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建築イラストレイター   12/29/11

 若い頃は実感はなかったが、姉妹三人でいることの有難さを歳と共に親に感謝している。
長姉の息子である甥は美術大学にいくこともなく、あるひょんなことから生まれ持った才能を専門家に見出され独学でArchitectural Illustratorとしての成功を手にした。
50年前の生まれた日から知っている彼のNYのアパートに孫二人を連れて初めて訪れ、彼の作品の数々を見せてもらった。

 私達の父親は絵描きになりたかったそうだが、家に余裕がなく若くしてフィリッピンに出稼ぎに行き志を断念せざるを得なかった。
父は「映画館の看板画きになろうかと思ったこともある。」と話していたから、よほど悔しかったのだろう。
子供が何人も生まれてからも、母親が「お金があれば今からでもお父さんを絵の道に進ませてあげたい。」と言っていたと二番目の姉から聞かされたこともある。
 甥の父方の祖父は門柱などの飾り職人。父親も趣味で玄人顔負けの家具類を製作していたから、両方から芸術の血筋を引き継いだのは間違いないと、今回彼の作品を見てつくづく思わされた。

 ハリウッドスターのロバート・デニーロが日本人シェフと共同経営しているレストラン・Nobuが外国に開く数店舗のデザインを私達の到着前に徹夜続きで終わらせたという甥は、さぞかし疲れているだろうに孫二人は彼に魅力され離れない。
彼の住まいは棺桶製造工場を改築したという古いレンガの建物で、だだっ広い部屋、部屋のあちこちに無造作に置かれた各国の不思議な楽器、壁に掛かる彼の作品そして生活様式と、孫二人が生きてきた人生では会ったことも見たこともない人種のタイプ。
NYを歩きながら、彼のデザインによるモダンな店舗などを紹介される二人は、畏敬と羨望の目で眺め、もう崇めて止まない。

     一筆一筆が手描きによるもので、忍耐さに驚嘆させられ褒める言葉が思いつかない

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                       ダウンタウンのホテル
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                       イタリアレストラン
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                       バンコックの劇場
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                           工事現場?
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                       プライベートの住宅地
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                       都市計画
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        甥からニューヨーカーになろう!と、Ray-Banのサングラスを買ってもらった
        孫二人、意気揚々と闊歩している。
        下の男の子などは余りにも影響を受けすぎ、甥のデッサン机に向かって深夜
        過ぎまでサングラスをかけ絵を描いていた。
    
by arata-tamiko | 2011-12-30 13:11 | Comments(0)

NYで観た不思議なショー   12/27/11

21日正午、CA州からの孫二人を連れて初めて乗るチャイナ・バスでNYに住む甥宅に出かけた。
席も予約できるLimolinerにしたかったけど、全席売り切れ。

          http://www.limoliner.com/

 この中華のバスはNYまで15ドルに不安を覚え、経験者のアメリカ人や韓国人の友に問い合わせると「思う程悪くない。」との返事だったので、運を天に任せる思いで乗ってみた。
車内は綺麗とは言えなくとも着席できないほど汚くもなかったけど、着ていた服は上から下まで全て其の日に洗いたくなる。

 甥が連れて行ってくれた”Fuerza Bruta”と言うショーは時間の経つのも忘れるほどの不思議なもの。
座席は全くなく、観客全員立って殆ど天井を見上げ、スタッフにエスコートされながら右左へと動きながらのショー観覧。 
今まで見たことも聞いたこともないもので説明し難いが一見の価値がある。


   空中に浮かぶ天井一杯のビニールプールの中でマーメイドのように
   泳ぎ回る女性達。
   このプールが観客の頭上すれすれに降りてきて、彼女達に触ることも
   できる。

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          手前が北尾さんちの和奏(わかな)ちゃん
          後ろが帰国をされる吉水さんちの結希乃(ゆきの)ちゃん
     
 

 
by arata-tamiko | 2011-12-28 13:41 | 諸々の出来事 | Comments(0)

NYに行きます。   12/20/11

  今夜20日は吉水さん御夫妻の「farewell party」に出席。
集まった方々は皆様医薬品関係で、私の紹介で友達になった経緯なので和気あいあい。
赤ちゃんたちの可愛い写真が撮れたので、NYから戻ってお見せします。

 CA州から孫二人が18日に到着し、明日の21日~25日までNYに連れて行きます。
それまでブログはお休みいたします。
by arata-tamiko | 2011-12-21 15:34 | 諸々の出来事 | Comments(0)

車を見積もった時の車の状態   12/17/11

  朝車のエンジンをかけると赤いランプが点いている。
全てがコンピューター化されているので、なにか問題が生じると警告をしてくるが、マニュアルを読むのも面倒でCambridge Auto Centerに行った。

 タイヤに刺さった釘の処理を待つ間、責任者のBrianと話していると「僕は日本人が本当に好きだよ。ここで日本人と接すれば接するほど客として彼らの態度に感銘を受けている。ちょっとした余分なサービスに対しても感謝をしてくれるから、もっとして上げたくなってしまう。他の国の客は、そうではないからね。
今度待合室のリフォームをする時は、日本文字のサインで埋めようかと思うくらいだよ。」と、真面目に言っている。

 「そう、そう。日本人らしからぬ日本人がいたよ。」と彼の話が始まり、その夫婦は帰国の何ヶ月前に、車の見積もりを出して欲しいと来た。
そして帰国前に持ってきた車のドアを開けると、もの凄い煙草の臭いと信じられないほどの車内の汚れ。
「数ヶ月前は煙草の臭いもしなかった。」と、決めた値では買い取れないと言うと「約束違反だ。」と言いだして大変だったらしい。
「それも5回も6回も電話をしてくるんだから相手をするのが大変だった。」

 この行動で思い当たる御夫婦がいるので、もしかしたら??と二人の特徴を述べると「えぇ~、君の客だったの!」と、彼は大笑い。
このようなことを余り言う人ではないので、よほどてこずったのだろう。

 日本人会の新年会に250ドルの福引を2枚寄付したそうだ。
「ふく、ふく、何だっけ?ふく、ふく。」に私も意味が解らず「ふくがいったい何をしたの?」と聞くと「新年会」と英語で言うので、やっと「福引?」と判断できた。
彼は、することが肝っ玉が太いから好きだ。

   
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                      窓から見る外は燃えているようだった。
by arata-tamiko | 2011-12-18 09:58 | 諸々の出来事 | Comments(0)

韓国よ、いいかげんにせんか!の見出し 12/15/11

  ソウルの日本大使館前に慰安婦を象徴する少女の像が設置されたことで「韓国よ、いい加減にせんか!」の的を得た新聞見出しを読んで「よくぞ言った!」と笑ってしまった。
日本では日教組の戦後教育のせいか己の国を自虐する人々が、この件に関しても外務省前でデモをしている。

 今回も韓国の友人、Hさんに意見を聞いた。

「貧しい家庭だったから、殆どの娘は親が女衒に売ったんだと思いますよ。それに彼女達は確かどちらかの国からお金をもらったはずですよ。それを今更どうして蒸し返すのですか?慰安婦たちを国のステイタスにして世界に見せる国が他にありますか?国が豊かになっても、することが幼稚で恥かしいですよ。
私、不謹慎かもしれませんが、それこそ中国漁船の船長に刺し殺された沿岸警備隊の人の銅像を建てるなら、まだ分りますけどね。」と、上手な日本語で明瞭且つ冷静な意見を今回も聞かせてくれた。
警備隊の銅像には「全くその通りですね。」と、彼女ならではの辛らつな意見に感心してしまった。

(この殺傷事件対する中国政府の答弁は”泥棒にも三分の理”の諺を思い出させる。)

 私より年配者の韓国の友人たちは戦前の日本時代を自分たちで経験しているから、日本人に対して反日教育を受けた戦後の韓国人たちとは違った感情を持っている。
むしろ親日だと思う。
スヨンが「戦争中、日本がスプーンや箸まで徴用して両親は食事をするのに困った。」と、日本人の悪行として言った時「朝鮮人だけでなく日本人だって同じだったのよ。一般家庭の鍋釜だけでなく、供出で日本の寺に鐘がなくなったんだから。」と話すと、初めて知ったと驚いていた。

小雨


          彼に子供が二人もいるとは知らなかった。
          奥さんだったオリビア・ハッセの綺麗なこと!
          匂いたつほど。
              




   
by arata-tamiko | 2011-12-16 09:53 | メディアから | Comments(0)

韓流スターにおんぶされる   12/13/11

 三人目の私が舞台に上がると、司会者が「さぁ~、お名前と、住んでいる県を御紹介ください。」と、また声を張り上げる。
ボストンと言った私に「あのアメリカですか!」と、俳優も司会者も驚いていたが、このためだけに来たのではないことを説明するのも長くなるので、気がとがめたが黙っていた。

 「では、ジャンケンでどのシーンをするかが決まります!」と、一番勝った人が一番良い役をするみたい。
生まれてこの方、籤運が悪いだけでなく姉から「どうしてそんなに弱いの?」と言われるくらい勝ったことがない。
それが今回は、こともあろうに勝ってしまった!!!
「では、この想い出のシーンを再現してもらいます!」とバックの大きなスクリーンに映ったのは、ドラマの中で彼が子供の頃から好きだった女性をおんぶして歩く場面ではないか。
とんでもない!!
いくら彼が韓国男優独特の贅肉のない絞まった体をしていても、脚などは私の腕と同じくらいの太さ。
隣の女性に「貴女は細くって小さいから、代わりにおんぶをしてもらって。」とお願いすると、司会者は私でないと駄目と言う。

 「大丈夫。」とかがんで司会者共々彼が促がしても、おんぶされたくない私が、その姿勢になっていないから彼は立ち上がれない。
「貴方が腰を痛めたら朝鮮日報に載って私は恥をかかないといけません。止めましょう。」と言った私に、彼は「もう一度試させてください。二人で息を合わせれば大丈夫です。」と諦めない。
(朝鮮日報は韓国一発行部数が多い)
困った私は「そうだ。私が貴方をおんぶします!どうぞ私の背中に乗ってください。」と言うと、彼も会場のファンたちも爆笑。
私は真実そうしたかったのに「私の国では女性が男性をおんぶする習慣はありません。」と大笑いしながら言うけど、日本だってない。

 今回は難なく私をおんぶして彼が舞台を歩く間のていさい悪さ。
他の二人は後ろから彼が女性に手をかけるシーンと、もう一人の女性の肩に彼が頭をもたれかけるシーン。
この歳になって、こんな恥をかくとは夢にも思わなかった。
ジム通いが趣味らしいが、私をおんぶできたことで今までよりもっと重いバーベルに挑戦できる自信がついたに違いない。

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                       前十列目から撮った写真
by arata-tamiko | 2011-12-14 00:57 | 諸々の出来事 | Comments(0)

初めてのファンミーティングに参加  (東京編) 

  家族愛がテーマの韓国ドラマに出演していた男優の卓越した演技力に感銘をしていたところ、私がボストンに帰国をする次の日に彼の初めてのファンミーティングが渋谷公会堂で催される宣伝を見た。
「これは何かが私に”行け!”と言っているに違いない。」と、170ドルも変更手数料を払って帰国日を11月4日とした。

 握手とかハグには興味はないが、ファンミーティングとはどのようなものであるかを知りたい野次馬根性もあり、税込み9,800円の切符を購入。
韓流に詳しい友人のIさんも知らないほど日本では知られていない俳優なので、入りを心配したが三十代や四十代の年齢層の観客で60過ぎた女性なんてIさんと私だけみたいで気恥ずかしくもあった。

 その俳優に質問をすることから始まったのだが「ブリーフ派?それともトランク派?」とか「色は?」と、下らないどうでもいい質問が延々と続き、真面目な人なのだろう、照れながらも誠実に答えている。
ファンの皆は大笑いしているけど、私はそれがどうしてそんなに可笑しいのかサッパリ理解できない。
突然「止めてください!」と、ひきつった大声で、だれかが二度叫び、会場は一瞬水を打ったように静寂となり司会者も固まってしまった。
彼女の勇敢さに拍手をしたい気分だった。
日本語が解らない俳優は戸惑った顔をしたが、理解していないので笑顔に戻ったのは幸いだった。

 次は彼がドラマで演じた名場面を籤で選ばれたファンが舞台に上がって彼と演じる今夜一番のアトラクション。
大きな箱に手を入れた彼が800席の番号が書かれた小さな紙切れを取り上げ、番号を読み上げるたび会場は波のようにざわめいているが別に関心もなかった。
「サァー、最後の三番目の方はだれでしょう!!」と若い司会者の男性は籤を高々と持ち上げて皆に気を持たせるように甲高い声で叫けぶ。
「どうぞ当たった方は手を挙げてください!」の大声に「どうして挙げないのかしら?」と見回していると、隣席に座るIさんが「貴女の席番号よ。貴女が当たったのよ!」と私に言う。
「まさか?」と笑っていると、周りが「貴女よ!」と私に向かって言い出し、「これは本当だ!」とIさんに「貴女が行ってよ。」と頼むと「嫌だ、嫌だ。」に、反対隣の人にお願いしていると、、係りの人が「早く舞台に上がってください。」と側にきて急きたてる。

  (続く)
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     Iさんの長女が勤務する会社の保養所が鬼怒川にあり、一晩泊まりで日光に出かけた。
     七、五、三姿の可愛い姉と弟。
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             初めて見る日光東照宮。形容する言葉が見つからない。
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      Iさんの家の裏山に”あけび”が生っているそうで散策したが採られた後だったのか
      見つからなかったが”からす瓜””むかご”を見つけた。
      Iさんは一人旅の好きな御主人に私の滞在中、旅行を勧め、喜んで北海道に出かけた
      ので一度も会う機会はなかった。    
      この話を聞いた姉は「あなたに気遣いをするIさんも偉いけど、出て行く御主人は
      もっと立派!」
と褒めた。
   
by arata-tamiko | 2011-12-12 13:47 | 諸々の出来事 | Comments(0)

愚かな行動  12/9/11

  何社もの韓国メディアが、オダギリジョーのサインに不快感を示した記事を書き、芸能人をも自殺にまで追い詰める韓国ネチズンたちの感情を逆撫でしている。

 先月の釜山国際映画祭に審査員として訪韓し、フラリと入った食堂で、写真を撮られる事を拒否した彼は従業員からサインをねだられた。
帰宅したお母さんは自慢げに、そのサインを娘や他の人々に見せていた。
ところがそれは彼の名前ではなく、ひらがなで「こうだ くみ(倖田來未)」と別名が書かれていた。
侮辱されたと娘はネットに写真つきで書き込んだ。
「不愉快」、「韓国を凌蔑した行動だ」、「やっぱり日本人は信じられない」とまでの騒ぎになっているとある。

 韓国でも有名な俳優だけでなく、来月は出演した日中韓の共同映画作品のキャンペーンに再度訪韓するため、慌てたのは映画関係者。
「いたずらっぽい行動をする人で悪意はなかった。」とコメントを出したが”いたずら”とはされた相手も一緒に笑えなければ。
雨が降っても、日照りが続いても日本が悪いといったような人々がいる国で彼も愚かなことをしたものだ。

 しかし反対になって考えてみると一人ゆっくりと食事を楽しみたく食堂に入ったのかもしれない。
それをレストラン?で働く小母さんが自分の立場を利用して、しっつこくサインを頼んだような気がする。


     8歳で両親を交通事故で失った母を想うモンゴル少年の歌声。
     このサイン事件のことなど下らなく思えてくる。
     1:52から始めると審査員の長々とした画面が省ける。
     (偽善ぶった審査員の女性が出てこなければ、もっと良いのに)

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                  韓国で紹介されているサイン
by arata-tamiko | 2011-12-10 08:55 | 諸々の出来事 | Comments(0)

旅の想い出 (東京) (10)

 10月26日に伊丹から羽田に飛び、京都の旅を一緒にしたIさん宅にボストンへ戻るまでお世話になった。

 到着した夕方は、十数年前にお世話をした留学生だった子供たちのお母様達と会食した後、その子供たちが待つ神宮前のEDICM留学センターに行き久しぶりの再会。

 想いが深いHちゃん親子も駆けつけてくれ12年ぶりの再会。
NYにある寮生の高校に留学していた彼女の卒業式前に留学センターから、ある依頼があった。
Hちゃんの母親はアメリカ軍人との間に生まれ、時代は結婚しても妻子の渡航は厳しく、単身帰国した父親とは自然に連絡が途絶えてしまった。
この卒業式には妻だったお祖母さんも一緒に出席するので、赤ちゃんのころ別れた父であるE.Dを探して欲しいとの依頼。

 アメリカで人探しなどしたことがない私は、どこから手をつけて良いのか途方にくれた。
初めに、その方面の会社に電話をしてみると弁護士に依頼するのと同じ形式で、前もって結構な額のお金を支払い、その中から引かれていく。
残金額が減ると申し込んだ時の同額まで加算支払いをしないといけない仕組み。
これでは、してもいない仕事の請求をされても調べようもないことになる。

 南部の小さな町出身なら、きっと故郷に戻る確立が大きいと推測をして、インターネットで探した南部方面に住む同姓同名の人々に電話をしたが見つからない。
平凡な名前のため沢山いて結構な時間がかかったが無駄骨だった。
(ソーシャルシキュリティー番号があれば見つけやすかったのだが、これも分らない。)

 次に彼の出身地である市役所に電話をして住民表を調べて欲しいとお願いした。
1999年当時は今のような個人情報とかの制限もなくおおらかなもの。
私がE.D.を探す理由を知った年配と思われる女性は懸命に協力してくれたが見つからないと言う。
「では死亡者リストは?」と提案したが、何らかの理由で名前を見つけ出すことは出来なかった。

 その夜、いろいろと考えていると「そうだ。もし彼が住民であるとしてリストに載っていなければ亡くなった可能性のほうが大きい。葬儀屋だ!」と思いついた。
市役所の親切な彼女にまた電話をして「町一番大きな葬儀屋の電話番号を教えてください。」と頼むと、嫌がりもせず「いい所に目をつけた。」と親切に教えてくれた。
 
 電話に出たのは若い女性。
ここでも理由を話していると「もう一度、その男性の名前を言ってください。」と言うので「E.D.です。」とスペルを言うと小さな驚きの声が聞こえ沈黙が続いた。
「どうしたのですか?そこにいるのですか?」と大声で言うと「彼は亡くなっています。私は彼の娘と大親友です。」と言う。
今度はこちらが「やっと辿りついた!!」の思いで声をあげる番。

 翌日彼女から、彼が再婚したアメリカの家族も是非会いたいと希望しているとの電話があった。

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     結婚した子、パパになった子の結婚相手に「よくぞ結婚してくれました。有難う。」
     お礼を言いたい心境。
     彼らの奥さんになった女性達は生涯幸せな人生を送れるのは間違いなし。
     ポン太はあいも変わらず、可笑しなポーズを取って笑わせてくれる。
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                       Hちゃんとお母さん
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          (町の新聞より 1999年6月)
      小さな町なのか親類や友人、近隣の人々だけでなく新聞社テレビ局まで押し寄せ
      Hちゃん家族は町中から大歓迎を受けたそう。
      この写真中央が葬儀場に働くシンディーで、橋渡しをした”Angel”として紹介されて
      いた。
      一面のトップには父が娘を抱く幸せそうな大きな写真が掲載され、記事と古い写真の
      数々が2ページに渡り、また私がどうやって探し当てたかの詳細も書かれている。
      46年ぶりにお墓に話しかけるHちゃんのお祖母ちゃんとお母さんの写真は胸を打った。
      そしてこの日から、Hちゃん一家はアメリカの家族とお付き合いが始まった。

      後日市役所の女性にお礼の電話をすると「テレビを見たわ!」と喜びの声だった。
by arata-tamiko | 2011-12-08 05:03 | 諸々の出来事 | Comments(0)

医者選びの大切さ   12/5/11

  今回3年ぶりに会った義兄の右手中指2本が細かく震えているのに気づいた。
それも箸やお皿を持っている時は震えが全く見られない。
姉に聞くと「私達は歳のせいだと言っているのよ。来月ある市の健康診断で聞いてみるわ。」と余り気にしていない様子に「パーキンソンだったら、どうするの!」と叱りつけて、私はすぐに検索して近くの総合病院の神経内科に電話をさせた。

 病院から戻った姉夫婦は「やっぱり心配ないって。パーキンソンだったら物を持った時に震えて、何もしていない時には震えないのですって。単なる老人性の震えだから、薬を常用していれば治まるって。」と明るく安心したと言う。
「どんな診察をしたの?」
「一目見て典型的な”老人性震え”って言ったわ。頭の震えなら隠せないけど指ならお尻の下に隠せばいいものね。良かったわ。」とのん気なもの。
「せめて手を触ったとかしたでしょう?」
「いいえ、しなかったわ。どこもさわらなかったわよね?。」と義兄に相槌を求める姉。
それ、ヤブ医者よ!そんな馬鹿なことがある。」と憤る私。

 もらった薬を飲み続けてみると言う姉夫婦に、それ以上何も言えず私は京都に出かけた。
一年半前に帰られた京大のU先生御家族とは親しくしていたので兵庫に戻る前日ホテルから電話をして久しぶりにお話をした。
姉宅に戻り義兄の指を見ると少しも良くはなっていず、几帳面な義兄は真面目に時間通りに飲み続けている。
「絶対に他のドクターに診てもらうべきよ。もしパーキンソンだったら、手術したばかりの貴女は、これからどうやって看病するの!」と怒る私に「でも、どこに行ったらいいの。お医者様に知り合いはいないし。」と姉は不安そうに言い出した。

 思い余ってU先生に「どなたか京大の先生を御紹介して下さいませんか?」と電話をすると「それ僕の専門分野ですよ。僕に診させて下さい。」と言われ、あまりの偶然に驚いてしまった。
何か神経系統とは記憶にあったが、専門が神経内科とは!!!
姉も「こんなことってあるのかしら?それに”診させてください”とまで言われ”はい、はい”と出かけていいものかしら?」と、今度は違う意味の不安を感じ始めている。

 検索してみるとU先生は外来医長と出ている。
一週間入院しての検査チームの三人はU先生と三月に留学される私のお客様のM先生も入っていた。
初めてお目にかかるM先生に姉夫婦が「宜しくお願い申します。」と頭を下げると、M先生も「妹さんにお世話になります。」と、頭の下げあいっこをしたそう。
進行の遅い初期のパーキンソンと診断され、様子を見ながら今は薬なしで行きましょうと言われ義兄も原因が判明し、特に近所の人から「大学病院は薬漬けにしますからね。」と忠告を受けていたからU先生チームの判断に歓喜していた。

 姉は「不思議よね~。今回あなたが日本に戻ったのは主人を救うためだったみたいね。もしあなたが、あれほどきつく言ってくれなかったら未だあの薬(アルマール10)を飲んでいたわね。」と、しみじみ言った。
東京の友達達からも「電話して、すぐに診てもらい検査入院して病名が判明するまでに一ヶ月かからない。それも京大でなんて有り得ない話よ。」と散々言われた。
(老人性震えとは何もしていない時は震えず、ものを持った時に震えるそうで反対だった。)

 12月と言うのに、この暖かい日々

    
      今韓国だけでなくCNNまで取り上げたホームレスの22歳の青年の感動ストーリ。     
    三歳で孤児院に捨てられ他の子供たちからの虐めに耐えかねて五歳で逃げ出しガムや
    飲み物を売りながら公共トイレの階段に寝たりして一人で生きて今は日雇い仕事をして
    いるそう。
    割れんばかりの拍手にも感動のない無表情な青年に「余りにも辛い人生に喜怒哀楽を
    表す方法も知らないのだろうか?」と思いながらも出来すぎた話に半信半疑。
    「本当の話ですか?」と韓国の李先生にメールをすると「初めて知り驚きで見ました。」と
    返事を頂いたが、末文がいかにも真面目な先生の人柄を表す。
    「この私が実地に彼の今までの環境を調べたわけではないですので、残念ながら今回の
     新田様のご質問にまともなお答えができません。ご容赦ください。」には大笑いした。
    80歳過ぎ、寝たきりの奥様を看病している先生は、このような番組を見られないのだろう。
by arata-tamiko | 2011-12-06 08:56 | Comments(0)