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昔の広告  (2)     2/27/13

 これらの広告のことで、日本の姉に電話をすると「親が、そんな商売をしていても、誰も仲間はずれにすることもなく遊んでいたわね~。」と、二人で昔を懐かしみ想い出話。
「あの店、どこにあったっけ?」と、聞くと「あそこ辺りの貸席は一ランク下なのよ。店構えも青や赤に塗っている店が多くって、怪しげな雰囲気だったでしょう。」と、言うが記憶にあるような、ないような。

 二年前、何十年ぶりに歩いた田舎で建物を見て回った。
酔った船員や客たちの大声に混じって嬌声を上げる女達で賑わった風景が嘘のように寂れ、「こんなに貧弱な造りの家々だったのか。」と、暗澹とする思い。
子供は、自分の背丈で見るせいか、記憶にある店々は、もっと大きかった。

 これらの広告ビラには、時代を感じさせるものが、随所にある。
余りにも、ひねり過ぎて、変な日本語の広告文となってしまい、ご愛嬌。

       
                       化粧品アクセサリーなら
                       ハンドバック、
                       首飾り、ルージュ
                       なんでも揃う
                       色の調和の化粧は
                       マリクスフワクター
                       H屋化粧品店
(化粧品会社のマックスファクターが、日本に上陸したばかりで、田舎の人には、このような発音に聞こえたものと思える。ネックレスと言う言葉が、一般的に使われていないことを窺わせる)

                       おしゃれに年令はありません
                       あなたに今の世代の美しさを
                       皆に認識させてください
                       お手入れ一つがその
                       キーポイント
                       S化粧品店
(>あなたに今の~認識させてください<も、日本語文法として間違っている)

                       パーマネントは
                       東京の研究より
                       帰りました
                       最高の技術と
                       サービスの
                       S美容室
(言わんとするところは、東京で、新しい技術を学んできたので是非に試してくれと言いたかったのだろう。)

                       その髪ずいぶん新鮮ね
                       君のそのかみもチャーミング
                       彼も彼女もいいました
                       ルナルナルナが作り出す
                       私の美しさ
                       あなたのすばらしさ
                       R美容室
(今で言うところのコピーライターが考え抜いた詩的文なのだろうが、フ、フ、フっと笑ってしまう。特に最後の、”私の美しさ、あなたのすばらしさ”

                       五月を讃えませう
                       薫風に胸を広げませう
                       かろやかな姿勢になりませう
                       色とりどりの花のように
                       新着の生地と
                       若々しいモードを
                       M洋装店
(まだ旧仮名遣いで書かれ、5月ごろに作られたビラと思われる。でも、薫風に、どうして胸を広げるのだろうか?)

                       無煙無臭
                       消炭で火のつく豆炭販売中
                       貫入一六〇円
                       木炭御小賣
                       T商店
(当時は、炭や豆炭がキロではなくで売られていることが判る。百貫デブと言う表現言葉があった)

                       メートルへの切替へ
                       電灯の取付工事は
                       御気軽に御相談下さい
                       Y電気店
(尺貫法からメートル法へと変わりつつある)

   昨日から大雨が続く
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                         春は、もうまじか
by arata-tamiko | 2013-02-28 10:54 | Comments(0)

昔の広告 (1)     2/24/13

 生まれ育った田舎のことを調べていると、昔の宣伝ビラが掲載されていた。
宣伝文から推察すると、60年以上前のもの。

「そうだ、この店もあったっけ。はやらず、店をたたんでしまったあの家族は今どうしているのだろうか。」と、思いを馳せる。
今では信じがたいが、堂々と一緒に貸席業の宣伝も載っている。
隠語大辞典によると、この貸席(かしせき)と言う言葉は、京都地方の花柳語とある。
私達は”かっせき”と発音していて、京都風なんていった風流なものではなかった。)

 文房具と本を扱う生家は町の中心地の角地にあり、店の横丁は貸席とバーが立ち並び、一般住いと隣り合わせ。
壁一枚を隔てた隣のバーから、夜毎ストリップの艶かしい曲が流れ、それを聴きながら夕食をとっていた。
母は父に「お金を使わないでも、その気分になれるわね。」と、冗談を言ったりした。
が、だれも「教育上良くない。」なんて思わず言う人もなく、「X先生が、朝出てきた。」なんて話も、子供たちでしていた。

 セメントと漁港で賑わった町は、船が入ると貸席の稼ぎ時となる。
朝になると、家の前の大福などから男達が連れ立って出てくるのが不思議で、母親に訊くと「子供が、そんなことを聞くもんじゃない!」の、一言で叱られ、もっと興味がわく。
長火鉢の前で、年配の女将から長い煙管で叩かれている光景も外から丸見えで、今思うに一晩の客から文句があったのだろう。

 新聞紙をトイレ紙に使用している家があった時代、彼女達は、我が家で束ねた薄羽根のように柔らかく高価な、ちり紙の”さくら紙”を、買う。
母のアイディアで、束ねられた紙の間に”当たり!”券を、いくつか挟むことになり、一緒に束ねながら「あの女の人たち、どえーして、こんなにちり紙がいるんな?」と、聞くと、また叱られた。
「おじちゃん、また当たったで!」と、嬉々として戻ってくる姿を見ると、私も嬉しくなった。

 ”さくら祭り”だったか、”港祭り”だったか、のど自慢大会に、流行のドレスを着て舞台で歌う彼女達を町の皆は、やんや、やんやの喝采で、大らかな時代だった。

   雪予測が雨となった
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       前に”ばんざい”なのか、終わってから”ばんざい”なのか笑ってしまう。
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       きっと”お伽の国”にいる気分にさせると言う意味で”浦島”と名づけたのだろう。
       ここは、美人が揃っていた。
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       船は”あかつき”の早朝に出るため、寝過ごした仲間の名前を下から呼んでいる
       姿を、よく見かけた。
     
     
by arata-tamiko | 2013-02-25 01:52 | 諸々の出来事 | Comments(0)

アメリカの学校が9月に始まった経緯   2/21/13

  お客様として6年ほど前に知りあって以来、個人的な友としてお付き合いをしている方の娘さん、Kさんが春休みを利用して来られた。
難関のK大医学部一年生として前途洋々の未来があり、若い彼女は知識を吸収しようとする姿勢がある。

 30年来の友人であるG宅で、コーヒーを飲みながら、アイビーリーグの大学で生物学を教えていた彼女は、日本の大学について質問をしていた。
それから、ショッピングの話になり、Kさんが教授に買ったお土産品に「アメリカでは、ありえないわ。良い点をもらいたいがための行為と受け取られてしまうから。何十年の教師生活で、一度だけハンドクリームをもらったことがあるけど。」に、生徒として当然のことをするKさんは「エッ?エッ?」と、目を白黒。

 どうしてアメリカの学校が、9月にスタートするようになったかを、彼女の話で初めて知った。
アメリカの国、発祥の地であるこちらでは、当時ジャガイモが主食だった。
何としてでも霜が降る前の晩夏までに収穫を終えないと飢えてしまう。
そのために子供も一緒に家族総出で野良仕事をしなければならなかったので、学校は9月に始まるようになったそう。

 彼女と会った日は、何かしら学んでくる。

   寒い
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     大雪の翌日、車の屋根に高く積もった雪を乗せて走る車が止めれられていた。
     これは、とても危険で、前の車からガラスのようになった氷板が、飛んできて
     私の車のフロントガラスに貼り付いた時は、突然目の前が見えなくなり恐怖だった。
     (ミラーに写つる車を撮る)
by arata-tamiko | 2013-02-22 00:59 | Comments(0)

突然、離婚を切り出されて。   2/17/13

 ある大きなチェーンストアに日中行くと、十数年前から知っている五十過ぎのJが働いていた。
夜に働く彼女を再び見たので、「職場は辞めたの?」と、訊くと、ちょっと寂しげに「これはセカンドジョブなのよ。」と、言った。

 彼女の職場に行く用事があり、「あのお店で何日働いているの?」と、訊いてみると「二日はフルタイムで、夜は四日間。」に、「では、一週間休みなし?失礼だけど、今は一人?」と、訊いた。

「そうなの。私を置いて出て行ったの。」

「御主人に女性でも?」と、とても失礼なことを言ってしまった。

「女性なら、まだね、、、、。相手は男だったの。」

「エッ!日々の生活で気づかなかったの?」

「彼に何かが起こりつつあるとは、感じていたけど、突然”君とは結婚生活をしていけない。”と言われたわ。」

 家も失い、娘とアパート暮らしとなり、朝晩働かないと老後の蓄えもできないそう。
久しぶりに会った時、彼女の身なりの変わり様に驚かされたが、飾る気も失ってしまったのだろう。
成人した息子、大学生の娘を持つ伴侶が、自分や家庭よりボーイフレンドを選んだのだから

 とても、とても可哀想で、お客様から数日前に頂いたGODIVAのチョコレートボックスを持って「貴女をスマイルをさせるために戻ってきたのよ。」と、抱きしめてあげた。

   昨夜から雪 凍てつく寒さ

   「たかじんのそこまで言って委員会」で紹介されていた。
   インドネシアで日本語を学ぶ各地の生徒が集まって歌っている。
by arata-tamiko | 2013-02-18 14:16 | 諸々の出来事 | Comments(0)

度重なる不幸   2/14/13

 20年近くの友であるLと、あることの考えの違いで、去年初めに袂を分かつことになった。
彼女から、「もう一度話し合いたい。」と、メールと電話を何度か受け取ったが、私の考えを英語で説明をするのも難しく、このまま終わらせたほうがお互いのためと思い返事をしなかった。

 去年の夏、半年ごとの定期検査のため、カウンターで手続きをしていると、私の名前を呼ぶ人がいる。
横を見ると、その彼女がいる!
Lは、連れの男性を「兄なの。前立腺癌でね。」と紹介したが、相当に進行している様子だった。
別の医者ながら、アポの時間が全く同じとは奇遇だったが、Lの顔を見ながら半年ぶりに私の心の内を、率直に話すことが出来、心のウヤムヤが消えて気持ちがスッキリした。

 今朝、彼女からメールが入ってきた。
昔のように友情を持てたら、、、と、始まり、「離婚をした一人住いの兄のため、毎日兄の家に通い看病を続けてきた。ある日帰宅をすると、眠ったように主人がベッドの上で亡くなっていた。そして二日後には兄も逝ってしまった。」と、書かれていた。
慰めの言葉もない。
お悔やみのカードを買いに走る。

   この冬初めてチビと散歩をするほどの陽気
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                         京城 (現ソウル)
                     この町並みを見てみたかった。
by arata-tamiko | 2013-02-15 17:06 | 諸々の出来事 | Comments(0)

Lに襲った不幸   2/14/13

 20年近くの友であるLと、あることの考えの違いで、去年初めに袂を分けることになった。
彼女から、「もう一度話し合いたい。」と、メールと電話を何度か受け取ったが、私の考えを英語で説明をするのも難しく、このまま終わらせたほうがお互いのためと思い返事をしなかった。

 去年の夏、半年ごとの定期検査のため、カウンターで手続きをしていると、私の名前を呼ぶ人がいる。
横を見ると、その彼女がいる!
Lは、連れの男性を「兄なの。前立腺癌でね。」と紹介したが、相当に進行している様子だった。
別の医者ながら、アポの時間が全く同じとは奇遇だったが、Lの顔を見ながら半年ぶりに私の心の内を、率直に話すことが出来、心のウヤムヤが消えて気持ちがスッキリした。

 今朝、彼女からメールが入ってきた。
昔のように友情を持てたら、、、と、始まり、「離婚をした一人住いの兄のため、毎日兄の家に通い看病を続けてきた。ある日帰宅をすると、眠ったように主人がベッドの上で亡くなっていて、二日後に兄も逝ってしまった。」と、書かれていた。
慰めの言葉もない。
お悔やみのカードを買いに行った。

   この冬初めてチビと散歩をするほどの陽気
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                         京城 (現ソウル)
                   戦前の、この町並みを見てみたかった。
by arata-tamiko | 2013-02-15 17:06 | 諸々の出来事 | Comments(0)

アメリカの健康保険   2/12/13

 歳を取ることは、何も良いことはないが、強いてあげれば健康保険くらいかな。
65歳から、国の補助があり、前に掛けていた月額の三分の一ほどになったが、それでも毎月の自己負担は$200を越す。
しかし、半年毎の健康診断は無料で、眼科、骨粗鬆症、乳癌の検査の自己負担は$15と、私にしてみれば夢のよう。

 自分で掛けていた前の保険は、$5,000以下は自費だったから、健康診断など一切受けたこともなく、医者にかかったこともなかった。
恩恵を受けたとたん癌になり、腎臓と腎盂の摘出手術を受けた後、送られてきた請求書と自己負担額の数字を眺めながら、「今までの保険金を全部取り戻した!」と、とても得をした気になってしまった。

 6ヵ月毎のチェックアップにかかる時間は3,4分ほど。
受け取る請求書に、以下のように書かれている。

1)  CYSTOURETHROSCOPY           (膀胱鏡検査)   $1,704
2)  CYTOPATH SELECTIVE CELLULAR EN  (細胞検査?)   $ 257


 合計で$1,961.   ( 自己負担は$50 )

またもや「得した!」と、その気になってしまう。

 お客様の腎臓移植外科医に聞くと、「日本では5万円ほどではないでしょうか。」とのこと。
アメリカは、保険がないと死ぬしかないと言うことか。

   日中温度6度  雪が融け始める
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                  真冬に、こんな不気味なキノコが生えている
by arata-tamiko | 2013-02-13 13:23 | 諸々の出来事 | Comments(0)

アメリカの不動産屋   2/10/13

 不動産屋にも、いろいろあるが、Mと言う名の女性とは十年以上のお付き合いの中で、一度も嫌な思いをさせられたことがない。
「空きがあるけど、あなたのお客様を満足させられるものではないから、もうチョット待っていて。」とか、「部屋には問題がないけど、大家がね。」と、いつも考慮をしてくれ正直に話してくれる。
また、どのような質問にも必ず明確な答えが返ってきて、その几帳面さに、「アメリカ人だから、いい加減とは、彼女の場合には当てはまらないな。」と、常々思されていた。

 「二年目は、25ドルの家賃値上げとなりますが、更新をしますか?」と、Mから問い合わせのメールが来たので、お客様に訊いてみた。
「二年契約と思っていたのですが。でも、それくらいの値上げ幅なら構いません。」との返事。

 メールのやり取りを調べてみると、彼女は申込書が送られてくる寸前に一年契約を二年と変更した。
Mの事務所のスタッフから送られた申し込み書の期間の項が一年でタイプをされていて、必要事項を書き込んだ彼女は、そのまま送ってしまい、契約書が作成されている。

 すでに深夜の11時近かったが、この現状をメールで説明をすると、「分かったわ。大家と話して、家賃は据え置きとします。」と、返事があり、「貴女は人として誠実で情けがありますね。だから、私は貴女のことが大好きなのです。」と、お礼のメールをだした。
夜中12時過ぎだったが、「私も、あなたに対して同じ思いを持っています。」と、返ってきた。
とても気持ち良く眠りにつけた。

   昨夜の豪雪が嘘のように暖かい青空
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         チワワの血が入る、チビは足の裏に毛がなく雪の上を歩くことができず、
         一日中でもオシッコを我慢する。
         もし雪の上に置いたなら、悲鳴をあげて世にも悲しげに泣き始める。
         玄関のポーチに積もった雪をスコップでかき上げて、チビのオシッコの
         空間を作った。
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      それから道路に出る道を作りながら、東北の過疎地に住む年配者たちの苦労を思う。
by arata-tamiko | 2013-02-11 02:00 | 諸々の出来事 | Comments(0)

「売国奴」と呼ばれる李完用筆の掛け軸   2/7/13

  今日は久しぶりに韓国の友人Pさん御夫婦を訪ねた。
長年蒙古に支配されていた朝鮮の歴史を証明するがごとく、顔立ちだけでなく、80歳過ぎた彼は180センチはある堂々とした体格で日本人とは異なる。

 百数十年に建てられた大きく古い豪壮な屋敷に住み、家の前の土地を耕し畑として、丹精して育てた野菜類を、道行く見知らぬ人々に分け与えるのを趣味として生きている。
多種の野菜の育成は趣味の範囲を超えて、人は足を止めて見惚れてしまう。

 生憎と奥さんはNYに住む妹さんと出かけたそうで、暇を持て余していた御主人から「話していきなさい。」と、ドアを広く開いてしきりに勧める言葉に甘えて上がり込んだ。
日本語の上手なPさんに「李完用の直筆はないですか?」と、尋ねると「ありますよ。」と、古い引き出しを軋らせて掛け軸を取りだした。
彼の奥さんは、韓国人が「売国奴!」として、一番憎悪する日本による韓国併合に大きな働きをした政治家の一人娘の長女。
奥さんがいると、聞きづらいことも今日は留守。
「義母の方は、どんな方でしたか?」と、訊くと「お姫様みたいでしたよ。日本の学習院ですからね。出生証明書には”貴族”と書かれていました。」
(4年前に亡くなられた彼女を尋ねて話を聴かなかったことが、とても悔やまれる。)

 夫婦間では、どうしても意見の食い違いが出るので、李完用や歴史についての話は一切しないそう。
義父は戦前の東大法科卒業。
解放後の韓国の立法に携わり、日本の大企業と交渉の際に弁護士として活躍をした。

   明日の暴風雪警報が嘘のような晴天
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     町が、新しく下水道とガス管を敷くのに、家の前の道路を掘ると地面下に何百メートルに
     渡って、この石が敷き詰められていた。水はけを良くするためでもあったそう。
     捨てると聞かされたPさんは、「もったいない。」と、一人で家まで運んで石垣を作った。
     交通整理をする警察官や道路工事の人たちも、驚きながらも協力をしてくれた。
     200年以上昔、ヨーロッパから商品を運んでくる帆掛け船のバランスを保つために
     これらの石を船底に重石として使った。
     帰途の船は、この地に多い湖から切り取った巨大な氷の塊を船底に積んで重石とし
     遠くはインドまで運び商売とした。
     (Pさんが前に住むHarvard大学の歴史学者より聞いた話)
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              見事な筆跡!   李完用の号である一堂が左に見える  
by arata-tamiko | 2013-02-08 10:18 | 興味ある話 | Comments(0)

お客様の出世を喜ぶ   2/5/13

 今日は、この重い身すらも飛び上がるほど嬉しいお便りを頂いた。
それは、15年前にHarvardに留学をされていたお客様のUさんから。

 中国と問題が起こるたび、外務省で中国専門の彼の話を聞いてみたいと切に願っていたが、最近の住所もメールアドレスも分からない。
しかし、今回つくづく物事には定まった順序の道があると思った。
( Uさんの名前を入れ、必死に検索をしてみたが、メールを頂いて彼の名前の漢字が違っていたことに気づいた。)

 数ヶ月前に、同じ頃MITに留学をされ親しくしていたIさんを想い出し、検索をしてみると、やはり見込んだだけあって、研究室を持って活躍をされている。
(漢字で”光量子科学”とあり、理解できない研究内容)
他の人の話では、彼は東大きっての秀才と言われているそうで、確かに聡明、理知だけでなく、若いながら人間味に溢れていた。
 そして最近Face Bookを始めたUさんがIさんと繋がり、私の近況を聞かれたと書かれていた。
つまり、15年ぶりにIさんにメールを出したことから、Uさんとこうなることが既に始まっていたのだ。

 あの頃は、日本からの精鋭が揃っていて、我が家で度々の話会をした。
ある時、MITの留学者たちが話す難解な研究内容を自衛隊からの陸海空の三人は質問をしながら楽しそうに話し合っていた。
私は側で料理を作りながら「流石に防衛大のトップとなると、こんな畑違いの研究でも理解できるのだな~。」と、そちらに感動しながら聴き入っていた。
今では彼ら三人とも、国を担う自衛隊のトップとなっている。
日本の姉は姉で「そんな人たちと話が出来る、あなたの方にもっと私は感動するわ。」と、言われた。

 このころ、NECの駐在員からパソコンを習い、メールが出来る余りの嬉しさに電話をかけまくり、Uさんにも「メールをしてください。」と、お願いをした。
帰宅をした私、慌ててUさんに「お願いをしておきながら、パソコンのスイッチを切って出かけてしまいました。送信を何度も試みたことでしょうね。すみません。」と、お詫びの電話をかけ、「本当に習ったのですか?」と、笑われたのも懐かしい思い出。

 Iさん御夫妻へのメールの最後に、「今では、写真も取り込めるようになりましたよ。」と、ご夫婦が置いていってくれたスリッパの写真を添えて出した。
この方も見込んだだけあって、中国で参事として活躍をされている。

     雪が降り始める
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                          15年前に頂いたスリッパ
by arata-tamiko | 2013-02-06 16:08 | 諸々の出来事 | Comments(0)