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航空料金は安かったけど、、、。  12/29~30

  日系の旅行会社IACEに働くスヨンの友人、ユンギョンが必死に見つけてくれたCA州までの往復の安い航空運賃が$235.35.
税金が$58.95に手数料が$20で合計$314.30と信じがたいContinentalの値段に大喜びした。

 帰りの機内で高く不味い食事を買うのも嫌なので飛行場に行く途中にあるお弁当屋に朝の10時に寄ってもらった。
流石にCA州だけあって沢山の種類の幕の内弁当がショーケースに並べられていて目移りしてしまう。
一番高いのを二つ頼むと娘が「夜の10時着なのに、どうして二つもいるの?」と聞くので「帰宅してからお腹が空くと嫌なのよ。」と言った。
すると「お母さんの歳で夜の空腹のことまで考えて二つ買う人なんていないわよ。だから痩せれないのよ。」と憎ったらしい。
「人は人。私は私なの!他のことに耐えれても空腹には勝てないの!」と言い返した。

 乗り換え地点のHoustonに定刻通り到着。
何でも折り返し便である飛行機が未だルイジアナ?を出発していないため5時40分出発便の大幅遅れがアナウンスされた。
全ての便に遅れが出ているらしくロビーは大混雑。
弁当一つは機内で食べているので不味いサンドイッチやピザを買う必要もない。
7時発とアナウンスされたのが9時となり10時も過ぎると言った具合で、やっと搭乗が始まった。

 エンジンがかかり皆の顔に安堵感。
すると突然機内が真っ暗になり頭上の小さな豆ランプだけが点いている。
「電気系統に問題があり解決に数分かかります。」とのキャプテンからのアナウンス。
(アメリカ人口癖の、この"a couple minutes"が毎度くせもの。20分でも平気な顔で言う。)
しかし待てど暮らせど電気はつかず機内の温度も上がってくる。
「専門の人が町から来ますので暫く我慢してください。」とキャプテンからのお知らせ。
隣の男性に「町って飛行場からどれくらい遠いのですか?」と聞くと「他州からの自分も同じことを思っていましたよ。」と苦笑い。
で結局出発出来たのは、いったい何時だったのだろう?

 通路を隔てた横のインド人中年男性と私の隣に座わる肥ったアメリカ人男性の鼾がすごく、二人で大合唱なのだから寝られたものではない。
幸い今回買った「実録・広島やくざ戦争」が余りにも面白く、かなり厚い文庫本の上下をボストンに到着するまでに読み終えた。
もちろん二つ目のお弁当も。

 ボストンに到着したのは朝方の4時。
まるで日本から帰るような長旅だった。



   

 
by arata-tamiko | 2010-12-31 09:02 | 諸々の出来事 | Comments(1)

CA州に出かける   12/16/10

16日~29日までCA州に行ってくる。
チビの世話をしてくれるスヨンがいなくなったので旅行は諦めていたが、先月の15日から一緒に住み始めたソンヒーが家に犬を飼っていたそう。
心配しないで、、、、と言ってくれ孫達に会いに行ける。

 既に16日に日付が変わった。
これからおむすびを作って朝の6時半家を出る。

 ボストンに戻るまで暫くお休みをします。

  日中零下6度
by arata-tamiko | 2010-12-16 14:39 | 諸々の出来事 | Comments(2)

これではピンポンゲームになってしまう   12/14/10

 Hマートの食堂で特別に熱くしておこげを作ってもらった石焼ビビンパップをフーフーしながら食べていると、野菜売り場で働く30代後半の無口な男性が食堂に働くソンヒーに蜜柑を2個あげているのが見えた。
彼女は、その蜜柑を袋に入れ私のところに持ってきて「どうぞ。」と差し出した。
「ありがとう。」の声を後ろにしてソンヒーがお店にもどるやいなや、その男性がテーブルの上に置かれた袋を無言で持って行ってしまった。
私は何がなんだか分からなかったが、きっとソンヒーにあげたのに私がもらったのが気に食わなかったのだろうと憶測した。
暫くすると彼は照れくさそうに「美味しく食べてください。」と袋一杯の蜜柑を持ってきた。
顔は知っていたが彼の名前すら分からない。
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                            彼からの蜜柑

 数日前は別の野菜売り場の小父さんからも沢山の甘い柿をいただき、ソンヒーの店もCho Choの食堂の奥さんも何かしらサービス品を出してくれる。
それで今朝は8合の御飯を炊いて五目寿司を作り、野菜売り場で働く三人の小父さんたちと食堂の人達に配ってきた。
 我が家に住む高校生のチェボギが御飯に酢をうっている私に「おっ、またお餅を作っているの?」と聞く。
沢山のご飯を見て、そう思ったらしい。
戸棚から青海苔を取り出すと「おっ、たこ焼を作るの?」と聞く。
あんまり冴えていないから、とんでもない発想をしてくれる。
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                          五目寿司

 夜帰ってきたソンヒーが袋をかかげて見せる。
「なに?」と聞けば、無口な男性が「日本の奥さんに。」とパンを買ってソンヒーに持たせたそう。
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      もしかしたら、このパン代金は彼の時間給と同じくらいではないかとすまなく思って
      しまう。
      これでは私達はピンポンゲームのようなやり取りをしていることになる。
      私は彼らの名前を知らない。何度聞いてもチェ?チョン?ペー?ペックだったか
      覚えれない。
      それで全員統一させて「ヤチ(野菜) アジョシ (おじさん)と呼んでいる。 
    
   日中零下4度
by arata-tamiko | 2010-12-15 12:56 | 諸々の出来事 | Comments(0)

坂の上の雲を見なくなった理由   12/13/10

  「坂の上の雲」の初回を見終わり、姉に「もうこれ以上見る気もしない。」と言うと「どうして?」と訊かれた。
「だってよ帝國海軍の軍人たるものが窓際に立って外の風景を見ながら相手にお尻を向けて天下国家の一大事を討論するわけないでしょう。凡人でも家の冷蔵庫を買うときだって夫婦お互いに顔を見ながら話すわよ。」
「それに大親友の妹の前で上半身裸で屋根掃除をするわ、その妹の両肩に手を置いて秋山が話しかけるなんて時代考証が全くなっていない!」と、けなした。
姉から「そんな四角四面のことを言っても今の若いプロデューサーには無理よ。彼らだって懸命にやっているんだから可哀想よ。気楽に見ればいいのよ。」といなされた。
でも私はそれから一切見るのを止めた。

 それなのに今日「私もう馬鹿馬鹿しくって見ないわ。」と話の最後に言い出した。
金子 堅太郎の両頬を伊藤博文が両手ではさみロシアとの開戦を促すポーズが気にくわないと怒っている。
「あの時代の男達が相手の顔に触れるわけないでしょう!あれは韓国ドラマで必ず男性が女性によくするわね。プロデューサーは韓国ドラマの見すぎよ。」

「だから私はとっくに見るのを止めたって言ったでしょう。」

「私は戦争シーンをどのように撮影したかが見たかったのよ。そしたらこれが目に入ったの。」

 絶対に姉は私を諭したことを忘れている!


 あるドラマで実に調子の良い歌が流れた。You Tubeで探すと韓国のSuper Juniorとか言う若者グループの大ヒット曲だった。
http://www.youtube.com/watch?v=x6QA3m58DQw
 
 よほどのヒットだったのだろう。傑作なのが中国の囚人達がこの曲に合わせて踊っている!
http://www.youtube.com/watch?v=GDGqZviod60&feature=related

   暖かい
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         姉と一緒に丹後に出かけた隣家の方がお土産に下さった”ちりめんパフ”
         何でもこれで洗顔あとの顔を拭くと玉のような肌になるそう
         姉は未だなっていないと言う
by arata-tamiko | 2010-12-14 14:37 | 諸々の出来事 | Comments(0)

過ぎた日々が懐かしい

  シカゴに移ったスヨンは食品卸会社の事務員の見習いから正式社員として採用されたそうで本当に良かったと一安心。
ボストンを離れて4ヶ月となるのに一週間に一度は電話をかけて日々の出来事を話してくれる。
「日本のお母さんに電話をかけないと!」と事務所で言うと「母親は日本人だったのか?」と皆が驚いたと嬉しそうに大声で笑っていた。
一ヶ月前から住み始めたソンヒーと上手くいっているかと心配するので「とても性格が愛らしく気遣いをする子で可愛い。」と褒めると「忘れないで。Tamikoの心の中でいつも一番はパク・スヨンで二番に来るのがペク・ソンヒーだってことをね!」と笑わせる。

 月曜日に各小売店からの注文数を受け食品を手配するのが彼女の仕事。
最近は日本の店と取引を始めたのか「カジ(茄子)は日本語で何と言うの?」とか訊いてくる。
男性が多い職場だが未婚の女性が二人いるそうで「ライバルね。」に「アイゴー、この美貌を持つ私にライバルなんているわけないでしょう。男がほっとかないわよ。」とスヨン独特のカンラカンラと大声で笑う。

 英語の学校は土曜日のみ行けば学生ビザを発行してもらえると聞いたこともない条件だが昨日から行き始めたそう。
同じ日にクラスにきた韓国の26歳の男性が今時の韓国では見られない田舎顔だが気持ちは良さそうなので夕食に招待したそう。
「また出来合いの品々を暖めて出したの?」と訊けば「韓国の男は量さえ沢山食べさせとけば味なんて関係ないのよ。」とカンラカンラ。
もうその夜から「ヌナ(お姉さん)」と呼ばせている。
私は、これほど愉快そうに笑う女性に会った事がない。
何で彼女が笑っているのか分からなくても、だれでもこの笑い声に一緒につられて笑ってしまうだろう。

 スヨンのセンスあるユーモアに笑わされ過ごした4年近くの日々が懐かしい。
ボストンに仕事さえあれば一緒に住みたいと言ってくれるが職場が見つからない。
ソンヒーは暇があれば部屋で聖書を読んでいるような女性だからスヨンとは正反対の静かさ。

   朝から雨が降り続く
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       Hマートに売られているイスラエル産の冬柿はとても甘く、箱で買いたいが
       16日~29日までCA州に出かけるので食べきれない。
       数個を買おうと袋に入れていると野菜売り場担当のチェさんが美味しそうな柿を
       みつくろって袋に入れ”Free”と自分のサインも書いてくれた。
       で、結局箱入りと同じ数の柿となってしまった。
       この小父さん、いつも”Free”と書いて何かくれるので、よほど私が何か物欲しげに
       しているのかもしれない。
by arata-tamiko | 2010-12-13 13:34 | 諸々の出来事 | Comments(0)

性善説で10億円が消える   12/10/10

「たけしのTVタックル」で来年度の子供手当ての見直しについての議論。
出席する論客たちから「外国人が国に残した子供にまで手当てとなれば弊害がでることは前から言われていたでしょう。」と詰問をされた三人の民主党の議員が「あれは性善説に基づいて決めましたから、あのような人達が出てくるとは思いませんでした。」と笑顔で言うのには聞き間違いかと前に戻して聞きなおした。

 心優しい思い遣り政策につけこもうとした外国人が悪いと言わんばかりの議員たちだが、こんな馬鹿げたチャンスを与えた民主党が悪い!
甘っちょろい愚かな考えを持ってる人達に海千山千の中国やロシアを相手取れと期待するほうが所詮無理。
今は太平の鎖国時代ではない。国際感覚が全く備わっていない。
発祥の地、中国に行って「貴国も”性善説”を基にして法律を?」と聞いてくればいい。
これほど幼稚な思考能力しかない人たちでも議員になれる恐ろしさ。
これで10億円が消えてしまった。

 おりしも「仙谷批判、地元・徳島県産品の不買運動に発展」との新聞見出し。
《徳島県の有権者にはそれなりの責任がある》といった通告文を送りつけられた団体もあったには大笑いしてしまう。
このたけしの番組に出席していた議員達の顔を見ながら「こんな人達を議員に担いだ地元民にも責任がある!」と同様のことを私も思った。
 不祥事を起こした議員の出身地の産物不買運動をもし始めたら数が多すぎて日本中大パニックとなってしまうだろう。

 ところで仙谷氏、国会で退屈しのぎか鼻毛を二本の指でピッー!と抜いていたがテレビカメラが回っている時くらいは止めてください!!

   夜の温度 零下三度
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                   私は韓国のこんな場所を歩くのが好き
by arata-tamiko | 2010-12-11 15:22 | メディアから | Comments(0)

運の良い話   12/9/10

 無給のため海外保険のみで留学中のお客様から「どうも妊娠したようで、、、。」と相談の電話があった。
こちらの高い初診を受けるべきか、それとも4月の帰国まで待つべきかを迷っている。
保険がないと全く受け付けてくれない病院も多いとのことで、十年前に保険なしの初診に千ドル支払った方の話をすると、検索で今は三千ドルと書かれているとの話。

 「そうだ!」と私は思い出した。
「この2、3日間に会ったお客様の誰かが日本の産婦人科医にかかっていると話していたわ。
ちょっと待って。だれだったか思い出すから。」と一旦電話を切った。
「あれは誰だったのかしら?確かに聞いたんだから。」と、この一週間5人のお客様だったので混乱している。
家に来ていた友人が「落ち着いて、落ち着いて。ノートを見たらどう?」と言う。
「そうよね。」とノートを見ていると「あの方だ!」と閃めき早速電話。

 お客様の一である助産婦さんのチーちゃんと日本女性の産婦人科医の電話番号を知らせた。
夜に「チーちゃんと岡村先生からとても親切にして頂きました。またMassHealthで診察を受けられることも教えてもらいました。」と打って変わった明るい声で報告があった。

 お客様とAllstonのベトナムレストランに行くと馴染みのウェイターが「はい、これ。」と、私の好きなお店の手作り”食べるラー油”をコンテナーに入れてくれた。
「またサービスですか!」と二度一緒に食事をしたお客さんが言う。

   零下三度の日中! 滔々と流れるチャールス河が凍り始めた  夜零下7度
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        Hマートの食堂に働くソンヒーが”おこげ”を沢山持って帰ってくれた
        韓国の人は、この上に熱いお湯をかけて食べるが余り美味しいとは思わない
by arata-tamiko | 2010-12-10 12:45 | 諸々の出来事 | Comments(0)

ジョンレノンの死から30年   12/8/10

私の世代だと、この三大事件のとき自分がどこで何をしていたかが鮮明に記憶に残っていると思う。

1) ケネディー大統領の暗殺

2) 三島由紀夫の割腹

3) ジョンレノンが凶弾に倒れる

 1)は阿佐ヶ谷の六畳一間の下宿で勉強をしながらラジオを聴いていると臨時ニュースで知らされた。
当時は部屋にストーブもなくコタツにもぐっていても寒い日だった。
他の二部屋にも学生たちが住んでいたが各部屋の入り口は障子だったのだから今では考えられない世情。

 2)は横浜の自宅でテレビが映し出すバルコニーに立って演説をする三島氏に見入っていた。
火を吐くような言葉で決起をうながす三島氏に向かって野次をとばし馬鹿にする自衛隊員たち。
氏がとても気の毒に思えた。
この後の割腹には日本中が仰天させられた。
氏は二・二六事件か五・一五事件で切腹した青年将校たちを看取った医師を訪れ、切腹だけでは、なかなか命は絶てず苦しさで畳をのた打ち回る将校の様子を詳細に聞き出し介錯と言う方法を取ったそうだ。

 3)は海は暗く荒れ一年中シトシトと雨が降り、、どんよりとした空のドイツ北端の港町で寒い夜に知った。
Stars & Stripsの全ページが彼の非業の死で埋め尽くされていた。
近くには船員相手の「飾り窓の女達」の通りがあり眺めながら歩くのは興味深かった。

 ジョンレノンの死から今日で30年。
ついこないだのような気がするのに、、、、。

  本格的な冬
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           Targetに売っている犬用の骨の大きさに大笑いするお客さん御夫婦
by arata-tamiko | 2010-12-09 14:39 | 諸々の出来事 | Comments(0)

国会議員の日本語に驚く   12/7/10

  自分のことは棚に上げて言うのもおこがましいが、机に向かって仕事をしながらニュースを聴いていた。
突然女性の声で「では、私がぶち切れないようにしてくれますね!」の発言に「なんたるものの言い方。」と画面を見れば社民の福島党首。

 日本の姉に「己が恥かしくならないのかしら?」と電話をすれば「そんなの今の日本では驚くに値しなくなっているかもよ。だって国会で女性議員が相手議員に向かって”あんた”と呼びかけるんですもの。」と言ったあと「そんな議員を選んだのは国民だし他に選びたくってもいないものね。」

 NHKで男性の芸能人?が地方を訪れ名産や伝統文化を継承する人々を紹介する午後の番組がある。
二本松の油揚げ屋で福島局の女性アナウンサーが「こちらは息子です。」と芸能人に紹介したのにも唖然。

 ある募集で「やりたい人はXXまでご連絡を。」は日本語の変わりように嘆息。

 戦前の綺麗な日本語を話す韓国人のHさんに最近の日本人は両親のことを他人に「お父さん、お母さん」と呼称すると嘆くと韓国でも全く同じだと言う。
第三者に話す時は「アボジ(父)、オムニ(母)」と言うべきなのに「アッパー(父)、オンマー(母)」がまかり通る風潮に耐え切れないと話していた。
「おしゃべりをするって言う表現は悪い意味ではないのですか?」と聞かれたことがある。
Hさんの時代では「おしゃべり」と言う言葉は良い意味では使われなかったそう。
「集まっておしゃべりをしましょう。」とは決して言わなかったそうだから、言葉は時代と共に変化していく。

   寒い!
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            百梨(ゆり)ちゃん (三歳)    羽菜(はな)ちゃん(11ヶ月)
      百梨ちゃんは自作の歌が得意。 車の中で延々と歌い続けていたが傑作なのが
      歌のつなぎ目が「ほんで」と関西弁。
      忙しかった父親は子供と過ごす時間が取れず羽菜ちゃんはお父さんが抱こうとすると
      火がついたように泣く。
      留学期間中は家族と過ごす時間が多くなるので「この留学で一番の成果は羽菜ちゃんが
      なついてくれることかもね。」にHさんは笑う。
by arata-tamiko | 2010-12-09 04:05 | 興味ある話 | Comments(0)

高句麗の子孫たち   12/6/10

  お昼を皆で頂いたと言うのに7時ごろ運転をしながら「あぁー、お腹が空いた!」と思わず口をついて出た。
するとYさんが「もう空きましたか、、、。新田さんは凄いですよ。うん、凄い。」と繰り返すので「何が?」と聞くと「よく食べて全部を使い切るのですから。」。
いろいろなお客様がいらっしゃるが、こんな褒め方をされたのも初めて。
「凄いな~。二組の家族のお世話をノートにも書いてなく間違いなく同時にこれだけ出来るんですから。」と、また褒められる照れくささで「でも、昨夜何を食べたかは覚えていないのです。」と言わないでもいいことを言ってしまう。

 お客様のYさんが「主人の友人です。」と紹介してくださった今日の方は、Yさんの言葉以上に人柄の良さのみならず人間的に魅力があった。
「日本人は朝鮮系と南方系に分かれますが貴方は朝鮮系ですね。」と言うと「そうかもしれません。」と笑いながら話し始めた一つ一つが興味深く、聞き入ってしまった。
埼玉県の高麗神社の近くで生まれ家の一番古い墓石は500年前のものとのこと。

「高句麗の遺民たちが逃れてきた地として有名ですから高麗神社・高麗川などの名が残っています。
 最近では村おこしとして韓国の祭りなどをいろいろしていますよ。」と笑った。

「福岡や日本海方面に流れ着くなら分かるけど、千年前にどうして険しい山脈を越えてまでして埼玉に来たの?」

「いゃー、そこまで僕は知りません。」

 秩父事件として有名な明治17年の農民による武装蜂起事件で乱入された際の刀傷が室内の鴨居についていたそうだが、今年取り壊してしまったとは実にもったいない。
修復して保存を望む声も多かったそうだが、それには家二軒建つほどのお金がかかるため本家も断念したとのこと。

 他にもいろいろと知識が豊富で「若いのによく知っていますね~。」と感心すると、親族同士の集まりが結構あり年配者たちが話してくれるそう。
「お子さん達も大きくなれば連れていって聞かせるのでしょう?」と訊くと「はい。そうしたいと思っています。」とニッコリ笑う。
このような行事は失くしてはいけない日本の伝統だ。
「わが村の歴史物語」を聞かせてもらったお礼に、頂いたお世話費用をそのままお返ししたいほど興味深いお話だった。

 検索すると「日高市は高麗川村、高萩村、高麗村が合併してできた日高町が市制施行により生まれた。」とある。
これほど歴史的趣ある村の名前が味気なく無味乾燥とした名前に変更されてしまったのはもったいない。    

   快晴ながら寒さ厳しい
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        Cafe Sushiのランチで出される大判振る舞いのチラシ寿司
        「次に一人でこられた時は同じものは出ません。」と釘をさしておいた
        あるお客様が「前に出されたものと違います。」と言ったそうなので。
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        Reliableの道路反対側にある北京のチャーハン大盛りも大盛り
        「残ったら持って帰りなさい。」と出されたお客様「ウヮ~、これ凄いよ。」と
        笑い出した。
        この方にも「同じものは出ませんから。」と断っておいた。
by arata-tamiko | 2010-12-07 11:23 | 諸々の出来事 | Comments(0)