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中国人から議論を求められる   9/29/12

 来られたばかりのM先生の奥様は、知れば知るほど愛らしい性格。
いつもニコニコした小さな丸い顔に丸い目と丸っこい鼻先が何とも言えず愛嬌を添えている。

 何事も御主人の助けを求めるので「少しは自分で考えてしてよ。」と叱られているのが、また可愛い。
店員に「Excuse me.」と言って話しかければいいのだからと教えた御主人、スタスタと歩いて「イックス キューズミー.」と言う奥さんの姿に「よし、よし。」と、満足したそう。
するとすぐ御主人に向かって「来て、来て。」と、奥さんが手をこまねくそうで「”何やってんだよ。”と、言いたくなりますよ。」と、こぼすのには笑ってしまう。

 Hマートで食事をしていると、チラチラとこちらを伺っていた隣席の若い中国人らしき男性が「日本人か?」と聞いてきた。
「そうだ。」と返事をすると「中日間の歴史について、どう思うか?」とか「どうして日本がしてきた過去の過ちを我が国にドイツのように謝らないのか?」と言い出した。
「今、日本に住む中国人は日本人から酷い仕打ちをされていないか?」と、愚かな質問をする。

「私達は中国の国民みたいな無頼の輩ではない。それに、貴方の国へは莫大な援助をしてきている。北京の地下鉄は誰が作ったか知っているのか?」など等、言い返したい。
しかし、彼は笑顔を見せながら、心中はウズウズして私の反論を手ぐすね引いて待っているのは明らか。

 「ここは、そのような話をするに相応しい場所ではないし、私は歴史に疎い人間です。」と、同じく笑顔で、やんわり言った。
彼は同僚らしいアメリカ人も同席していたので、それ以上は追求してこなかった。
その後は可愛いM先生の奥さんに、いろいろと話しかけ質問を始めたが、議論をふっかけられた事も理解していなかった彼女は、今度もニコニコして聞いていたのが「キュート」の単語だけは分かったようで「あらっ?」と顔を赤らめた。
「すごい!他の単語は理解しなくってもCuteだけは意味が解るとは!」と褒めると「私、そこだけ解ったんです。」と、恥らうのが、また可愛い。

 この男「必要なときは、いつでもどうぞ。」と、Bank of Americaの名が入った名刺を彼女に手渡した。
この臆面のなさが日本人と中国人の違いだろう。

   日中も肌寒い
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             何か障害があり、こうやって錘を背負って歩かせるのだそう
by arata-tamiko | 2012-09-30 13:08 | 諸々の出来事 | Comments(2)

ついからかってしまいたくなる   9/27/17

  「あの~。」と神妙な声で電話がかかってきたので、何事か!と構えると「頂いたものが、どうしても見つからないので再度お願いできますでしょうか?」と言う。

「たったそれだけの事で大の男が、そんな情けない声を出してどうするの!」

「いゃ~”しっかりしなさい!”と怒鳴られそうだし、またお手間を取らせてはいけないと思いまして。」

「もう一回プリントすればいいだけのことでしょう。」

「それと、ついでと言っては何なんですが、、、。」

「次は何ですか?」

「先日のテレフォンカードの余分を買っておいて下さるとのことでしたが、、、、。」

「買っておきましたよ。5枚あればいいでしょう?」

「有難う御座います。ところで、おいくらでしょうか?」

「一枚が5ドルだから5X5=$50よ。」

「エッ?5X5で$25では?」

「さすが日銀さんね。計算が速い。日銀ではそうかもしれないけど、私流の掛け算は5X5は50なのよ。」

翌日お会いして5枚を上げると、30ドルしかないので5ドルはお礼の手数料としてくれると言った。

「ちょっと、日銀さん、たったの5ドルの釣り銭をもらったとなるとTamikoの名が廃るよ。くれるなら、日銀で刷って5,000ドル分くらい頂戴よ。」

「それだったら、僕が欲しいですよ!」

 未だ一ヶ月ほどしか経たないお客様。
仕事で派遣されているし、年齢からすると結構な役職なのだろうが、好人物で、私の子供の年齢ともなると地位などは関係なくなって、お互いに好きなことを言い笑いあっている。

   秋晴れ
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       急ぐ時に、通過する船舶のために飛行場入り口直前にある跳ね橋が上がると
       泣くに泣けない。
by arata-tamiko | 2012-09-27 21:15 | 諸々の出来事 | Comments(0)

新しいCanonのプリンター   9/24/12

 十年近く私の仕事を手伝ってくれたCanonのプリンターが遂に壊れた。
一日も無くては困るもの。
早速、パソコンに強い独身のKさんに電話をして「夕食を作るからお願い。」と、二人の日程調整。
もちろん夕食を御馳走しなくても快く来てくれるKさんだが、私には他にお礼をするものがない。

 買う前に一応調べてみたいと彼はインクタンクを全部取り外し、綺麗に拭き取り掃除をしてから試すと、黒色の文字は鮮明にプリントされるが、カラー写真が汚い。
再度掃除をしようとする彼に「もう潮時だから、新しいのを買いましょう。」と、二人でStaplesに出かけ、もちろん日本製のCanonを購入。

 古いプリンターは300ドル以上で購入したが、これだけ使ったのだから壊れても惜しくはないけど、何でも買い置きをする癖のある私は、100ドル近いインクを買ったばかり。
それが悔しい。

 もっとスピードの早い新製品を買いたいと思いながら、壊れないので捨てるわけにいかず使ってきた。
姉など、結婚して20年経っても壊れない掃除機を思い切って2階から落として「掃除機が壊れたわ。」と自分を納得させて新しく買ったことがある。
私は、この古い初代のプリンターに愛着はあるが、デスクの隣にピカピカした新しいCanonが座っていると嬉しくなり、セットアップが終わったKさんがする説明を胸ワクワクさせて聞いていた。

 姉から「あなたは幸せね。病気のことを訊きたいと思えば各分野の先生たちが回りにいて、こうやって器械に強い人が助けてくれ、腰が痛ければ揉んでくれる人がNYから来てくれるものね。」と羨ましがられた。

  快晴
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by arata-tamiko | 2012-09-25 12:22 | 諸々の出来事 | Comments(0)

生活保護   9/20/19

 日系食料品店のReliableを三十年経営してきた店主が、長年働いていた女性従業員と彼女の姉妹に、ビジネスを売った。
HマートがCentralに来る今となって、利に敏い彼女は今が潮時と読んだのだろう。
日本食に馴染みがない三人姉妹から、時間がある時にだけでも来てくれないかと頼まれ、友人として助けてあげましょうということになった。

 どうにも困ることは、この歳になってレジで袋詰めなどをしていると、韓国人の客が同情の目で見る。
が、思う人には思わせておけばいいのであって、正直私もその哀れみを楽しんでいたりしている。

 気づいたことは、韓国人でフードスタンプの所持者が多い。
臆面もなく、クレジットカードに似たフードスタンプのカードを出してくる。
しかも彼らは若く、いくらでも働ける健康そうな体格をしている。
ボストン社会の韓国人で一番金持ちと言われる人の姉さんが、それを使っているのには猛烈に腹が立った。
(一年に4度支払う見積もり税金を今月の17日にIRSに支払ったばかりのせいがあるかも。)

 8年ほど前に親族を頼って移民をしてきた夫婦は私より若く、ブランド服を着ていながら働いている様子はなかった。
何をして食べているのだろうかと不思議だったが、こういう事だったのだ。
彼等にノウハウを聞いてみたいものだ。

   日中でも上着が必要

 天使の歌声とは、このことだろう。
 リズムに合わせて走る馬にも感動。
 映画の出だしが”ジャン、ジャン、ジャン”と始まるのは、時代を感じさせる。


                    変声期


      あぁ~、探し出すんではなかった、、、、。
      余りにも残酷。



   
by arata-tamiko | 2012-09-21 11:34 | Comments(0)

三叉神経痛の激痛   9/17/12

  親しくしている韓国人の友人、Hさんが三叉神経痛の激痛で水も飲めなくなった。
初めは歯の痛みで歯科医に行きインプラント治療を受けたが痛みは治らない。
最終的に三本のインプラントで一万ドル以上の治療費を払ったが、痛みは増すばかり。
遂には噛む事も出来なくなり、他の歯科医から「原因は歯ではなく”Trigeminal Neuralgia”です。」と診断された。

 京大に入院をした私の義兄の検査チームだった三人の先生の一人がMaki先生。
そして、今年の春に私のお客様として来られた。
義兄はパーキンソンだったが、この三叉神経痛もMaki先生の分野だとは知らず、話をすると我が家族のように心配をしてくださるので申し訳なくなってしまう。

 80歳のHさんも長いこと研究者として勤め上げ、二人の娘も医学者なので一般人よりも知識はあるが、専門が違うし、食べることも寝ることも出来ない痛みにHさんの不安はつのるばかり。
MRIの結果、脳に何か異物が見え、それが神経に触っている可能性があるとの診断。
そうなるとgamma knife治療は考えものだと脳神経内科医の意見。

 絶望と激痛の日々の中、電話を通して息も絶え絶えの声を聞くのは辛く慰めの言葉もなかった。
昨夜「今日から飲み始めたLyricaで、水を飲んでも激痛が走りません!痛みも何とか堪えられます。」と喜びの電話。
早速Maki先生に報告をすると、今朝電話をいただき、午後は、この薬についての説明と日本での症例を説明されたメールを受け取った。

 外科医とのアポを待つHさんは「どんなに有難く、安らぎを覚えるかを伝えてください。」と感謝をするのに「12歳までの日本語教育を受けただけで”安らぎ”と言う日本語を、よく知っていますね。」と感心すると「もう古い日本語で恥かしいです。」と、彼女の口から久しぶりに笑いがでた。

 Maki先生に「患者さんと一緒になって悲しみ、喜び、笑い合う人ですね。」と言うと、謙遜していた。

   秋晴れ
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               チビが日向を探して昼寝をする季節となってきた
by arata-tamiko | 2012-09-18 12:00 | 諸々の出来事 | Comments(0)

失望させたくなくって。   9/16/12

  帰国まじかのOさんから「車の購入希望者はいないだろうか?」とのメールを頂いた。
彼女とは個人的に親しくしていただけでなく、3年前に購入されて僅か700マイルしか走ってない綺麗な車。これから来られる人に話をしてみる旨を伝えたところ「掲示板に出して売ることに躊躇していたので、とても嬉しい。」と喜びの返事。

 ところが残念なことに相手から「実際に見てから購入したいので。」と断りメール。
彼女の余りの喜びようと期待感に突然の失望感を味わせるのは可哀想で、どうしたものかと初めに「申し訳ありませんが未だ返事がありません。」と、それとなく暗示するメールを出した。
するとOさんから以下の返事を頂いた。

  実は今朝夢の中で新田さんとお会いしました。
  どこのお店かわからなかったのですが、お店の前で偶然に新田さんにお会いし、
  車の件が話題になったところで、目が覚めてしまいました。
  言葉は覚えていないのですが、新田さんの表情から察するに、難しそうと話されたのかなあなどと
  今日は夢を思い出しながら、あれこれ考えていました。
  そうしたら、今日新田さんからメールをいただいたので、驚きました。

 この話を、やはり親しくしているお客様のHさんの奥さんにメールをすると返事が返ってきた。

  遂に人の夢にまで登場して「お告げ」してしまいましたね。
  「申し訳なくて言いにくいわ。」と言い出せずにいたのではありませんか?

このHさんとは、未だ半年にならないお付き合いだが、私の心を読んでいる。   

  全部の窓を閉めて休む寒さとなった
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                       あるサイトの写真から
by arata-tamiko | 2012-09-17 00:29 | 諸々の出来事 | Comments(0)

NHK ドラマ「戦後を創った男・吉田茂」   9/13/12

 NHKドラマ「戦後を創った男・吉田茂」は、久しぶりに見ごたえあるものだった。
私が知る吉田茂は晩年の彼で、未だ20歳になったばかりの頃は彼の偉業を知るよしも無く、彼の垂れた両頬、気難しそうな口をへの字に曲げた容貌に姉と祖母にそっくりと笑ったりしたものだ。

 あの日本家屋の室内は俄仕立てには思えない古色蒼然としているが、どこの家を使ったのだろう?
惜しむらくは大磯の家が火災で焼け落ちてしまったこと。
あれだけ小道具の一つ一つにも配慮している監督やスタッフたちは、、この屋敷を使えなかったことを無念に思ったに違いない。

 演技者として初めて見る野村万作は、少々オーバーかな?と思うところもあったが迫真の演技。
それよりも昔の軍人のように背筋をピシッと伸ばして座る姿の綺麗さに見惚れてしまった。
妻の役をした女優の凛とした物腰と綺麗な日本語も文句なし。 
実際の池田勇人は、もっと堂々とした風格があったので、違和感を覚えた。

 マッカーサー将軍役の男優、特長を取らえた演技をしているが、将軍に比べると小ぶり。
軍人一家に育ち陸軍士官学校に名を残す成績で卒業をし、歴戦の軍人たる威風堂々とした威圧感が感じられない。
特にトレードマークだった色濃いサングラスをはずすと「どなたでしょうか?」と、まるで別人。
日本在住かと調べれば、ハリウッドスターで、しかもこのMA州にある裕福な町で知られるHamilton出身と知って驚きだった。

 登場人物たちが昭和の日本語を使っているのが、また気に入った。
(余談だが、余りの評判に、先日「梅ちゃん先生」を見ていたら、校医の拝命を受けた彼女が「はい。やらせてもらいます。」と返事をしたのには「それは無いでしょう。」と仰天。
最近は誰も彼も使っているが、昭和の時代には余りいい意味の言葉ではなかったし、女性は使わなかった。)


 流石に渡辺謙、安心して見られた。
吉田茂の項目を読みながら、今世界のひのき舞台で、これだけ風刺の効いたジョークを言える政治家が日本にいるだろうか?と寂しく思った。

(Wikipediaより)

終戦直後のまだ国民が飢えと戦っていたころ、吉田はマッカーサーに「450万トンの食糧を緊急輸入しないと国民が餓死してしまう」と訴えたが、アメリカからは結局その6分の1以下の70万トンしか輸入できなかった。しかしそれでも餓死者はでなかった。マッカーサーが「私は70万トンしか出さなかったが、餓死者は出なかったではないか。日本の統計はいい加減で困る」と難癖をつけた。それに対して吉田は「当然でしょう。もし日本の統計が正確だったらむちゃな戦争などいたしません。また統計どおりだったら日本の勝ち戦だったはずです」と返した。これにはマッカーサーも大笑いだった。

日米修好通商百年祭に日本の代表として訪米し外国人記者団から元気な要素を訊かれると「人を食っています。」と、すました顔で即答した。

   日中の天候は最高
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           店主が作る、ここの中華の従業員用昼食は、いつも豪華


 
by arata-tamiko | 2012-09-14 03:54 | Comments(0)

韓国人が”うどん屋”を開く   9/11/12

  韓国料理店を経営している知り合いが、カリフォルニアに引っ越す予定だと言う。
「どうして?」と訊くと、今の店が思わしくないので、最後のひと踏ん張りをするのだそう。

「CA州には、もっと韓国人が多いから競争も熾烈でしょうに。」

「大丈夫よ。”うどん屋”を開くから。今アメリカではブームになっていて儲かるのよ。」

「”うどん”って、讃岐うどん?」

「それって何?」と彼女は訊く。

「ネェ、日本に行ったこともない、本当に美味しい日本料理を見たことも食べたことがない韓国人たちが、どうして”伝統の日本料理”と銘打って商売をするの。私、納得出来ないのよ。」

彼女は、可笑しそうにケラケラと私の憤慨を笑う。

 考えてみれば、アメリカに於いて日本人が韓国料理店をしていることなど無ではないだろうか。
しかし、アメリカの多くの日本料理店、特に寿司店は韓国人経営か中国人経営。
この商魂の逞しさと言うか厚かましさは、到底日本人は持ち合わせていない。

   朝晩の寒いこと
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                   そこのけ、そこのけガチョウが通る
by arata-tamiko | 2012-09-12 12:58 | 諸々の出来事 | Comments(2)

犬食の話   9/8/12

  Kさんは、家族と離れて十年になる。
「何のために?」と、今回聞けば、吉林省では働くところも余りなく、男性も女性も海外に出稼ぎに出るのが普通なので、私が思うほどの悲惨さは感じていないようだ。
家を出るとき、取りすがって泣いた12歳の一人息子も日本から6年ぶりに帰れば、自分より背丈が大きくなっていたそう。

 日本で貯めたお金で、やっと自分の家が持て、その家を見に来た母親が「この家を買うのに私の娘は日本でどんなに苦労したことか、、、。」と、床を撫でながら泣いたと、息子と留守を守る病身の夫が電話で話してくれたそう。
まるで、韓国ドラマみたいなシーン。
息子の結婚費用が貯まったら、国に永久に帰るのだそうで、私がリタイアしたら中国に来て欲しいと言う。

 こんな胸打つ話するかと思えば、片手でチビを撫でながら兄の家で飼っていた犬の話となる。

「とても長い毛が抜ける犬で、掃除をしても駄目で兄さんも奥さんも困りました。」

「ちょっと、まさか食べたなんて言わないでしょうね?」

「どうして分かるですか?そうですよ。私は食べるないけど、家族でポシンタンを食べていましたよ。」

「だって、室内で可愛がっていたんでしょう?それを、どうやって殺して鍋料理ができるの。」

「だから小学校の娘が三日泣きました。犬だから大丈夫ですよ。」と、サラリと言うKさんの顔を唖然と見た。

犬肉は肉類の中では一番美味しく、お店で沢山売っているそう。
ひとしきり食用犬の話をしたあと「韓国人は、私達朝鮮族を馬鹿にしても同じ国の人ですよ。犬を食べるじゃないですか。日本人は食べないだから、違うね。」と、彼女の理論だった。

   蒸し暑い 夕方から雨
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            この韓国のラーメン、よりによってKancho(浣腸)とは、、、。
by arata-tamiko | 2012-09-09 13:30 | Comments(0)

Kさんの昔話   9/7/12

   火曜日に来たKさんは二泊三日でNYに戻っていったが、出発の朝も私の体を揉みながら「私が一番嬉しいだのは、前と違って体が疲れていません。とても健康な体になっていますよ。」と喜んでくれる。
疲れているとか健康になっているとか、よく意味が解らないが何度も繰り返しては、安心してNYに帰れると喜んでいた。

 彼女の昔話は笑いあり、涙ありの物語。
5歳の時に父親が亡くなり、母親は臨月寸前。そして生まれた子を入れて4人の子供を食べさせるために母親は早朝から夜遅くまで働き尽くめ。

 朝目が覚めれば、母親はいなくとも食事の用意がされており、夜は自分達が寝てから帰宅する母親を何日も見ないことは当たり前だったそう。
幼い子供たちは食器を洗う知恵もなく、一日同じお茶碗で同じものを食べていた。
「朝は綺麗になっていたから、夜遅くに洗って御飯を作っていたのかも、、。」

「布団は誰が敷くの?」と聞くと「敷く布団ないですよ。一枚に皆で寝るだから。」
「だって4人でしょう?こぼれるでしょう?」
「大丈夫ですよ。床で寝るだから。冬はオンドルがありますよ。」と、明るく笑う。

 学校で使う帳面を買うお金もなく、飼っている2羽の鶏が産む卵を一個、村で唯一の店に持って行くと帳面と交換してくれた。
(養鶏技術のない私の子供時代でも、卵が高かった。)

 Kさんが8歳になった時、母親は4人を連れて18歳年上の男性と結婚して男の子をもうける。
「好きくもないですよ。子供を食べさせるためですよ。毎日ケンカをして、あるとき納豆が一杯入った大きな鉄鍋を母親に投げたのが、わき腹にあたって医者に行くお金もないだから母親は何日も唸って寝ていました。オンマー(母親)は、本当に可哀想だの人です。」と、数ヶ月前に亡くなった母親を偲んで涙ぐむ。

「どうして、納豆がそんなに入っているの?」

「御飯が一杯ないだから、納豆をスープにすると豆が膨れてお腹が一杯になるじゃないですか?」と、そんなことも分からないの?と言った顔で私を見る。

「そうよね。とってもいい考えね。」とは言ったが、何か可笑しい。

「でもヌルヌルして、掃除が大変だったです。」と、今度はKさんは明るく大笑いをした。

   蒸し暑く遅くに大雨
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           結構美味しいと日本の人が言う、中国のパン屋で食パンを買ってみた。
           一枚取り出そうとするが、どうしても袋から取り出せない。
           しかたなく全部を取り出すと、切れていず、こんな形になった。
           中国籍のKさんが「中国人だから、仕方ないよ。」と言った。
by arata-tamiko | 2012-09-08 11:05 | 諸々の出来事 | Comments(0)