番憎む李・完用の堂々とした書を見て以来、「漢詩らしきものは、何を意味しているのだろう。」と、疑問がどうしても去らない。
「そうだ。あの方だったら必ず読めるはず!確か中国の書では第一人者だった。」と、6年前のお客様だった書道家の河内氏に、写真を添えてメールを出した。
(お客様の専門分野が、広域に渡っているので、このような時には助かる。)

やはり親切に意味まで添えて解読をしてくださった。

                賈誼曰。時難得而易失也。學者勉之乎。天命不重
                (意味は、氏のブログで詳しく説明をされている)

これに関して書かれた先生のブログを読んで、初めて「釈文」と言う、日本語を知った。

            筆記~書の虎の巻  ( 大東文化大学 河内利治教授 )

            http://kawachi.done-labo.com/?day=20130313

「小藍という方に贈ったもので、半切大の紙に二行の行草体で書いている。字の大小、線の細太・潤渇が、非常にはっきりしていて、メリハリが効いている。上述した略歴のように、前漢の賈誼(AD200~AD168)が政治家・文人であり、李完用自身も政治家・文人であったことから、李完用は賈誼を自身に重ね合わせていたのではないかと推測する。」とのこと。

次に、「何も知らずに、この書を見せられたら、達筆だと思われましたか?」と、質問メールを出した。
すると、「世に言う達筆とは違い、風格があると思います。江戸時代の儒者の書に似ていると感じました。」との感想。

すぐに、氏からのメールをプリントして、李・完用の直系の曾孫宅に出かけた。

(つづく)

   震えるほどの風の冷たさ
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                  大きくして再度紹介します
                  漢詩に優れ、書道家としても知られていた
by arata-tamiko | 2013-03-18 11:29 | 諸々の出来事 | Comments(0)

コンクラーベ(根競べ)   3/14/13

 よくぞこれだけ発音も意味も似たものだと感心してしまったのが、今回のバチカン法王選びのイタリア語。
世界中から集まった枢機卿たちが全身全霊をもって選ぶ抜く”コンクラーベ”は、日本語の”根競べ”そのもの。

 イエズス会から初めての法王だそうで、私の田舎に初めて建った教会も同じ宗派。
送られてきたP神父も、同じようにアルゼンチン出身で両親もイタリアからの移民。
中学生だった私は、友を誘って学校帰りに建設現場に立ち寄っては神父と大工のやり取りを楽しんでいた。
深刻な建設資金不足のため、大工は一人しか雇えず、神父は一緒に汗水たらして働いていた。
黒く長い法衣を着ての労働仕事に、「脱いだら、もっと働けるで。」と、助言してあげると大笑いしていたっけ。

 何かで料金交渉が難航していた時、力自慢の若い大工は、細身の若い神父に腕相撲を申し出て、勝ち負けで決めようと提案をした。
神父は「本当、本当にいいのですか?」と、笑って訊くと、「あっと言う間に倒すけんな。」と、大工は自信満々。
神父がレスリングの選手だったことを知っていた私は、可笑しくってしかたがない。
あっけなく負けた大工は、???となっていた。

 ある日、聴かせてくれた一枚のレコードは、いろいろな人が泣き声で話しかけるように何か言っている。
日本に出発する際、家族が別れの言葉を吹き込んだのだと話してくれた。
個人がレコーディング出来るのにも驚いたが、一緒に寂しげに聴いている神父の顔を見ながら「どうして神父になったんな?苦しいじゃろー?」と、聞いてしまった。
 オペラ歌手を夢見たこともあるようで、目の前で歌ってくれる美声に、私達は圧倒された。

 年齢からして、亡くなったと思うが、生きていたら「同じ派からの法王の誕生、嬉しいでしょう。」と、お祝いを言ってあげたい。

   曇り 肌寒し

 色白で茶色の髪をした幼いウィグルの子。貧しさに、一つ、二つの飴でも盗んだのか。
 それをいたぶり、恐怖に慄くようすを楽しんで笑って見物をする中国人の異常性。
 小さな手を踏みつけられ、指が折れたのではないだろうか。
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               西洋の血が流れる彼らには、目を見張る美人がいる。  
by arata-tamiko | 2013-03-15 02:01 | 諸々の出来事 | Comments(0)

WBC 台湾戦   3/11/13

  野球に興味のない私が、WBC台湾戦You Tubeで鑑賞をし、その後にネットユーザーたちのコメントに笑わされたり苦笑したり。
勝つか負けるか、しかも延長戦の死闘なのに、戦う同士の応援席が一体となってウェーブの熱で盛り上がっている試合なんて、前代未聞。

 台湾のテレビ局が、寄付金の謝意が書かれた手製プラカードを持った応援席の日本人たちを紹介していたが、韓国サイドとしては、「わが国だって、それ相当にしているのに。」と、心中気分は良くなかっただろう。
韓国戦では、彼らが”北傀”と蔑む北朝鮮の金将軍一家の大きな顔写真を振りかざして挑発する台湾応援団。
(これが怒り狂った韓国選手たちの起爆剤になって、台湾は負けたのかな?)
反韓の彼らは、これをチャンスとばかりに韓国を貶めているのには苦笑させられた。

 韓国との試合では、勝っても負けても感情的な、しこりが残るが、この試合では、負けた台湾選手たちが円になってスタンドの観衆に礼をするマナーも加わって、日本人皆を清清しい気持ちにさせてくれた。

   晴天


      台湾応援席のウェーブに、呆れながらも興奮する若者達の声に笑わされる
by arata-tamiko | 2013-03-12 15:10 | 諸々の出来事 | Comments(0)

”さようなら”が意味するもの   3/9/13

 独身女性のお客様と仲良くなるのはもちろんだが、若い男性とも息子のように付き合ってしまう。
去年秋の方は、式を挙げた数日後に単身で来られ、京都の立派な和菓子をお土産に下さった。
見た目だけでなく、上品な味に「奥様が選ばれたの?」と、聞くと、「いいえ、ここの和菓子は僕が好きなものですから。」とのこと。

 彼の苗字が”小倉”だったので、それから彼は”小倉餡子”と名づけられ、自分でもメールに小倉餡子と書いてくるようになった。
 一昨日、一時帰国をする前に「なにか欲しいものは?でなければ、例の餡子にします。」と、メールを頂いた。

 帰国が迫った歯科医のMさんとは、一年と短いお付き合いだったが、「お別れに昼食を。」と、誘われた。
「恥かしいほど少ないのですが、僕の気持ちです。」と、30歳前の若い彼から”御礼”と書かれた封筒を頂いたのには、驚きよりも感動だった。
よほどお母様が義理堅い方なのだろう。

 特に今月は、仲良くしていた方々が次々と帰国をされる。
明日は、パソコンで大変お世話になったKさんと昼食。
「パソコン関係の後任が未だ見つかっていないので、帰国を延期できない?」と、訊くと「それは無理です。」と、真面目な彼が笑顔で言う。

 私のカレーを愛してくれた若者達に昨夜せっせと作って、今日最後の配達する。
この歳になると、再び会うこともないだろうから、「さようなら」は、本当の「さようなら」の意味をしてしまう。

   まぶしいほどの晴天
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               数日続いた雪が、昨夜やっと止んだ後の夕焼け
               春の雪は溶けやすい
by arata-tamiko | 2013-03-09 22:37 | 諸々の出来事 | Comments(0)

念願の靴が手にはいった   3/5/13

  必死に検索を続け、やっと靴の会社名が”アサヒコーポレーション”であることを突き止め、捜し求めていた靴が「快歩主義」と言う種類であることが判り、オンラインで頼んだ三足の配達先を姉の家に10分と近いY先生宅にした。

 一時帰国から戻った先生を飛行場に迎えに行くと、開口一番「ちゃんと持ってきましたよ。」だった。
しかも、その上、私の孫の好物である紀州の立派な梅干と何本かの大きなチューブ入りの練り梅も抱えて。
彼が年に数度帰国をするたびに、お母様が用意をしてくれているので、お店の人は、「なんと梅干の好きな人だろう。」と、思っているに違いない。

 靴に苦労している先生も、日本帰国のたびに、靴を買って帰るが、毎度長時間履いていると必ず痛くなるそう。
今回靴屋で、このアサヒの製品を求め三日間履き続けているが、足のどの部分も痛みを感じず、「こんな靴初めてです!」と、感激していた。
そこで私が、「でしょう、でしょう。」と、恩にきせる。

 「お姉さまから、頼まれたものも持って来ました。」と、姉からの品も一緒に入った大袋を手渡す彼に「この包みが何か知っている?」と、笑った。
「ブラジャーよ。」に、「えっ!」と、驚くY先生。
「あなたの気に入りの製品とは言え、先生にお願いするのは余りにも気の毒よ。万が一税関で開けられたら恥をかかれるわよ。」と、躊躇する姉に、「大丈夫よ。私達が恥かしい思いをするわけではないもの。」と、先生が聞いていたら卒倒してしまう。
先生のアパートに向かいながら、この話をすると、「あぁー、良かった!開けろと言われなくって。」と、笑っていた。

   また雪らしい
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     アサヒの会社社長に「見知らぬアメリカ人からも褒められます。デザイナーにお礼を。」と、
     お願いと感謝の手紙を出しておいた   
by arata-tamiko | 2013-03-06 11:56 | 諸々の出来事 | Comments(0)