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この一ヶ月で姉妹二人が手術   7/30/11

 担当の外科医から病名を知らされた後、すぐに日本の姉に「この歳になったら絶対にトイレのブルーレットとか使わずフラッシュする前に必ず確かめること!」と、姉に促していた。
私の場合は、いつも使用している製品の買い置きがなく、たまたま無色の水洗水で出血に気づいたのだから、運が良かった!としか言いようがない。

 それから一週間ほどしてだったか、、、、。
姉から「私達こんなに仲が良いのかしら?」と電話があり、同じく出血に気づいたそう。
検査の結果、腸に小さな悪性の腫瘍が見つかり即刻切り取ることになり、姉から「あなたに命を助けられたわ。」と感謝された。

 入り口に近かったため、お腹を切ることもない手術だったが私と同じく二泊三日。
こちらでは、病院のパンフレットに書かれた指示に従って家にいながら手術前日の絶食と下剤は済ませたが、姉の場合は、案じたとおり下剤が効いてからは六人部屋のためトイレに行くのに必死だったそう。
最後の排便は看護婦がチェックするそうで「これもある意味で大変な仕事ね。」と同情した。

 70歳になったばかりの姉は何か特典があるようで「たったこれだけ払えばいいのよ。今まで掛けてきた健康保険のお金を取り戻したみたい。」と喜んでいたが、私もそれは同感だった。
65歳になるまで、たった一人分なのに保険会社に毎月650ドルを払い続けながら、何の病気もしたことがない。
年一回の健康診断で採血される何百ドルの費用は自費払い。薬も保険が適用されることがなかった。
それが今回の手術で姉や友人達に「65歳過ぎての病気で良かった!今まで支払った分を取り戻したようで得をした気分。」と手術の成功も然りだが、チ~ンとキャッシュレジスターの音がしたような金銭欲。

 手術後一週間もしないうちにドクターから「化学療法も放射線療法も必要ありません。良かったですね。」と我が家に直接電話があったが、日本ではもっと日数がかかるようだ。

   夜に雨
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    名古屋のYさんは、まったく肝っ玉が据わっていて送ってくる量は,いつも半端ではない。
    ”病気見舞い”と称して、ある老舗店の素麺、冷麦詰め合わせを大箱二箱も送ってきた。
    私の手術を知っている郵便屋さんが「とても重いから。」と二階に住む我が家のキッチン
    まで靴を脱いで運んでくれた。
by arata-tamiko | 2011-07-30 22:49 | Comments(0)

旅行をしても良いと言われる   7/27/11

  今日は主治医とのアポ。
訪問看護婦が自宅で血圧を計っていた時は「パーフェクト!」と毎度言われ「本当に?」と聞きかえすほどだったのが、今日は左右の腕をかえ数度計っても「高いわ。」と注意された。
何処に行くにもバッグから後生大事に薬を取り出している人を見ると「ああはなりたくない、、、。」と思っていたのに、今では半錠の血圧の薬と一錠のコルステロールの薬を飲みながら「あぁー、世もお終い。」と嘆く。

 「旅行はいつから行けます?」と聞くと「今でも大丈夫よ。」と、言ってくれたが、いくら何でも自信がない。
傷口も綺麗に乾燥しているそうで「転移していなかったのが最高ね。」と喜んでくれた。

お腹を切られるのに、汚いお臍を見せては失礼にあたるとベビーオイルを買って綺麗にしておいた。
退院後、暇にまかせて体験談などを読んでいると、若い女性が「担当の看護士が醜男で顔を近づけてキューチップで臍の掃除をするのには参った。」と書いていた。
事前に自分でしておいて良かった!と思ったが、アメリカでもするのかしら?

落ち着いて指示通りに着替えたつもりだったが、なぜか下着のパンティーは身につけたままだったようで、後でナイロン袋に入れて渡された。
Chico`sで安売りがあった時、大量に買ったのが全部会社名のラベルが内側に縫い付けられていてガサガサとして気持ち悪い。
切り取ると縫い目がはずれてくる。
しかたがないので究極の策として裏返しではいていた。
これが若い娘なら「あらっ、可愛い。うっかりして裏返しにはいているわ。」と看護婦も微笑むだろうが、私の歳ともなれば「ボケるには未だ早いけど、その兆候が出てるんだわ。」と思ったに違いない。
これは痛恨の極みだった。   

   爽やかな晴天
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     お客様だった人たちから「買い物をしてきましょうか?」と電話がかかってきたり、Tさんは
     私の好物の鳩サブレーを日本から取り寄せたと家に持ってきてくださった。
     皆様、とても優しい。
     手術前に、ある人のスープを飲み「退院後、料理が出来ないかも。作ってくれない?」と
     お願いすると返事をされず、私もすっかり忘れていた。

     「特別に野菜を沢山入れてベーコンも高いのを買って栄養満点よ。」と電話があり、今更要ら
     ないとも言えず「えっ、作ったの?おいくら?」と聞くと「特製だから50ドルでいいわ。」。
     常識ある人だったら、必ず金額を先に知らせてくれるだろう。
     手術前の絶食、術後のスープ攻めで何のスープであろうが、もうヘキヘキしている。
     自分は一口も食べずに人に上げたりして最後の半分は流しに捨てた。   
by arata-tamiko | 2011-07-28 06:32 | 諸々の出来事 | Comments(0)

人と人との繋がり   7/25/11

 9月入居できるアパートの室内は、現住人が住んでいる限り写真は撮れないと不動産屋から言われたが、この問題はお客様にモデルルームの写真を見ていただくことで何とか解決できる。
しかし、この部屋の窓からの風景を想像していただくことは出来ない。

 そうだ!この部屋の4階上に私のお客様が住んでいる。
今では個人的に親しくしているので、彼らの部屋から見える外の風景を撮ってもらえば、ある程度のイメージが沸くのではないか、、、、。
で、大手製薬会社から留学される女性に、Kさんにお願いすることを説明をし「彼のお父様は其の薬品会社のオーナーです。」と一応紹介しておいた。

 すると返ってきた返事に「父は退職後その会社に再就職をして去年辞めました。社長の息子さんがアメリカに留学しているとは聞いていたそうですが、同じ建物に住むことを知って驚いていました。」。
早速、Kさんにお話をすると「父と親しかったようで、僕もその方を知っています。」とメールがあった。

 訪問看護婦も四日前に終わり、普通の生活をしても良いとのこと。
今朝チビと散歩をしていると車が止まり、中からお客様だったYさんの奥さんが出てこられ「大丈夫なのですか?」と回復に驚きをみせながらも心配げに聞く。
私を見た人は皆「手術をしたなんて見えませんね。」と褒めてくださるが、余り元気にしていると同情がもらえなくなるので少しは弱々しげに芝居をしよう。

   曇り 夕方から救いの雨
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                      一日のみの命 デェイ リリー
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by arata-tamiko | 2011-07-26 09:31 | 諸々の出来事 | Comments(2)

私が見込んだだけあったFさんの話    7/22/11

  一分間話した数日後、50年ぶりにFさんと2時間話した。
高校時代から今日までお互いが歩いてきた人生を学生時代の言葉遣いで語り合った。

「あんたには本当に悪いことをしたと50年間思い続け、特に手書きでお客さんたちに賀状を書くたび”ナ行”で筆が止まるんよ。だから、あの手紙は本当に嬉しかった。俺の一生の宝物じゃ。
流行歌を歌ったら軍人あがりの父親から殴られるような家庭に育ったけん、高校生で男女が付き合うのは不良しかせんと思ってな~。」

「そうよ。一方的に別れを告げられた私の自尊心が、どれくらい傷つけられたか。私に取って、貴方は良い想い出がないのよ。」と言って笑い合う。

「下駄箱の俺の靴に手紙を入れるのは相当の不良だと頭にきてな、あの当時消火用のため廊下に水を張ったバケツがあったじゃろー。階下のクラスにそれを提げて”出て来い!水をぶっ掛けちょるけん!と怒鳴りに行ったんよ。」

「Tさんも私も、あなたが怒鳴り込んできたと言う記憶がないんだから、間違ったクラスだったのよ。」

「今になってみれば分ることじゃなー。そこに運悪く、校長が通りかかってなー”お前なにをしちょるんか?”と言われて、とっさに”水が入っているかどうかの点検をしています。”と答えたんよ。
もしばれていたら大事になっちょったな~。」

25歳の時に大手の会社を辞め、クラブのボーイをしながら経験を積み昼間は学生になりすまし東大の経営学クラスにもぐり込み図書館通いをしたそう。
71年、銀行にビジネスの計画書を持って一億八千万円の融資のお願いをすると、70過ぎの投資家を紹介された。

工事が始まると投資家が何度か不安げに「失敗したら、、、?」と口に出し始めたので「このビジネスは損をしょうと思って始めたんではありません。縁起の悪いことは言わんでください。」とピシャリと言うと黙ったそう。
いざオープンもまじかになると投資家が、またもや「もし駄目だったらどうなるのか?」と聞いてきた。
「そん時は銀行とあんたが金を失うだけのことです。」と返事したら二度と何も言わなくなったそう。
今の20代の男性で、これだけの度量がある人がいるだろうか?

「そこはヤクザが多いから何かとあったでしょう。」

「そうやな、みかじめ料のことで何回か事務所に連れて行かれたわ。」と笑う。

当たりに当り、多角経営に乗り出しグアムまで手を広げたが4年前に全てのビジネスから手を引き、ある村で車もパソコンもFaxもない隠遁生活に近い日々をすごし自分の趣味の研究を楽しんでいるとのこと。

「高校時代の一番の親友が40代で亡くなったんで、津久見へは一人で墓参りには行きよるんよ。」

「それだったら、どうして私の実家の店に行って私の住所とか消息を聞かなかったの?」

「本当を言うと何度か行ったんよ。店の奥から出てこんかな~とか思うて、商品を見るふりをしたりしてな。どうしても聞けんでな~、要らん消しゴムとかを買って店を出たわ。」

「Fさん、もうそれだけで全部を許すわ!!もう自分の話だけど泣けてくるわ。」

二人で「本当に縁と言うものがあるのね。縁があればこそ、こうやって50年後に話せるんだから。」とつくづく感じ入った。
電話を切る前に「あんたは私が惚れこんだ男だけあるわ。」と言ってあげると「そえん恥かしいことは言わんすな。」と照れていた。

多角経営のビジネスも全て同じ名前を使ったと聞いたので検索してみると、出てくるわ、出てくるわ。
一代であれだけのものを築き上げた彼の才覚に尊敬をしてしまう。

   晴れ  日中35度
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             Fresh Pondにあった魚屋さんが我が家の隣にオープン 
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                  日本人が好む小さな魚はなく、殆どが切り身
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                    三つ大きなロブスタータンクがある。
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       店内でもシーフーッドを座って頂ける。 私はロブスターサラダを頼んだ。
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                  御飯茶碗三分の二の料で22ドルとは!
by arata-tamiko | 2011-07-23 01:39 | 諸々の出来事 | Comments(0)

これが初恋と言うものだろうか、、、。  7/20/11

 我が身に起きたことながら爽やかな一抹の清涼水を飲んだような感がし、今の時代にない話。

    Tさん  小学校から高校まで一番の仲良し。美人で利発。私達は、いつもくっついていた。    
    Fさん  一級上で他の町から機械科がある私の町のT高校に汽車通学をしていた。 

前にもチョット触れたが、Tさんから「Fさんを覚えているじゃろう?」と突然の電話があった。
Tさんは、仲の良い友人から「汽車通学をしていた一年上で機械科の生徒だった人が何十年ぶりで戻ってくるから、ドライブしてくれない?」と頼まれたそう。
感の鋭いTさんは「もしかしたら?」と、友人に「名前はFさんって言わない?」と聞くと、友達が「どうして彼を知っているの?」と驚いてTさんに聞いた。
(これが縁と言うものなのだろう。この話をTさんに持ってきたことで、そもそもの話は始まるのだから。)
Tさんが「Fさんは、多美ちゃんの初恋の人。」と話したことから一芝居しよう、、、となったそうだ。
花火大会の夜にTさん宅に集まった時、昔を再現する小道具として私に手紙を書いて欲しいと言ってきた。

当時は男女が親しげに口を聞くことすらしないため、私は自分の想いを手紙に書き、Tさんに下駄箱にあるFさんの靴の中に入れてくれるように頼んだ。
当時の機械科は殆ど全員が男性徒。
Tさんは柱の陰で全員が教室に入ったのを確かめて、こっそりと私の手紙をFさんの靴の中につっこんだ。

Fさんと二度目に会ったのは八幡様の境内。
そして突然交際を止めたいと告げられ、理由は意味不明で一方的だったから何とも納得できない不快な別れ方だった。
良い思い出のない相手に手紙を書けと言われて困ってしまったが、以下のような書き出しで書いた。 

        覚えていらっしゃいますか?
        お互いの人生の時間を一緒に少しばかり過ごした中島(旧姓)多美子です。
        現在は新田(にった)多美子となっています。

        あれから50年の月日が過ぎたのですね。
        Tさんの話によると、東京でなかなかの出世とか。
        あの当時は今のように情報もない時代、その中で地方の人間が上にのぼるのは
        それなりの苦労があったことでしょう。
        おめでとう御座います。

        田舎も両親が亡くなって以来、縁遠くなっています。
        いつかは墓参りをしたいと思いながら、自分がこの歳になってしまいました。
 

花火大会の次の日、Tさんから「Fさんよ。話して!私の携帯だから国際は一分間だけよ。」と電話がかかってきた。
50年ぶりに話すFさんの声は明るく「あの手紙は本当に嬉しかったです。一生大事にします。」と喜びが伝わってくる。
代わったTさんが「宝物にするち言いよるで。どぇーするな。」に「なんで、そんなにあの手紙を喜んでくれるの?」と聞くと「後でゆっくり話をきかせるけん、待っちょらんせ。」とのことで電話が切れた。

 翌日のTさんの話。

「うちの家にFさんも入れて5人集まってな、花火を見ながら飲み始めたんよ。
もちろん昔に私が靴の中に手紙を入れた本人とはFさんは知らんできたんよ。
そこに、50年前の高校の制服を来た一人がFさんの靴を持ってきて”だれんのな?手紙みたいなもんが入っちょるで”と言ったんよ。
Fさんが”僕のですが、、、。”と不思議そうに封を切って読み始めたら終わりのほうになって目に涙を一杯に浮かべてハンカチで拭きだしてな~。
もう皆ビックリしてしもうたわ。」

「あの手紙、人を感動させたり泣かせるようなこと書いてないんだけど?」

「それがな~、Fさんは、あの当時高校生で男女が付き合うことは不真面目と思うたんと。それに受験勉強があるけん、交際を断ったんとよ。
多美ちゃんに悪いことをしたと50年間思い続けちょったそうよ。住所録を見ながら自筆で賀状何百枚を書くFさんは、特にその季節になると多美ちゃんの旧姓「N」のところになると、ペンを止めて思うたそうよ。
じゃーけん、この手紙を読んで何十年胸につかえていたものが取れた気がすると泣いたんよ。」
こんなに自責の念にかられていたことを知ったには、私の方が申し訳なくなってしまった。

Tさんから「同級生でもないし、汽車通学の機械科のFさんを好きになったんな?」と今回聞かれても、私も不思議で、接点のない彼をどうやって知ったのか全く記憶にない。
Tさんと、いろいろ話しているうちにFさんが園芸部に属していたと聞いて”ハッ!”と気づいた。

「Tさん、思い出した!!!私も放課後は園芸部で、私は彼の働きぶりと他の人と交わす会話の頭の良さに惹かれたのよ。」
「16,7歳で、そえんところにひかれるんじゃーけー、あんたも変わっちょるな~。」とTさんは笑い出した。

Fさんは大手企業を中途退職して億の借金を背負い会社設立。
終には8社経営までの大成功者となり、各地の大学に請われて経営を講演していたとのこと。
働きすぎで体をこわしたため、全てのビジネスから手を引き田舎で悠々自適の暮らしをしているとTさんから聞かされた。

暑い
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by arata-tamiko | 2011-07-21 13:30 | Comments(0)

県警察本部長になったそう   7/18/11

 もう十年近く前のお客様から、ブログを読んで知ったと、お見舞いと銀行関係のことでメールを頂いた。
彼は独り身で住まいも近かったので、食事なども一緒に出かけたり息子を扱うように全く遠慮なくお付き合いをしていた。

 その当時からするとドルと円のレートが全く違ってきているので、残してきた預金と定期、そしてデビッドカードの最更新に関してだった。
肩書きに「県警察本部長」とあったので「つまり貴方は、その県で警察官の一番トップですか?」と聞くと三千人以上の組織体制だそう。

 「だったら、だったらよ、もらい物が多いでしょう?たとえばお饅頭の箱入りなんてもらっちゃって、その下には現ナマが敷き詰められているなんてことがあるんでしょう?
あなたは、うっかりしているから箱でもらったら、必ずひっくり返して確かめた方がいいわよ。
週刊文春週間新潮に書かれない様にね。特に最近の週間ポストは特ダネを狙っているから気をつけてよ!」と注意のメールをだしておいた、。

 すると「”越後屋、おまえも悪よのう~”と、代官が小判の入った饅頭をを渡すようなことも、最近の贈収賄ではあまりない感じです。」と返事を頂いた。

 銀行問題の手数料を支払うと言うので「そこは海産物が有名でしょう?それが食べたい!!!」と、仕事をする前からリクエスト。
「なるほど、それは気づきませんでした。美味しいものを探してみます。」と、言ってきた。

 銀行の解決説明文の最後に「三千人以上の部下に威張らないで、可愛がってください。慕われて怖がられてね。」と書いておいた。

   曇り
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by arata-tamiko | 2011-07-19 14:02 | 諸々の出来事 | Comments(0)

順調に回復しながら、、、。   7/16/11

 何か疑問があると即検索で解答を突き詰めていくことが好きなのだが、今回の手術に関しては殆ど体験談など読まむこともせず知ろうとしなかった。
医者であるYさんから親切に手術方法の説明文が送られてきたので目を通しただけで、友人のMさんの方が私の代わりに読み漁ってくれていた。

 自分の力と能力で出来ることなら、どんな努力もするが、及ばなければなるがままに任せるしかない。
事前に豊富な知識を得れば、先生の言われる言葉にも疑心暗鬼がでてくるので”無”で臨みたかった。
主治医から「疑わしい腫瘍が見つかった。腎臓の場合、この国では全摘出をすることが殆どなのよ。」と電話を受けた時「あぁー、暗にほのめかせているな。」と感じた。

 この後、Dr. Caneを紹介されY先生と友人のGrace三人で話を聞いた。
病名を告げられ「腹腔鏡手術で腎尿管全摘出をしますが、場合によってはわき腹を切る手術方法に変更になることもあります。」と先生が言うと、Yさんは私に向かって「もうお嫁に行くわけでもないから傷が残っても大丈夫ですよね?」と慰めてくれた。

 我が身に起こっている話とは実感がなく「何か質問は?」と聞かれても、術後は重いものを持ってはいけないと言われたことが頭に残り「いつから犬を抱っこして外に連れて行けますか?」と「仕事はいつから?」としか質問をしていない。

 Graceから「気丈に落ち着いて受け入れた貴女の態度は立派でした。」と一言メールをもらったが、そんな高尚なものではなく他人事を聞いている心境だったのが真実なのだが、そう思ってくれている友人を失望させたくないので黙っていた。

 病室を訪れたDr. Caneから「大成功でしたよ。」と言われ「先生を信じていましたから。」とお礼を言った。

 今は、もとの味覚が戻らないのに困っている。
前なら「そうだ、今日はスパイシーを食べたい。」とか「酸っぱいものにしようかな?」と食べるものを、あれこれ思ったのだが、それがなくなって、常に口の中が苦い感じ。
美味しいと思って食べられないし、午後は倦怠感を覚える。
これは本来の私ではない。
外見は健康でも、やはり一ヶ月の休養は必要なのだと思う。

 こちらで研究をされている泌尿器科のN先生に結果報告を兼ねてお礼のメールを出すと以下の返事を頂いた。

>回復も非常に順調で良かったですね。私も、同じ手術を受けられた患者さんを100人以上は診て参りましたが、一番順調に思われ、正直少し驚いております。確かに、病院に長く居ると、病気に気を取られて逆に回復が遅れるのかもしれません。<  

   晴天
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                    りんどうのような花
by arata-tamiko | 2011-07-17 21:47 | 諸々の出来事 | Comments(0)

最後のカテーテルがはずされる!!!  7/15/11

 手術後十日経ち、初めての先生とのアポ。

中年の優しいナースに案内されて部屋に入ると、私を眺めながら「貴女は本当に手術をしたのですか?」と聞いてくる。
「あれ?このナースは患者を間違えているのかしら?」と不安になって「はい、五日に。」と返事をすると、付いてきてくれた友人二人は大笑い。
初めてナースの意味することが分り「他の人はもっと弱々しいのですか?」と聞くと「特に男性はね。車椅子に乗ってくる人もいるわよ。」

暫くして入ってきた外科医のDr. Caneも第一声が「余りにも健康そうなのですが、手術を受けたのですか?」だった。
今朝一番に撮られた膀胱画像は、直ぐにDr. Caneのパソコンに送信され、画像診断のため私達は待合室で10分ほど待った。
「膀胱も回復しています。」と尿道に繋げられたCatheterを取り外すとドクターから言われた時、友人二人と私は思わず拍手!!!
腎臓癌は膀胱に飛びやすいので三ヶ月に一度の検査、残った腎臓は半年に一度の検査が必要とのこと。

ナースが膀胱にあるCatheterの空気袋の空気を抜いて一気に取り出した瞬間、繋がれていた鎖から解放された気分。
「痛み止めが必要な時は飲んでも良い。」と言うので「退院後瓶の蓋も開けていません。」と言った。
どのような痛みに襲われるのかが一番の心配だったが、一錠も必要ではなかった。

私のブログを欠かさず読んでくださる9月に来られる、ある製薬会社の若い女性から「食べすぎではないですか?」と心配のメールを頂いたが、何を食べても前のような味がしない。
好物のお寿司を食べても以前のような美味しさを感じなかった。
ドクターは「全身麻酔を受けた患者さんで同じことを言う人がいます。残念ながら未だ解明していませんが、徐々にもとに戻っていくでしょう。」とのこと。

退院後三日目にお寿司を食べたことを話すと、ドクターもお寿司は一番の好物とのことで寿司談義に終わったようなアポだった。

今回の自己発見は”運が良かった!”としか言いようがない。
常日ごろ使っているブルーレットの買い置きがなく、終わった後に流す水は無色だったから、出血に気づいた。
これが、もし水色をしていたら見過ごしただろうと思う。

右下腹を押さえながら弱々しげに診察室を出て行ってみせると、ナースが私の背中に向かって「You
are so funny」と大笑い。

気持ち良い天気
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    玄関ベルがピンポ~ンと鳴り、出てみると見惚れるほど立派で綺麗な大箱が壁に立てかけ
    られていた。
    眼鏡をかけていなかったので「花」の字が見えず「こんな豪華なものを送るとは日本のOさん
    に違いない!彼女の娘の幸ちゃんと虎屋の長男が仲良しとか言っていたから特製羊羹でも
    作らせたのか~?
    しかし、こんなに羊羹をもらってどうしょう、、、。」と思った
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                       持ち上げてみて、花と知る。
                       素晴らしい箱の内装とラッピング。
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by arata-tamiko | 2011-07-16 09:53 | 諸々の出来事 | Comments(0)

アメリカと日本の入院医療の違い   7/13/11

  腎尿管全摘除術前にアメリカの友人達と集まったとき、入院期間の短さに疑問をなげると中の一人が「病院は病人ばかりが生活しているところよ。
手術前の不安な心理状態で、そのような人たちに囲まれて食事制限を受けていれば心理的に悪くなっても良くはないはずで、欝になるかもしれないわ。
それよりもパンフレットに細かく記載されている方法に従って、手術の朝に病院に行った方が良くない?
自宅療養可能な回復と体力が出来ていると判断するのはドクターなのよ。一日も早く退院させてくれるなら嬉しくない?
右を向いても左を見ても手術をした人々ばかり。
傷口、血圧、脈拍音を日々チェックするだけのために2週間も入院をするの?
病室で一人ポツネンと2週間もいれば、いいことは考えないわ。
それよりも家族に囲まれ、美味しい食事をして家庭訪問看護婦に来てもらったほうが精神的に癒されると思わない?」
と言われた。
私の心中としては「無謀よ!体にくっついている臓器を取り出されているのに。」だった。

一番恐れた術後の痛みは、今回先生が「絶対に約束する!」と言ってくれた通り、病院で購入した痛み止めの錠剤は一粒も飲んでいない。
昨日きた訪問看護婦も「傷も血圧も心拍もパーフェクト!」と言ってくれたが「機能していた臓器を取り出して一週間で本当かな?」と疑心暗鬼になってしまう。
しかし太もも近いお腹の11センチほどの傷口も一週間でかさぶたが取れはじめ、ベッドへの上り下りが楽になり、順調に治癒している証。

今一番辛いのは尿道から繋がったゴム管が太ももに提げている袋に流れて溜まること。
我ながら「何とみっともない!」と思ったが「男性的な俳優だった渡哲也は確か直腸癌だから、同じく提げているのでは?それに比べれば15日のドクターアポではずされるから未だまし。」」と自分を慰めている。

腎臓摘出手術で検索すれば費用や日々の検診が分る。
本当に、こちらの訪問看護婦で間に合う一日一回の検診だけで2週間入院をしていることになる。
ベストセラーになった「診てもらいたい日本の10人の医者」の一人に名前が載っている名古屋の外科医のY先生にお話しをすると「それは日本人としては、あなたは独立心旺盛だから出来ると思いますよ。今の日本では未だ無理です。」との意見。

古い我が家だが、三日目で帰宅してインターネットで仕事が出来、好きな本を読み、好きなものを料理して、好きなときにベッドに横たわる、このシステムは大いに勧める。

   曇り
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       近所に出来る野生のブラックベリー、時期を逃すと食べられない!
       自宅に戻って、すぐに摘んできたが、食べたいからではなく一口でも味わって
       おくと季節を楽しんだ気分になれる。
by arata-tamiko | 2011-07-14 07:15 | Comments(0)

徳島の柚子蜂蜜漬け金時芋   7/11/11

今回も不思議な縁に「これって、いったい何?」と言う思い。

 自宅療養するのに、いわゆるアッパッパァースタイル「寝巻き起き巻き」を姉に頼んでいたが、デパートでも下町の商店でも見つからないと電話があった。
昔は、下町のおばさん連中がアッパパァーで近所に買い物に行き、家でもそのままゴロ~ンと横になっていた。
最近のおばさんたちは、もっと洒落っ気があるのか、どこにも売っていないそうだが意地でも見つけてくれるとのこと。

 翌朝、東京の坂田さんから「術後に食事制限があるかと思って、代わりにアッパッパァーを探しているんだけど、見つからないのよ。」とSkypeが入った。
で、こんどは東京の下町商店街で探してみるそう。

 彼女が5年前から私の孫と私のために送り続けてくれている「柚子蜂蜜漬け金時芋」の話をしていると、8月に来られる徳島大学病院のO先生から返事のメールが入った。
坂田さんを待たせて読んでいるうち「ちょっと、こんなことってある!」と、私は驚きの声をあげた。

 O先生は2ヶ月前に小学生の息子さんを連れてボストンの事前旅行に来られ短い間ながら親しくなった。
お客様からお土産の申し出があっても、週刊誌以外は「お気持ちだけ。」と断っているのだが、退院後、この金時芋が無性に食べたく思い続けている。
 「そうだ!O先生は、このお店がある同じ徳島から。初めは単身で来られるから、せめて一袋でもお願いしても許されるかも。」と、坂田さんからのSkype前にO先生にメールをだした。

   「本当に厚かましいお願いなのですが、私、ある徳島のお菓子が大、大好物で
   これに勝る 美味しいものは他にないと思っています。

   徳島県美馬郡つるぎ町にあります栗尾商店の柚子蜂蜜漬け金時芋です。

   もしスーツケースに隙間がありましたら、お願いできませんでしょうか?
   腎臓摘出を受けて一週間経たない病人が、こんなお願いをお客様にするなどとは、
   他にはいないだろうと我ながら恥ずかしく思っております。」


代金はお世話費用から差し引かせて頂くことを添えて朝出した。

すると坂田さんと話している途中、O先生から以下の返事が来た次第。

   つるぎ町の栗尾商店の息子さんは、ボストンへ連れて行った颯人と同級生で、お互い大の親友です。
   ご家族は徳島市に住んでいて、我が家から自転車で数分。
   いつも家族ぐるみのお付き合いをしています。
   海外旅行が好きで、ボストン留学中は、必ず颯人君に会いに行く、とまで言ってくれています。
   早速妻がメールをしています。


 受け取ったメールを読むのを聞きながら、5年前に紹介してくれ送り続けている坂田さんは「エッ、何これ!いったいどうしちゃったの?」と素っ頓狂な声をあげ続ける。
商店の住所が余りにも田舎的だったので、御家族が市内に住まわれ、それもO先生ご家族と友人なんて想像だにしなかった。

 話を聞いた友人のMさんも日本にいる母親に送りたいとのこと。
お見舞い電話を下さった名古屋の友人も東京に住む孫が大の芋好きなので、早速注文するそう。

                        栗尾商店  (昭和4年)
 
                徳島県美馬郡つるぎ町貞光光字馬出47-10
                Tel     0883-62-2715
                Fax     0883-62-5051

                http://www.kurio.jp
   

   蒸し暑い
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         HマートのCho Cho食堂女性店主からお見舞いで頂いた”まくわ瓜”甘い!
by arata-tamiko | 2011-07-12 11:28 | 諸々の出来事 | Comments(0)