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姉の手術無事終わる  9/30/11

  几帳面な義兄らしく、こちらの朝7時きっかりに昨日手術を受けた姉の様子を電話してきた。
私と同じ腹腔鏡下手術で腸を20センチの長さを切り取り出血も少なかったと聞き、兄と喜びあう。

 私が腎臓癌と診断された日、すぐ姉に「出血は体の異変の赤信号だから気をつけてよ!」と注意を促しておくと、一週間後に「私もあったのよ。どうしょう?」と電話が入った。
「すぐに病院に電話をしてよ!」と強く勧め、診断の結果は腸に一センチほどの腫瘍が見つかり「イボを取るほど簡単ですから。」と言われ一晩泊まりの手術を受けた。

 この後、私の日本一時帰国が決まり「腸もきれいになったし、遠出して美味しいものの食べ歩きでもしましょう。」と、私の日程に添って計画をしていたところ「取り去った腫瘍の根元が既に癌になっていた。」と病院から検査結果の知らせ。
我が家の姉妹に共通する「なにごとも悲観的に受け入れない。」の気質で、姉と「手術の結果が悪かったとしても、もう一度会えるのだから”良し!”としないとね。姉が癌と知らずして、日本に戻ることを決めたのは、きっと何かの神様がそうしてくれたのよ。」と、二人して悲壮感は全くなく喜びあった。

 ベッドに横たわる母親の大事を取って、息子に見舞いは数日してからするように話したと言う義兄に「何を言っての。私なんか翌朝から”歩け、歩け!”と強制されたわ。」に驚いていた。
このまま順調にいけば、私が姉宅にいくころには退院をした姉と四方山話ができる。


    
    感動のプロポーズ作戦を見つけました!
    こんな男性なら、彼女は生涯笑いに包まれ幸せに暮らすでしょう。
    兄から映画館に誘われた女性は何も知らず映画を見始めます。
    
    「自分は古い人間かもしれないが、、、、。」と彼女の父親に結婚の許しを得る彼女の
    恋人。
    父親の娘を自分がどれほど大事に思っているかを話す彼の言葉の数々は心打たれます。
    どんなに愛した娘でもいつかは巣立ちして自分の道を歩き始める、、、と言ったくだりで
    タンポポが映し出される演出。
    映画が始まり父親と恋人二人の声を聴いたとたん「???」と、いぶかる女性の表情。
    左下に映し出される彼女の一挙一動も見ものです。
    見終わったあと、ほのぼのした気持ちにさせられます。
   
    晴天
by arata-tamiko | 2011-09-30 21:53 | 諸々の出来事 | Comments(0)

スカンクと野生動物   9/28/11

 ある方から「買って一ヶ月の車なのに酷い臭いがするようになった。中古とは言え、この動物的な臭気は耐え難い。それにドアのリモートも作動していない。」とディーラーに不満を持ったメールを戴いた。
試運転をした時は何の臭いもしていなかったのに今になって?
「そうだ!今は巣立ちをした小動物たちが新しい巣作りに走り回り、無残に轢かれた姿があちこちに見られる。」

 「最近出かけられた時に動物を轢きませんでしたか?それと4つのドアを全開するにはリモートを二度押していますか?」と書いて出した。
やはり死んだスカンクの上を走っていた。
リモートの鍵も全く問題はないそうで「スカンク恐るべしですね。」と返事を戴いたが、気の毒にかなり長い間、この臭気に悩まされるはず。

 以前、我が家のチビが夜遅く庭でスカンクにオナラを噴きかけられ悶絶の苦しみで、のた打ち回った。
どうしていいのか分らず抱えて家に運びいれ床に置いたとたん、転げまわるようにして同居していたスヨンの部屋に走りこんだ。
ベッドで、うつらうつらしていた彼女はチビを抱え上げたとたん、悲鳴をあげた!
彼女の布団、シーツと洗っても強烈な臭いは落ちず、チビの体から臭いがしなくなったのは一ヶ月も経ってから。

 この方、初めてのスカンクの臭気に”動物的な臭い”と判断できたものだと感心させられた。
我が家の庭では毎年スカンクの家族が歩く可愛い姿が見られたのに、最近雑木林が切り開かれ建売住宅が出来てからというもの全く姿を消してしまった。
スカンクは遠目から見るだけなら、実に愛くるしい姿かたちをしている。

   晴天
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      今でもこうやってサマービルの住宅地に野生の七面鳥が歩いているのだから
      メイフラワー号で渡ってきた人々の時代には、彼らの命をつないだ七面鳥の
      生息数が推察できる。
by arata-tamiko | 2011-09-28 22:49 | 諸々の出来事 | Comments(0)

ファンミーティングとは?   9/26/11

  ある韓国俳優が日本で初めて催すファンミーティングのため、ボストンに戻る日を延ばしたが、会場で俳優とファンが一体となって何をするのか詳しくは知らない。
ドラマで怖ろしいほどの演技を見せた俳優の演技をしていない姿見たさに申し込んだ。
東京に住む友人のSさんに早速Skype。

「どのファンミーティングだって同じようなものなのよ。下手な日本語で自己紹介してね、必死に練習したピアノとか歌を歌って、ファンがペンライトを振りながら”キャー!ヒィー!”って悲鳴をあげるの。」

「そんなにわか仕立ての上手でもない芸を聞いてどうするの?」

「ファンとしては自分達のために練習してくれたって言うことだけでも嬉しいのよ。」

「だって、相手は高いお金を取っているんだから、それくらいは当たり前ではない?」

「で、さぁ~、最後は”サランヘヨ。愛しています!”と皆に言うのよ。一人一人ハグしてもらって、お土産のグッズ入りの袋をもらうっていうわけ。」

「そんなグッズをもらってどうするの?塵になるだけよ。」

「もう本当に、、、。ファンとしては、それがいいのよ。あなたみたいに歌もハグもグッズも要らないって人は初めから行かないわよ。」

「貴女って、ずいぶん詳しいわね。どうしてなの?」

「そんなことは聞かないの!」

 この切符購入は「予約先行」となっていたが、彼の熱烈なファンのサイトを見ると申し込んだ人は全員当選しているのが可笑しい。
席の余裕があれば一般発売と書かれていたけど、いわゆる韓流スターでもない彼のファンミーティングに、人が集まらなかったら気の毒。
でも、それも心配することもないみたい。
空席を埋めるため無料で切符をばら撒いて人を集めるのだそう。
そうなると、まともに買った人が馬鹿にみえてくる。

 
       彼は気の毒なほど顔は不味いが味のある歌を聞かせる
       住んでいるソンヒーに聞くと「20年前に大ヒットした曲なの。懐かしいわ。」
       賛美歌しか歌わない彼女が一緒に歌い出し目に一杯涙をためている。
       きっとこの歌には何か青春の悲しい想い出があるのだろう。

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           留学を終え帰国前にご挨拶に来てくださった川本さん御一家。 
           日本で生まれた数ヶ月の侑佳ちゃん(三歳)を連れて奥さんが後で
           来られたのが、つい先日のよう。
           そして帰国の今は真悠子ちゃん(5ヶ月)が家族に加わった。  
by arata-tamiko | 2011-09-27 14:11 | 諸々の出来事 | Comments(0)

日本の伝統芸術を継承   9/24/11

  一月半ほど前に東京国立博物館の学芸員と自己紹介が書かれたメールを戴いた。
Kさんは16代続いた刀鍛冶匠の家の生まれで、日本の武具、刀剣、蒔絵などを沢山所有しているボストン美術館を見学されたいとのこと。
(一人住まいの韓国人の友人、Hさんには日々の楽しかった出来事を電話で話している。
 16代と聞いたHさんは思わず”それって神武天皇からのことではありませんか!”と冗談を言う。
 日本の朝鮮における戦前の教育は12歳だった彼女にも神武天皇を教えているとは凄い!)

全てが自費らしいので「Salemの美術館は、また違った趣があって一見の価値はありますよ。」と、こちらから招待をした。
日本の若者が日本の伝統芸術を継承する気概を持ってくれることだけでも嬉しく、私に出来ることなら何かしてあげたい。

 留学の御主人について八月終わり当地に来られたYさんも誘って一緒に出かけた。
このビジネスを通して、多彩な職種の方々とお会いしているが、このような分野は初めて。
のっけっから彼の専門職についての質問をしたが、聞けば聞くほど好きでなければ出来ない仕事の内容。
職人の家に育った彼は別の道を歩くつもりだったのが長兄、次男と同じ東京芸大を出て美術の道に入った。
次男の方は、東京の渋谷駅近くにて彫金教室(指輪やジュエリー制作)を開いている芸術一家。
運転をしながら思わず彼に「お金は稼げないでしょう?結婚は難しいわね~。」と同情。

「全く、その通りなんです。」と我が意を得た返事。

「きっと貴方の仕事を理解する女性が出てくるわよ。未だ若いのだから急ぐことないわ。」とYさんと慰める。

「たとえば生活力のある女性と一緒になって、あなたは自分の仕事を続けるとか、、、。」とYさんが提案。

「でも男として、それも嫌でしょう?」と私。

「だけど会って十分もしないのに、どうして私達が、この人の結婚を心配しないといけなくなっちゃったの?」と言って三人で爆笑。

この方のホームページです。

http://www.studio-shikumi.jp/

次兄の方の教室名   studio crucible

http://www.crucible.jp/

最後に吉野に住む刀鍛冶職人のお父様、河内国平氏です。
長兄の方が継いでいらっしゃるとのこと。

http://www.mugenkan.com/

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  やはり専門家は見るところが違う。
  この古久谷の大皿を飾るスタンドにも皿と同じ文様を画いている細かさに彼は感銘していた。
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  「黒い部分に魚魚子(ななこ)の手法が使われていますが、今ではこの技術が出来る職人が
   いません。」との話。
  黒い粒粒は手を休めず直線に彫っていくのだそう。一旦息抜きをすると線が曲がってしまうと
  言うことから焼け落ちた金閣寺の再建を思い出し、彼も「それと全く同じことです。」とのこと。
  紙よりも薄い小さな四角の金箔を天井一面に貼りつけていく上において、風が吹き込まない
  ようにして職人は天井を見上げながら体中に汗を噴き、休むことなく一気に仕事を進めていた。
  一旦休んで仕事を始めると四角の金箔が微妙にずれて最終的には一直線になっていなかった。
  
  検索すると以下のように説明があった。

  >魚子とは本来、屏風の角金具や引手など、錺金具の地彫として施す粟粒状の模様を指す。
   これは魚の卵に似ていることから付けた名称。<
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     小大名のお駕籠ですら、これほど豪華絢爛なのだから徳川の奥方の乗る御輿は、どれ
     ほどのものだっただろう。
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                   左Yさん  右が美術館巡りをされているKさん    
     この写真を見れば、私がYさんに「離れて歩いて。」と言う理由がお分かりで誰も私を
     責めないでしょう。
     どうして私が引き立て役にならないといけないのか!
     母親と見られるなら嬉しいが”ばあや”と思われたら目も当てられない。 
     
by arata-tamiko | 2011-09-25 10:54 | 諸々の出来事 | Comments(0)

田舎の変貌   9/21/11

 日本出発まで二週間余りとなったが未だ実感が湧かない。
二十年ぶりに会う大親友のTさんは、いろいろと趣向を凝らしたプランを立てている。
先日も「なぁ~、小学校に通う”肥溜め通り”を覚えちょるやろ?」とSkypeがあった。
毎朝通学途中にあるTさんの家に寄ってから二人で学校に行った。
昔のように小学校まで一緒に歩いて行きたかったが、その狭い道も今ではセメントで固められ昔の面影は全く残っていないそう。
この道の両側には畠が広がり学校の帰途、成長した麦畑の中に潜り込んで病気になった黒い麦の穂を捜すのが楽しみだった。
その麦を何かに使うとかではなく、見つける楽しさだけなのだから今の子どもからすると単純な遊び。

 畠の持ち主たちが人糞を溜め腐らせている深い穴が道路に沿ってあり、腐りかけた木の覆いが申し訳程度にのっていたから、その臭気たるや鼻が曲がるほど。
女の子の注目をあびたく、その覆いに上がった男の子が肥溜めに落ちたこともあり、相当長い間”臭せえ、臭せえ”と馬鹿にされていた。
(昔は便器から下に落ちて、人糞にまみれ助け出される子もいた。)

 その上、梅雨の季節には雨で水位?が上がり、人糞が道路に溢れ漂う中をゴム長靴をはいた私達はジャブジャブ歩いて通学していた。
おまけに用水路からあふれ出したお腹に赤と黒のまだら模様がある”赤腹たいたい”と呼ばれる不気味なトカゲがプカプカ浮いていたりして、踏み潰されたものはもっと悲惨な姿。
そのせいか今でもトカゲ類は大嫌い。

 姉と「それでも赤痢とかチフスになったとか言う子はいなかったわね。」と話したが、昔はこんな環境の中で抵抗力が自然に備わったのかも。

   晴天
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     マルコメ味噌のような小学校三年の雄大君、食べることが大、大好き!
     アパートの大きなクローゼット部屋は雄大君が両親の言うことを聞かない時に閉じ込める
     ためのものと話すと「僕閉じ込められるより御飯の量を減らされるほうが辛いです。」
     言う。
     食べっぷり、体格、性格と私の下の孫を思い出させ、お世話が終わった昨日、別れる時
     思わず抱きしめてしまった。
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            わき見もせず熱心に、そして世にも幸せそうに食べる雄大君
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     小学校一年の莉子ちゃんはほっそりしている。
     礼儀正しく躾けの良い二人を見ていると、ほほえましく気持ちが良い。
     私にだけでなく、なにかしてもらう度に二人は両親に対してでも無意識に「ありがとう。」と
     お礼の言葉。
     同じ建物に住む私のお客様だったKさんと、Yさんの奥さんは気が合うこと間違いなく、
     確か莉子ちゃんと同じ歳だったので紹介したいと言って昼食にベトナムラーメン店に入ると
     私の名を誰か呼んでいる。
     見ると、そのKさんがお友達と食事をしている!
     「この方なのよ。紹介したかったのは!」
     「それも三日間、貴女のことを聞かされましたよ。」とYさんのご主人。
     「そうよ。貴女のことを褒めちぎっているんだから本性を見せては駄目よ!」と忠告。
     「はい。絶対に大丈夫です。気をつけますから。」とKさんの奥さん、チーちゃんは言う。
by arata-tamiko | 2011-09-22 22:41 | 諸々の出来事 | Comments(0)

代々家に伝わる簪三本   9/20/11

  15,6年前、NH州に高校留学をしていた男性徒の実家は何百年続いた長野の旧家。
私の骨董好きを知ったお父様が、そのころ古い簪を三本下さった。
一本は珊瑚の玉、一本は細かい銀細工、もう一本は華麗な金蒔絵。
妹の小依ちゃんもCambridgeにある英語学校に行くのに私の友人Gにお願いしてホーストファミリーになってもらった。
十数年経った今でも二人はクリスマスカードで近況を知らせあっている。

 この簪を手にして眺める度に「先祖の誰の髪を飾ったのだろう?」と思ったりしていたが、歳と共に返したい思いがつのってきた。
郵便で送るのも万が一の紛失が恐く今まで手元に置いていたが、小依ちゃんがNYに仕事で来ることになり、ボストンにも立ち寄るとの知らせをGから受けた。

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  お父様が下さったままの状態で、三本の簪が入った柔らかいなめしの皮袋を小依ちゃんに
  「これは元あった場所に帰るべきものなの。」と手渡した。
  小依ちゃんは不思議そうに「何でしょうか?」と簪を包んでいる古い紙を開きながら聞く。
  中から出てきたものを見た彼女は「これ、昔家で見たことがあります。でもどうしてここに?」と
  絶句。
  説明をする私に「父が一旦あげたものを受け取れません。」と返そうとする小依ちゃんに「これ
  はね、貴女の家にあるべきものなのよ。いつか結婚をするときに髪に飾って写真を私達に
  送ってね。」
と手に握らせた。
  小依ちゃんは目に一杯の涙を浮かべ「はい。」と返事をし、やりとりを見ていたGは「なんて
  感動的な話なの!」と震えた涙声。
  側にいるGの昔の恋人も「歳をとると涙もろくなってね、、、。」と一緒に涙をぬぐっていた。
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     49年前にGと恋人が船上で夜を徹して踊りまくったエラ・フィットゼラルドの歌が流れる
     G宅のダイニングルームで私達は一緒に朝食をした。
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      高校生だった小依ちゃんのお兄さんも30代半ば。
      ファッションを手がける彼が余り布を使って作った熊さんを私へと、持たせていた。
by arata-tamiko | 2011-09-20 21:15 | 諸々の出来事 | Comments(0)

恋人と49年ぶりの再開   9/18/11

  アメリカ人の友人、Gが、何年か前に「ある男性と、もう一度会ってみたい。」ともらし、話を聞くと
1957年に女性の友人4人とヨーロッパの船旅へ出かけたそう。
その時に船上で出会ったダンスの上手なオランダの男性と恋に落ち、別路のコースでヨーロッパを二人で旅をした。
プロポーズをされた時”恋か勉強か”と悩んだ末、ボストンの大学に戻る道を選んだ。
数年は手紙のやり取りをしていたが、いつの間にかお互いに音信不通となり、それぞれが別の人生を歩んでしまった。

 アメリカに来て初めての友人となったGとは28年のお付き合い。
しかし、私の知るGはシングルマザーそして教育者として幼い三人の息子を厳しく育てあげ、自分をも律した女性。
時折、畏怖の念をもってしまうこともある彼女に、これほどの燃える恋の情熱があったとは驚き以外のなにものでもなかった。

 彼女には、どれくらい助けられたことか、、、。
今度は私が彼女に恩返しをする番。
この話を聞かされたすぐ後に、何かのサイトでオランダ在住の日本女性が書いた記事を読み、尋ね人の件をメールで話した。
親切な彼女は彼からの最後の手紙に書かれていた住所を調べてくれたが住んでいなかった。
オランダでは個人情報の管理が厳しく手がかりを得るのは殆ど不可能だという返事。

 Gに「なんでも良いから思い出してくれ。」と頼むと「父親の経営する大きな不動産ビジネスを引き継いだから遠くの町には移っていない気がする。」と言う。
それを知らせると、彼女は市役所に行き遂に彼の住所を手に入れることが出来た!!

 妻を早くに亡くした彼がツアーでボストンに来ると聞かされた時は正直今の姿を見せないほうが良いのではと危惧した。
彼女は奇病にかかり、その薬がもたらす副作用のため昔の面影は全くない。
そして二人は49年ぶりの再開を果たした。
次は彼がオランダに招待して、Gは彼の三人の子どもたちや孫も交えて楽しい日々を過ごし、今回はオランダから来た彼がG宅で2週間滞在し、初めて彼女の息子三人に紹介された。

   秋晴れ
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     「Tamikoなしでは自分達の再会は有り得なかった。」と電話で言う二人に「日本では
     90度に腰を曲げて感謝の意を表す。練習をしておいてね。」と教えておいた。
     初めて会う私に長身の身を折り深々と頭を下げて謝意を表わすGの友人。
     私が彼を探しているときに「背が高くブロンドの髪とブルーの目でゴージャスな男性」と
     Gから聞かされていたが、80歳近い今でも186センチの長身で魅力的な顔立ち。
     若かりし頃は、さぞや、、、と思わせる。
     彼女の一挙一動を優しいまなざしで見守る彼、30歳前から40年以上母親としてだけで
     生きてきた彼女の幸せそうなようす。
     見ているだけで、こちらも一緒に幸せを感じてしまった。
   
by arata-tamiko | 2011-09-19 10:05 | 諸々の出来事 | Comments(0)

今度は繊月酒造の酒倉   9/15/11

  人の縁とは、どこまで繋がっていくのだろう?
九州の旅をプランしてくれた田舎の友人、Tさんは私が51年ぶりに会う男子学生だったFさんの住む地に詳しく感心してしまう。
「私達の田舎から離れているのに、どうして?」と、聞くと「あそこは米から造る焼酎が美味しいんで。それに魅かれて何回か行っちゃるけん。」と、ハァハァハと大笑い。

 一昨日「倉が沢山あるけどな、うちが一番好きなところがあるんよ。そこは一本七千円とかする35度の球磨焼酎を好きなだけ無料で飲ませてくれるじゃが。それがまた美味しいんよ~。見るだけの価値がある倉じゃけん、飲めんでもチョット寄ろうか?」と聞いてきた。
酒がなくって何の人生な~。来るまでに少し練習でもしちょったら?」と下戸の私に言うが、悔しいかな飲めないものは飲めない。
「ただ酒だから、よけい美味しく感じるのよ。」と憎まれ口をきいてあげた。

 今朝、K先生の奥様からメールを戴いたので、そのメールをTさんに転送した。

             「繊月酒造」という酒造が母の従兄弟にあたるそうです。
             ホームページはこちら http://www.sengetsu.co.jp/
             ご興味あればご案内できると思います、と母が申しておりました。

現地で何かお手伝いできることがありましたらお知らせくださいと結ばれていた。
 
 メールを読んだTさんから「たみちゃん、こえんことがあろうかな~。うちが、ゆうちょった倉見物、覚えちょるな。この店の”無言”ゆう焼酎でー。」と、Skypeが入った。
この繊月酒造の社長に友人のTさんが、ただ酒に魅かれて遠くから飲みに来ることを告げ口してあげよう。

   日中一時大雨 夜寒し
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              自分のサイズを知らないチビは大型犬にすり寄ってキッス

            
by arata-tamiko | 2011-09-16 15:02 | Comments(0)

老人保健施設   9/14/11

 私が高校一年のころ、ほのかな想いを抱いた男子生徒のFは現在熊本のある村に住んでいる。
今回の旅は小学校時代からの大親友、Tさんの運転で彼女の友人Kも同乗して私の田舎から太平洋沿岸に沿ってあちらこちらを見物しながら熊本に上がり、51年ぶりの再開と彼女は計画をたてている。

 熊本大学から留学されているTさんの奥さんに「S村って知っている?」と聞いたところ「どうしてそんな田舎を知っているんですか!?」と逆に聞かれた。
ご両親の病院から10分ほどの村だそうでお互いに「こんなことってあるかしら。」と口にでた。

 「是非に夕食を、、、。」とご両親からお誘いを受けたが、Fさんが招待してくれる熊野川の渓流が眺められる宿にTさん、Kさんと三人で一泊するのみ。
夕食の場所も既にFさんが決めているのでお断りをすると「母が何とか翌日の昼食だけでも、、、と言っています。」とTさんからのメール。
そしてお母様が経営している「老人保健施設」は、私達の宿から5分なので迎えに来られると書かれている。

 姉に話すと「ちょっと、忘れずにパンフレットをもらってきて。そんな娘さんのお母様なら、老人を騙してお金をとる事もしないでしょうし、きっと優しく面倒を看てくれるに違いないわ。その上、空気は良い、鮎は食べられる、新鮮な野菜には事欠かない。これ以上私は何も望まないわ。」

「ついでに福祉関係に働いている娘も頼んでしまおうかしら。人手は要りませんか?って。だって、そんな田舎なら米を作っている善良な男性が娘に見つかるかも。」

「何で米作りなの?」

「今は放射能とかで可哀想に東北のお米が駄目だし、年々田んぼが減る日本が食糧危機に襲われても、お米さえあれば何とか生きていけるでしょう。」

「そう、そう。51年ぶりのFさんに会ったとたん開口一番”とても良い老人保健施設があるんです。”なんて口走しらないのよ!気をつけて。」と釘をさされた。

    蒸し暑い
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                          有吾君   6ヶ月
         主人と同郷の奄美大島出身のYさんが、先日到着された奥様と赤ちゃんを
         連れてご挨拶に来てくれた。
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                チビに異常なほどの興奮ぶりに私達は大笑い
                         
by arata-tamiko | 2011-09-15 14:14 | 諸々の出来事 | Comments(0)

懐石料理店”にしかわ”   9/12/11

  個人的にも親しくしているお客様、Kさん御夫婦の奥様の実家が京都の老舗呉服店。
先日お店の作品だと素敵なスカーフを頂き、他にも日本伝統の美を取り入れた品々が飾られているそう。
京都は20代の頃、一度訪れたきりなので今回出かけてみようと思い立ち、奥様に「日程は分らないけど、お店に立ち寄るわね。」と話した。

 すると御主人から奥様のお姉さま御夫妻が祇園で「にしかわ」という会席料理店を経営しているとメールを頂いた。
「もし京都へ行かれてお時間があるようでしたら、そちらで如何ですか?ご都合が良く、日時、人数が分るようでしたらこちらで予約をさせていただきます。身内で言うのもなんですが、とても美味しいです。
また、ミシュランガイド京都大阪神戸にも掲載されています。」

 早速検索!!

           http://r.tabelog.com/kyoto/A2603/A260301/26007611/ 

これでは万難を排してでも行きたくなる!!!
10月前後に手術を受ける姉は同行できない。
まさか一人ぽつねんと食事をするわけもいかず、東京で宿泊させてもらうIさんにSkype。
話しながらサイトを開いたIさんも「行くわ。私京都まで行く!」となった。
Kさん御夫妻の優しい思い遣りで、思いがけずIさんと京都旅行をするようになった。

 しかしこの若い御夫妻の取り合わせを見ると恋愛結婚でも、それなりの家柄同士で一緒になるものだな~と思ってしまう。
韓国ドラマの定番であるシンデレラ物語はドラマの中だけなのだ。



     この1959年製作のイタリア映画「死ぬほど愛して」のラストシーンは衝撃的だった。
     ふとした過ちで殺人を犯した恋人をかくまう女性が刑事に追い詰められていくサスペンス。
     あの時代はイタリア映画全盛期。
     この歌も必死に覚え、いつかイタリアに住みたいと願望していたのにアメリカとなった。
     ピエトロ・ジェルミ監督が刑事の主役も努め他にも彼は名作を沢山残している。

   快晴
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                      Kさん御夫妻から頂いたスカーフ
  
                  IZUTSU  ( 会社創立 明治25年 )
                     http://www.silklayer.com
by arata-tamiko | 2011-09-13 12:53 | Comments(0)