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旅の想い出     (7)

  京都の道路で知り合ったYさんから「どんなものを食べたいですか?」と聞かれ「お昼だから豪華でなくっていいの。でも他では食べられないようなもの。」と漠然と言うと「では学食はどうでしょうか?」と言ってきた。

「学食って、いわゆる学校の学食?」
「はい、そうです。京都大学の学食は美味しいのです。和食、中華、洋食、中近東、デザートと選べます。」
「行く、行く、そこに行く!!」

「あの~、今は医大の食堂は工事で休みなので農大の方に行きましょう。食堂は三つありますが、農大が一番美味しいのです。」とバスに揺られながら彼女が言う。
「どうして農大なの?」
「自分達で育てた野菜を使っていますから。今から行けば学生達が食べ終わっているので大丈夫です。」
京大の職員かと訊いたほど細にいり詳しい。

 学生の昼食時間は一般者は遠慮しないといけないそうだ。
町のレストランに劣ることなく沢山のサンプルがショーケースに飾られ値段の安いこと!
遠慮がちに丼物しかお盆にのせていないYさんに、私は「これも食べなさい。あれも食べなさい。豚汁も美味しそうよ。」と、勝手にどんどんお盆にのせていった。
食事をしながらYさんが「明日はどうされるのですか?」と聞いてくるので、ハイヤーを雇うことを話すと「もったいないです。私、明日は一日中時間がありますからバスにしませんか。」と、このまま別れ難い様子。
Iさんと思案して「ではお願いします。」となり、Iさんに「携帯番号を上げといたら?」と言うと「ホテルの部屋番号だけでいいのでは?」と躊躇している。
「でも外に出ていたら聞こえないこともあるかもよ。」と半ば強制的に番号を教えさせた。

 食事に大満足をしたあと、彼女の案内でお寺巡りをしたが翌日も沢山回ったので寺名を覚えていない。
彼女と夕方別れたあと、四条河原町をブラブラして個人タクシーでホテルに向かいながら運転手と話しているうちに彼の同僚が観光専門の運転手をしているそうなのでお願いした。

 ホテルの部屋でくつろぎながらIさんに「Yさんね~、只者ではないわね。相当の学識と教養がある女性ね。」と言うと、Iさんも「実は私も同じことを思っていたの。何か事情があるのね。」と思うことは同じ。
「ねぇ、明日一日彼女を幸せにしてあげない?一緒に連れて行きましょうよ。」とIさんに意見を求めると、彼女も全く同じことを考えていたそう。

「それにしても酷いものね、私って。あんな良い人を詐欺師だと疑ったりして。余りにも親切だったもの。」
「だから電話番号をあげなかったのね?」
「そうなのよ。あげろ、あげろって言われて困っちゃったわよ。」

(続く)
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               京大農学部の学生食堂に足を踏み入れ、このケースを
               見ていると、京大生になったようで胸ががワクワクしてきた。
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                    これ全部美味しく頂きました!
by arata-tamiko | 2011-11-30 09:39 | 諸々の出来事 | Comments(0)

旅の想い出   (6)

 11月16日の最後の夜は日出にある別府湾を一望するロイヤルホテルの最上階で迎え、翌日17日の午前中は友人のTさんが運転する車で国東半島巡りをし午後遅い便で伊丹に出発。

 一旦断念した京都行きだったが、東京で泊まらせていただくIさんの御主人の健康が案じたほどではなく「計画どおり行きましょう。」となり、姉宅で落ち着く暇もなく19日は東京から伊丹まで飛んで来られたIさんと落ち合い高速バスで京都に向かった。
Iさんとは2007年の11月に韓国のあるコンサートで初めて出会って以来の再会。

 急な京都行きと22日の時代祭りのため二日連泊が可能なホテルは駅に到着するバス停から少々離れたアパホテルしか取れなかったと謝るIさんだが、私に取って円高の日本では助かった。
地下道を歩きながら数人の人に道順を聞き何度か階段を上がったり下がったり。
気温も高く疲れ果て向こうから歩いてくる女性が最後の頼み。聞いて駄目ならタクシーに乗ろうと「すみません。」と声をかけた。

 昼食のパンが入ったと思われる小さなビニール袋を手にした40代の女性は親切にホテルまで案内をしてくれ、チェックインをして部屋に行こうとすると、その女性はソファーに座って笑顔でこちらを見ている。
そして私達に「これからどうされるんですか?」と聞いてくるのに「そうね~。地図を見ながら観光をしてみるわ。」と返事をすると「私、夕方まで時間がありますから案内をしましょうか?」と言ってきた。
 彼女は何年も美容院に行っていないのではと見受けられる白髪の長髪に虫歯だらけの欠けた前歯の数々。
これほど酷い歯をしている女性にお目にかかったことがなく、身なりも生活に余裕があるようには見えない。
彼女は、とても人恋しそうに見え「ではお願いするわ。昼食は未だでしょう?御一緒にどうぞ!」と誘うと彼女は辞退しながらも喜びに溢れ、友人のIさんはチョットたじろいた様子。
(Iさんは彼女を詐欺師ではないか?と警戒していたと後で聞かされた。)

 金券ショップ?でバスの周遊券を買うことを勧められ、炎天下のもと彼女に連れられ駅までテクテクと歩きながら「これほど歩かされるのなら、よほど安いのだろう。」とIさんと思っていたのが、わずか5円安い495円だった。

(続く)
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        私の田舎町の警察署に掲げられていた看板は、もう一度読み直したほど。
        ”御自由にお使いください”と書かれていた。
        外国人には信じられぬ公共サービス精神。
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            竹田の町で見たこのサインも目をこすって再度読み直した。
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       キリシタン大名として知られる大友宗麟の墓が整地され、周りが住宅だらけに
       なっていたのには驚かされた。
       記憶にある墓は訪れる人もなく草木に覆われ鬱蒼として風情があったのに。
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         国東半島の寺門に堂々と迎える2対の仁王様、風雨に堪えぬいた年月の
         重みが出ている作品に見惚れてしまった。
         これほどの高い山奥に、これだけの大きな石を運び上げ築き上げた昔の
         人々の労苦と仏教文化には驚嘆させられる。
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                          不思議な花
by arata-tamiko | 2011-11-29 01:26 | 諸々の出来事 | Comments(0)

亡き友を想うメール11/25/11

  韓国のお店を手伝っていた折、4年前に知り合った韓国人の恵英さんとは互いに何十年のお付き合いのような気がしている。
80歳の彼女が受けた日本語での教育は終戦のため12歳で終わっている。
にも関わらず、ソウル大学で物理を専攻し朝鮮戦争停戦の後、御主人とアメリカに渡ってからも日本の書籍を取り寄せ読み続けているだけあって話していると彼女が韓国人であることを忘れてしまう。

 恵英さんの御主人と無二の親友であった韓国に住む李さんを恵英さんから紹介され以来Skypeやメールで親交を深めている。
李さんが「ソウル大学の卒業式に首席がもらう李承晩大統領からの恩寵の時計が欲しくって必死に勉強をしたのですが、あの男には勝てませんでした。」と恵英さんの御主人を述懐された言葉は清清しく聞こえた。

 ことの他、古典落語が大好きな李さんのことを、今回東京で泊らせてもらったIさんに話すとテレビから録画をしてくれていた。
それを持ち帰えり韓国に郵送すると、李さんから歓喜に満ちたメールを頂いた。
中学校2年で終戦を迎え、98年にやっと制限付きの日本文化開放政策が発令された韓国で、李さんは彼なりに日本語を忘れぬため、たゆまぬ努力をされていたそうだが、これほどの万感の思いがこもり友を偲ぶ切々たる文章は日本人でも、なかなか書けない。
最後の文章には瞼が熱くなる。


      「李さんからのメール」

    お送りくださった 落語のDVDが昨日の午後我が家に届きました。
    10枚ものdiskに50本以上の演目がたっぷりと入れて有ります。
    有り難いのなんのってお礼の言い様がありません。恐縮のかぎりです。

    早速 PowerDVD 11を install しまして柳家三三(さんざ)の「ろくろ首」
    から見始めました。綺麗な画質と音声に支えられた噺家が醸し出すこくの
    あるお笑い、実に楽しいですね。彼が出る前の出囃子が聞こえる時から、
    興奮しちゃって身震いみたいなのを感じます。


    おかげさまでDVDの落語を楽しんでおりますが、15年まえに亡くなった親友(恵英さん
    の亭主さん)のことが思い出されました。彼も日本の演芸を好んでいました。肺癌の
    末期で癌細胞が喉まで転移し、声の出なくなった彼が Northboroughの娘の家で通院
    していました。96年の1月初旬でした。New York 州 Binghamtonにある私の息子の
    家から車で彼を見舞いにかけつけました。そのおりにソウルで落語を収録したVHS tapeを
    3本を持っていきました。つらい癌の痛みをすこしでもまぎらわして欲しいと願いながら
    コピーしたもので画質は今の DVDに遠くおよびもつかないものでした。

    あの時、今のようなきれいな画質で落語が見られたらよかったのに。底の知れないほどの
    学識と思いやりの深い暖かい心の持ち主であったあの男が笑う顔がみえるような気がして
    なりません。

    以上お礼の挨拶まで。

   晴天
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       二年間の留学を終え来月帰国をされる製薬会社のYさんと先日食事をした。
       大きく真っ黒な瞳に困ったちゃんのような眉をした可愛い結希乃ちゃん(六ヶ月)
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            我が家に同居しているソンヒーの男性友達はHマートで働いている。
            熟し柿が好きな私のため、いつも彼女に持たせてくれる。
            そして感謝祭の日に一箱プレゼントしてくれた。

   
by arata-tamiko | 2011-11-26 02:02 | 諸々の出来事 | Comments(0)

旅の想い出   (5)

 50年前の男子同窓生が住む熊本の田舎の村には偶然にも私のお客様に関係する方々が住んでいた。
中の一人、Tさんの実家は私が訪ねる同窓生の家と川を挟んだ対岸側にあった。
御主人と来られた熊本大学からのTさんに「この村を知っている?」と電話をした時に「私の実家のすぐ近くです。」と驚いていたが、これほど近いとは。

 「両親が是非にと言っているので、どうか寄ってください。」とのことで、帰途立ち寄らせていただいたが余りの屋敷に暫したたずんだ。
一部屋は造れると思える広さの玄関のたたきにひざまづいて挨拶をされる女性に「あの~、お母様ではありませんよね?」と聞いてしまうほどの若さ。
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            この門から家の玄関までの庭木の手入れの見事なこと。
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      贅をつくした日本家屋と艶光を放つ廊下。
      木材の種類を聞くと何と”檜”だった!!!
      私がよほど驚いた顔をしたのか「いいえ、先祖が山に植えてくれた木を使った
      だけですから。」と謙遜される。
      さもしく「ところで、これだけの広さのお掃除はどうされるのですか?」と聞いて
      しまう。
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            自然の滝が二本も流れ込み、裕に泳げるほどの大きな池。
            ここは殿様の御薬園だったのを親類のよしみで譲り受けたとか。

 私の熊本行きを聞いたK先生の奥様から「母の従兄が焼酎蔵をもっています。是非寄られてください。」との知らせ。
偶然そこが田舎の友人がスケジュールに組んでいた有名な蔵だった。

                      繊月酒造株式会社
                 http://www.sengetsu.co.jp
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                 これもまた贅を尽くした木造店内。
                 全部の窓は球磨川に面し城跡が一望に見渡せる。
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       この地の焼酎は米からだそうで、特にここのお店の40度の焼酎は酒飲みに
       とっては堪らなく美味しいらしい。
       全ての商品の試飲は出来るのに飲めない我が身が恨めしい。
       お客様のK先生の奥様は惚れ惚れするほどの美人だが、お母様の従兄という
       180センチほどの長身の御主人、歌舞伎役者のような端正な顔立ち。
       70歳近い御主人に「若い頃は、さぞかし、、。」と言うと、笑って否定はしなかった。
       K先生の奥様は美形の家系なのは確か。
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        子供時代、通学道に沿って建つ古い家の庭には金木犀が植えられていた。
        金木犀の香りは昔を思い出させ、行く先々で「アッ、金木犀がある!」と
        匂いの先を探す私に「私達には匂わんな~。まるで犬の嗅覚みたい。」と
        友人に笑われた。
        五十年ぶりに、このむせるような香りを行く先々で堪能した。
by arata-tamiko | 2011-11-23 00:18 | 諸々の出来事 | Comments(0)

若きブータン国王   11/20/11

  若きブータン国王が日本各地でおこなったスピーチの一言、一言に感銘。
彼の心から出ている言葉であることが、ひしひしと伝わり慈愛に満ちている。
31歳で、あの落ち着きと自信は彼をより輝かせてみせる。
「偉丈夫」とは彼のためにある表現言葉の気がする。

(お二人が茶会のため突然の着物姿で出てきた時は出席者の間に驚きの声が上がったそう。)

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00212013.html

 検索してみると28歳で第五代国王となった時戴冠式の朗々たるスピーチは、全く原稿なしだったと書かれている。
その一部分が抜粋されていた。

            あらゆる面において、私が治世している間は、
            国王として、決してあなた方を統治するつもりはありません。
            私は、親としてあなた方を守り、兄弟としてあなた方を守り、
            息子としてあなた方を守るつもりです。
            私は、すべてをあなた方に与え、何も保持するつもりはありません。


 あのような小さな国でありながら、今回の東北地方地震発生の翌日に100万ドルの義捐金の寄付が国王から送られてきたほどの親日家。
国王が日本に示す敬愛の言葉の数々、聞いていて「そうなんです、昔は。でも今の日本は、、、。」と恥かしくなってくる。
 国王や国民が日本に対して好感を持つのは、1964年から夫人と共にブータンで亡くなるまで、28年間農業指導をされた西岡京治氏の力も多大にあると思う。
四代国王から、民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」を授かり、史上初の外国人受爵者となり、1992年に亡くなった時は国葬で見送られ、ブータンの地に眠っている。

 親日の台湾でも日本統治時代の1930年、アジア最大級の烏山頭ダムを建設し、不毛の地を台湾最大の米作地帯に変えた金沢市出身の日本人技師、八田與一氏(1886~1942年)の業績をたたえる記念公園は未だに台湾人の手で清掃され教科書にも載っているそう。

 このような偉大な日本人たちを日本の教科書にこそ載せ子供たちに教えるべきで、自虐教育はいいかげんにしないと。

   晴天 暖かい
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        今月は帰国されるお客様が多い。
        天斗(たかとちゃん 三歳五ヶ月)一家も22日の帰国前に挨拶に来て下さった。
        こうやって仲良くお付き合いしていても、数年後には必ず別れがくる。
by arata-tamiko | 2011-11-21 06:15 | 諸々の出来事 | Comments(0)

栗尾商店の”柚子蜂蜜金時芋」”

「年間何人くらいの人のお世話を?」と、よく訊かれる。
時間をかけて数えたことはないが、沢山の人との出会いがある中で「こんな偶然もあるんだ、、、。」と我が身に起こりながら信じがたいこともある。

 前にも書いたが徳島から留学をされるお客様に飛行場で「栗尾商店」「蜂蜜金時いも」を一袋頼んだ。
お客様から親切に申し出があっても、読みたい記事が載っている週刊誌以外は何もお願いをしない。
が、この先生とは以前にもお会いしていて親しくなり、この商店の金時芋の美味しさが忘れられず「同じ徳島なら御存知かも。」と誘惑に負けてお願いをしてしまった。
するとO先生から「ここの社長さんの御自宅は我が家の近所で家族ぐるみの付き合いをしています。」と、返事を頂き驚かされた。

 中でも一番のお気に入りである「柚子蜂蜜金時」が11月からの限定商品であるため、日本滞在中に買うことが出来なかったが、O先生の奥様から「あなたに社長さんから送られてきましたよ!」と電話を頂いた。

これを書きながら目の前にある商品を眺め私はニコニコしている。

                栗尾商店 
                http://www.kurio.jp/

   晴れ 昨夜から冷える
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          この「いもぽん」が私の一番のお気に入りの「柚子味」。
          日本の友人たちに教えると夏場のお芋でも良いと早速注文したそう。
          それでもこれほど美味しいのだから、冬の限定商品「柚子蜂蜜金時」を
          絶対に買うのだと、今回日本で会ったとき意気込んでいた。
by arata-tamiko | 2011-11-19 06:21 | 諸々の出来事 | Comments(0)

旅の想い出  (4)  城下町の臼杵

  私の町は、かってセメント産業で栄え、隣の城下町の臼杵と比べると派手だと言われた。
臼杵の人間は質実剛健で無駄なものにお金を使わないため駅前にタクシーがいないとも言われていた。
しかし、そのセメントの町も今は寂れ、これという産業もない臼杵のほうが未だ生気があった。

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        臼杵の商店街  まるでタイムカプセルに乗って百年前に戻ったみたい。
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             お店の前に誇らしげに掲げられていた味噌醤油屋の看板
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        何十年か前に昔のお店と寸分違わず建て替えた老舗のお饅頭屋さん。
        汽車に乗って習字に通わされた姉と私は、親からもらうお小遣いでは一個しか
        買えない。
        酒饅頭も含めて4種類ほどある中から一つ選ぶのは重大決心だった。
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                     仕事場も頑なに昔を再現している。
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                           懐かしい看板
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               臼杵の殿様の菩提寺にけなげに生き続ける古木
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                      まるで時が止まったような町並み
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       90歳すぎたおばあさんの補聴器の電池が切れていて、こちらの希望の品々を
       解ってもらうのに苦労した。
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           町の顔である城跡なのに、これは酷すぎる!余りにも醜悪極まる。
           臼杵は都会に出て立身出世した人が多いのだから、寄付を集めて
           もっとましな崖くずれ防止でもできたのではないのだろうか?
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              祖父が生まれ育った家は取り壊され門のみが残り町に
              寄贈されていた。
              まるで時代劇に出てくるような家だったから、何とか保存が
              出来なかったのかと残念に思う。
              下には馬が飼われ、二階は馬使いの住まいだったよう。
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        雨風に打たれた立て札の字がかろうじて読める。
        大きな無花果の木に一つだけ無花果を見つけ、口にするとベッタリと甘かった
by arata-tamiko | 2011-11-17 10:41 | 諸々の出来事 | Comments(0)

旅の想い出 ー 熊本へ  (3)

 (十月十三日~十五日)

  今回51年ぶりに会う高校時代のFさんが住む熊本の田舎に向かって幼馴染のTさんが運転する車で出発。
その夜はTさんが予約をしていた”ゲストハウス”と呼ばれる宿に泊った。
熊本中心地にある新しく清潔な建物で一泊七千円と安く、8畳ほどの部屋に5組の布団が敷かれている。
各布団の間は、腰の高さほどの低いついたてで仕切られただけだから、見知らぬ人たちと寝起きをするのは落ち着かないと思う。
幸い他に二人ほどの客がいるだけで、Tさん、Tさんの親友そして私の三人に一部屋を貸切にしてくれたのは有難かった。
が、閑散として人気がなければないで、パッと電気が点いたり消えたりする薄暗く長い廊下で人と突然出会うと肝が潰れる。
廊下の両側にある部屋部屋の入り口は格子戸になっていて昔の女郎屋の遊郭を思い出させる。
いくら安くとも二度と利用する気にはなれない。

 バックパックを背負ったような外国からの若者をターゲットにして始めた商売だろうが、こうも円高になってしまうと彼らに取っては気楽には来れない日本。
こちらで一杯一ドル少々で飲めるコーヒーなのに、日本では小さな紙コップ一杯が450円では、6ドルとなってしまう。これではアメリカからの旅行者は恐れをなしてしまう。

 翌日、球磨川に沿って、いよいよ目的地に向かった。
周りの田園風景の綺麗さ、その中に自然美にそぐわない醜悪な建物の建造物を見ると「これこそ環境破壊!」と一人で憤ってしまう。
大きな道路の両側には商売に潰れたお店の建物が実に多く「意気込んで始めただろうに、、、。」と哀れをもよおす。

 熊本の村に住むFさんが私達のために取ってくれたホテルは、球磨川の流れを耳にしながら城跡が眺められる最上階の部屋だった。
5時にロビーで待ち合わせとなっていたが、彼はその前に部屋まで上がってきた。
半世紀ぶりに会うFさんは日本人男性独特の照れで、前に会っているTさんに「間違いなく来れた?」と声をかける。
私は「ちょっと、先に声をかける相手が間違っているのではないの?私があなたとデートした人なのよ!」と言ってあげると「久しぶりやな~。体は大丈夫?」と顔を向けたので「そうよ。それでなくっちゃー。」と、挨拶が抜きになってしまった。

 四人で食事をしてFさん行きつけの小料理屋に行き三人は飲み続けていたが、飲めない私は彼らの会話を聞きながら「そうか、、。私はこの人が好きだったんだ~。」と思ったりした。
一緒に過ごしたのは3時間ほどだったが、お互いに「会うのは、これが最後かも知れないけど、残り人生を楽しく生きましょうね。」と再会の喜びを分かち合い別れの挨拶をした。
Fさんには大変な散財をさせてしまった。

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            途中の産物店で五十年ぶりに見た”あけび”をためらわずに買う。
            パックが500円
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                          あけびの中身
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          魚介類の好きな私のためFさんは生き造りのお店に案内してくれた。
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        魚も烏賊も鮑もピクピクしていて、たいそう美味だったが飾り付けの賑わい。
        まるで韓国で出される日本料理みたい。
        何でも飾れば良いと言うものでもないと思うけど。
by arata-tamiko | 2011-11-15 00:23 | 諸々の出来事 | Comments(0)

良い日   11/11/11

  今日は、とても良い日だった!!!

 午前中は来春留学される若い女医さんとお会いしてお互いに親近感が沸く。
ボスに挨拶に来られたそうで、話し合いの結果、給料がもらえそうとのこと。
「良かった、良かった。」と二人して喜び合う。
もらえるかもらえないかは留学中の死活問題になってくる。

 午後は手術してから初めての三ヵ月検診。
ドクターと一緒にモニターに映る自分の膀胱を見るのは不思議な感じ。
終わったあとのドクターの第一声は「異常なし!20代の膀胱でしたよ。」だった。
「お世辞をありがとう。日本の友人達に自慢をするわ。」と、嬉しい溜息をつきながらお礼を言うと看護婦さんも大笑い。
次の検診は6ヶ月後。

 夜はHarvard大学のキャンパス内に建つ見事な木造建築のSanders Theatreで催された韓国の伝統打楽である”サムルノルリ”を、韓国人のHさんから招待され観覧。
もとは昔、何人かで組んだ芸人たちが各地を回って打楽器を打ち鳴らしたり頭上につけた白いリボンを巧に操り軽業的な踊りを見せ銭を投げてもらったものが基になっているようで、1978年に始まったそう。
だから私が韓国に住んでいた時代は見たこともなかった。

 十七世紀~十九世紀初頭に対馬を経由して江戸まで朝鮮通信使が来日し、日本の儒者や文人は彼等から大陸の新しい文明の知識を得、漢詩を彼らに学ぶため争って面談を請い名誉とした。
宿泊場所を提供しなければならない各大名達は、万が一の粗相があってはお家の大事とあって、それにかかる費用捻出に嘆息嗟嘆。
200人を超す使節団が太鼓、笛、鐘を叩きながら帽子につけた長いリボンをふり回し江戸に向かう長い行列は日本人を驚嘆させた。

 今回は人間国宝の打楽の師匠と若者6人。
唄一つなく全員が、膝に抱えた太鼓、大きな鼓の形状の太鼓、かなだらいのような鐘とチャルメラのような音の笛で取り付かれたように、ひたすら打ち鳴らしていく。
和太鼓とは全く違い、何人かが叩く鼓太鼓は細く長い音を奏でていると、突然屋根が落ちるかと思うほどの雷雨のごとき強く高い音となる。
一糸乱れぬ呼吸とリズム。その強弱の響きは、表現する言葉がなく圧倒の一言。

 若者達は頭上の白いリボンを回しながら各人が軽業師のような得意芸を披露する。
6人が一緒に床を打ち鳴らし舞いながら空中に輪を描いてひらめくリボンの優雅さ。
二十メートルはあるかと思える長さのリボンをつけた男性の踊りもヤンヤノ喝采。

 もしNYのマンハッタンの路上で韓国側が「独島は我が領土」と主張しながら”サムルノルリ”を披露し、日本は和太鼓で「竹島は日本のもの」と同時にデモをするなら、群集は韓国のほうに集まっていくだろう、、、と、思うほど激しく人の魂を揺さぶるものだった。

 「なんと賑やかなものでしょう。」と溜息をもらすと、韓国人のHさんは「優しい言い方ですね。これは日本では”騒がしい”と言うのではありませんか?」と言うのに吹き出した。

   11月の寒さとなる


                      これはテレビ局で放映された映像

物の怪に取り付かれたように打楽器を打ち続ける(この中の若い6人が演奏)
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                     右に見える背の低い男性が人間国宝
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           満場総立ちとなって拍手の渦。
           応えて出てきた彼らは帽子を脱ぎ観客に舞台に上がり踊ろうと誘う。
           韓国人も大勢のアメリカ人も興奮のるつぼとなって踊りだす。
by arata-tamiko | 2011-11-12 23:52 | 諸々の出来事 | Comments(0)

ボストン・キャリア・フォーラム

  戻った翌日から仕事や私用で毎日出かけ忙しくしているので、未だスーツケースの中の品々が全部片付いていない。

今日は”ボストン・キャリア・フォーラム”に来られた日本企業の三名を、社員が勉強にきている英語学校の二校に連れて行った。

               http://www.careerforum.net/event/bos/

経済低迷の日本なのに参加社160以上の殆どが、日本企業だそうで、ウォターフロントにあるWestin Hotelのロビーは日本人だらけ。
この大手の会社は4年に渡って毎年社員を4,5人、一年間の研修に送ってきている。
英語学校の授業料と寮費で月額三千ドル~四千ドルは越し、その上日本での給料体制は同じだから会社は一人に対して相当の投資をしていることになる。

会社規模の大小に関わらず、これだけ海外に活路を見出している日本の現状では最低でも英語能力が必要とされる。
参加する企業や会社はリクルートにきているが、現状で日本企業が雇用する余裕があるのが信じがたい。
三人の一人は二十代半ば過ぎの女性で食事の支払いは彼女の担当のよう。
チップのパーセンテージ、カード支払い、そして受け取った領収書のコピーの裏に「昼食、何料理」とメモしておくと日本に戻って判りやすいと教えると素直に聞いて可愛い。
ニコニコして見守っている二人に「私を社員教育に雇ってくれませんか?」と言うと大笑い。

   雨
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       私の田舎に船で半時間以上はかかる保戸島と言う小さな島がある。
       かっては鮪の遠洋漁業が盛んで住人には、けたはずれの鮪大尽が多かった。
       鮪漁業が衰退し、私の町も活気がなくなった今は、住民は島を出て土地を買い
       始めた。
       狭い島ゆえ土地の価格は大都会なみ。それに比べると町の土地価格は彼らに
       取って嘘のように安いのだそう。
       豪邸の数々、魚介類専門の新しい料理屋は彼らのものだった。
       平家の落人が住み着いたと言われ、美人が多い。
       しかし一旦口を開くと、余りにも乱暴な口調の方言で美人も台無しと人は言う。
       保戸島出身の母親と美人の娘さん。
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            左下の自家製のさつま揚げとニイナ貝の天ぷらは美味しかった!
by arata-tamiko | 2011-11-11 12:57 | 諸々の出来事 | Comments(0)