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日本からのプレゼント   1/30/06

  朝の10時過ぎに、安さんより「編集長のオ・テジン氏にお礼のメールを出しておきました。」とメールが入っていた。彼女が何かと手伝ってくれるので本当に助かる。
日本の木戸さんからの小包が早届いた。中には彼女からのプレゼント、韓国の若手歌手、ピ(Rain)のDVDとCDが入っている。私は彼の歌とダンスは見た事ないが、木戸さんと私のもう一人の友人は息子の成長を見守るように彼が成功への階段を上る姿に喜びと熱い思いを抱いている。
 彼は未だ22,3歳。今回日本で出した「Sad Tango」の曲を日本語で歌いながらの踊りのDVDを見たが”凄い!”の一言。ダンスはマイケル ジャクソンより上手ではないかと思う。
この私の歳でこの曲には魅せられた。彼は世界の舞台で活躍する素質は多いに持ち合わせている。後何日かするとNYのマディソンスクエァーで公演するそうだが、80年代にマッチ、トシそれともう一人の三人がNYのど真ん中で踊った・・・と芸能雑誌に特集が載っていた。「ニューヨーカー達もビックリ!」と大きく書かれていたが、余りの下手さに驚いたのではなかったのでは?と思った事がある。先週の土曜に働いたお店で親切に韓国語を教えてくれたスヨンがピの大ファンなので電話をして、見せてあげると約束すると大喜び。
 彼女が録画してくれた「輪舞曲ロンド」も入っている。チェ・ジューと竹之内の共演で彼の事は全く知らないので楽しみにしている。本当に優しい心の人である。

 今日、息子が警察官をしている友人に電話をかけて、昨日のサイフの質問をした。
「警察官って信用できないの?」と聞くと「残念ながら、そう言う人が多いのよ。」「では貴方なら、どうする?」と聞いてみた。「どうするかしら?分らないわ・・・。期限が来たら拾い主に返すべきなのよ。でもね、こちらでは・・・。」と考え込んでいる。「息子さんに聞いてみて。益々興味が出てきたわ。」と言うと「私もよ。息子に聞いてみて返事をするわね。」と電話を切った。
 昨日の90歳近い友人も言いたい放題の事を言うが憎めない。「その女性弁護士とは仲がいいのかね?」と聞くので「別に・・。でも彼女は私の事が好きなの。」と言うと「何かね。ゲイの友達か?」「何で彼女がゲイなのよ。」と笑うと「だって50過ぎの女が結婚もしていないでタミコの事を好きならゲイしか考えられないだろう?」と、その発想が傑作。
Graceも「何で貴方は変な人間ばかりと関わってくるの?私は、この国に生まれて育ったけど、貴方みたいに変な人々に会わないわよ。」と昨日言った。
Rockportに住んでいた時も他の人に「アナタが変わった珍しい人達を惹きつけるのか、アナタが惹かれるのかしら?探そうとしても探せない人達とアナタは出会うのよね。」と言われた事がある。
 ゲイといえば、十年ほど前にゲイの友人から「お店にくる人で、とてもインテリジェントな男性がいるから。」と紹介された。Beacon Hillに住み家柄が良く音楽、芸術、美術、骨董と話題が豊富で一緒に過ごしていても退屈する事がなかった。ある年のクリスマスにBeacon Hillにある一番大きなマンションで催されたクリスマスパーティーに連れて行ってもらったが、その友人ジョーから「決してお金の話はしない事。」と忠告された。こちらは本当の金持ちが多いから、そんな人を見るとつい「どうして、そんなにお金持ちになったのですか?」と聞いてしまうのだ。そうすると返ってくる答えはいつも同じ、おもしろくないものばかり。「一生懸命働いたから。」だ。その時は私は「私だって懸命に働いていますが、金持ちにはなりません。それでは不公平ではありませんか?」と言ってあげる。それをジョーは知っていたのだろう。昔からの金持ちはお金の話はしないと言われた。
 暫くしてから紹介してくれた人から「君達は未だ友人付き合いなの?」と聞かれ「そうよ。」と答えると「それは変だよ。彼はゲイではないのか?」と言うので「ゲイの貴方が分らないの?それならどうして私が分るのよ。」と言った。「貴方が聞いたら?」と言うと「そんな失礼な事は出来ないよ。ゲイのようでもあるし、ないようでもあるし・・・。」と彼は心もとない。私は始めてその時にゲイ同士でも判断出来ない事もあるのだな~と知った。ジョーとは今でも、仲の良い親友だ。

 今夜は壁に貼るために韓国語の組み合わせ字の表を手書きで書いた。ノートの小さな表では到底覚えれない。この表の組み合わせ以外にも、後55種の字を覚えないといけない。気が遠くなる。
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    左下に白く囲んでいる字が「雪だるま」に見えて中心の白い枠の字が「鍵穴}

   日中温度は4度だったが風が冷たいので寒く感じる
by arata-tamiko | 2006-01-31 13:26 | Comments(0)

もし大金が入った財布を拾ったら?   1/29/06

 普段なら私の夜は10時ごろから始まるのだが、昨夜は9時ごろから寝てしまった。
三人から電話が入ったが「申し訳ない。意識もうろうで・・・。明日にして・・・。」と電話を切った。一人は安さん、もう一人は日本から戻ったばかりの操さん、だけどもう一人が、どうしても覚えていない。電話器のCall IDで見ると「Out of area」と出るから、きっと日本からだったのだろう。こんな時は本当に気になるものだ。

 アメリカ人の知人の一人から「変なお願いがあるんだけど。」と電話があった。彼女は弁護士で一軒家に住み2階を貸している。そのテナントが家に入る道路に面した外の階段でサイフを拾い、中にはかなりの額のお金と日本語か中国語かで書かれた一枚の紙のみ。もし日本語なら文章を読んで欲しいとの頼みごとだった。
彼女の家で見せられたものは中国語だった。でもその文章の上には英語で「私は全く英語が解りません。コンコルドの娘のところに行きたいのです。」と書かれている。漢字を見れば同じような意味の文章だった。でもいったいこの落とし主が、どこの誰なのか?と言った僅かな手がかりでもなるような物は全くない。
 「警察に届けたら?」と言うと「とんでもないわ。警察なんて信用できないわよ。彼等は自分達のポケットに入れるだけよ。」と言う。「じゃー、どうするの?」と聞くと「家の前に”この辺りで落し物をした人は身分証明書を持って来てください。”とサインを出すわ。」「それでも見つからなかったら?」「その時は拾い主のテナントに任せるわ。」と言う。
私は「提案して良いかしら?昨日は中国のお正月でしょう?この通りには中国人の家族が住んでいるから、もしかしたらお客さんで、その家に来ていたかも・・・。一応ドアをノックして、聞いてみたら?」と言うと、その案には賛成していた。

 私の友人達はそれぞれがユニークなので何人かに電話をして「もし、あなただったらどうする?」形式で聞いてみた。
(87歳の竹を割ったような男性の友人)
「警官?彼等に対して私は全く信用もしていないし尊敬もないね。期限が来て届けたお金の事を聞いても知らぬ存ぜぬと言われるのが落ちだよ。その金は自分なら、何処かに寄付してしまうよ。」。
(Grace 頭脳明晰でユーモアとウィットに富む IVYリーグで教鞭をとる)
「何て馬鹿な弁護士でしょう!馬鹿な人が利口ぶっている話を聞くほど苛立つものはないわ。”私だったらどうするか?”って?
まず友人にそのサイフと現金を見せるわ。そして一緒に警察に届けるの。その時記載したリポート用紙は必ずコピーをもらい担当した警察官の名前もしっかり書いてサインをさせるわ。
期限がきたら、警察に出かけて結果報告を聞くわよ。もし相手にされなかった場合?もちろん然るべき法廷に訴えるわよ。」。
(ゲイの友人 彼もユーモアとウィットで笑わせてくれる )
「初めに警察に電話をして紛失物の届がなかったかどうかを聞いてみるよ。もちろん自分の名前は名乗らないでね。それで警察に届けるね。」と言って署での手順はGraceと似通っていた。
「届ければ一番簡単な事だのに。」に「彼女は誰も信用しないのよ。」と言うと「無理もないよ。弁護士だもんね。」には笑ってしまった。

 今夜あたりから何とか韓国の文字がたどたどしく読めるようになり、安さんが手を叩いて大喜び。けれども難しい。「何、この雪ダルマみたいな字は?」とか「この鍵穴みたいな字は何と発音するの?」と聞くと、物静かな安さんは涙を流さんばかりに大笑い。
「韓国の字は韓国の障子のサンからヒントを得て発明をしたと言われています。」と説明をしてくれたので「そうだったの。もし日本の障子のサンみたいに角、角、四角だったら、こんな複雑な字体は生まれなかったでしょうね?」と言うと「本当ですね。」と笑っていた。
 エレベーターに乗り込む私に「字を読み初めて本当に嬉しいです。」と言う。もちろん私も嬉しいが、それよりも彼女の喜ぶ顔の方がもっと嬉しい。

   日中の温度は6度 寒くはない
by arata-tamiko | 2006-01-30 14:41 | Comments(0)

初仕事   1/28/06

 今日は慣れない仕事をしたので疲れてしまった。韓国語を耳に慣れさせるためには韓国人に囲まれて時間を過ごすのが一番と考え、韓国の食料品店、Reliableのご主人にお願いした。
「お金は要らないから、好きな時、好きな時間に来て帰るでカウンターの後ろで働かせて。でも皆と一緒に昼食は食べさせてね。」と。
20年以上の友人である主人のジミーは「願っても適ってもない事だ。」と大喜び。それで今朝から働いてみた。3人の若い女性達はとても親切で懸命になって私にユックリと韓国語でしゃべりかけてくれる。彼女達が韓国のお客さん達と話していて理解出来ない時は説明を求めたり発音を教えてもらったりしていた。2時近くになると、キムチ売り場でオカズを作っているアジュウンマが「日本人の奥さん、あなたのために今日は沢山美味しいものを作りましたよ。」と、こぼれんばかりの笑顔で言いに来た。
 肉売り場の一箇所に4種類のオカズが並べられ、私を入れて女性4人で食べ始めた。マメのチジミ、サバの辛し煮、キムチとブタの炒め物そしてキムチチゲと盛りだくさん。もちろん韓国式に皆と一緒にキムチチゲは飲んだ。つまり大鍋に入っているチゲの中に各人のスプーンを直接につっこんですくい口に持っていく。昔初めて韓国でこの食べ方を見た時は「何て汚い食べ方を・・。」と気持ち悪かったが、今は何か親しみが感じられて何ともなくなった。人間とは全く勝手なものだ。
 何もかも美味しく、皆が「もっと食べろ、食べろ。」と進める。でも昨夜日本の友人の木戸さんからも「お昼ご飯が美味しいでしょうから、気をつけないとね。」と釘をさされているので、アジュンマに悪いな・・・と思いながらもグッ!と我慢。
遅くとも3時ごろには帰ろう・・・と計画していたのだが、急にお店が混み始めレジ前に順番を待つ長い行列が出来るのを見ると、ご飯を食べた手前、何か”食い逃げ”みたいな思いがして帰れなくなり遂に5時まで働いてしまった。「何でこんなに混むの?」と聞くと韓国の旧正月だからとの事。一番忙しい日を私は初日として選んでしまったのだった。
 私に一番必死になって韓国語を教えてくれるスヨンが他の女の子が詰めた品物を、また袋から出して詰めなおした。お客が帰った後、初めに詰めた子が怒り出し「何でそんな事するの!まるで私が馬鹿に見えたじゃーないの!」とすごい剣幕。その勢いに彼女はタジタジとなって「本当にごめんなさい。そんなつもりではなかったの。」とひたすら謝るが「つもりではない?でも結果的には私が馬鹿になった事でしょう?」と相手は一方的に怒り続けている。
(これはあくまでも、私の乏しい韓国語力で理解した内容)
そして出て行ってしまったので「気分は大丈夫?」と聞くとスヨンはチョット体裁悪そうに「大丈夫よ。」と言う。そして暫くして戻ってきた彼女は先ほどの怒りはどうしたの?と聞きたいほどサッパリしてスヨンと何事もなかったように働き始めた。日本人だったら、こうはいかないだろうな~と関心した。
 スヨンは明るい愉快な性格で日本人の若い男性が「すき焼きに使うんですが生で食べられますかね?」と聞いた。英語が得意でない彼女は意味が分らず「OK、Ok!韓国の歌手達は歌う前に生卵を飲んで舞台に出るのよ。」と韓国語と英語のチャンポンにジェスチャーも入れて飲むマネ、歌うマネをすると、初めは怪訝な顔をしていた彼も大爆笑。私も余りの可笑しさに「本当にあなたは愉快な人ね。」と韓国語で言ったつもりが間違って「あなたは気が狂った人ね」と言ってしまった。
スヨンが「頭は良くないけど気は狂っていないわよ。」と怒ったふりをするのには、今度は私が謝る番だった。
 結構たくさんの私のお客様とお店でお会いした。みんなの第一声は全く同じで「アレッ?どうしたんですか、こんな所で?」だった。
 皆に”さようなら”と言うと「明日も来てね。」と言われたが、何時間もの立ち仕事を二日はチョット考えてしまう。

 夜に不動産屋のPeggyから先日のアパート選びの件で電話があり、総てが解決した。この件では本当に苦労して夢にまでアパートを必死になって探していた。早速日本に電話をして来月の2日到着の方を安心させる事が出来た。

   快晴の素晴らしいお天気
by arata-tamiko | 2006-01-29 11:30 | Comments(0)

趙容弼と言う時代を作った歌手   1/27/06

 待ちに待った”趙容弼(チョー・ヨンピル)”の平壌公演のテープが今日韓国のソウルから届いた。朝鮮日報の主席編集長、オ・テジン氏は私に「テープが手に入りました。」と通知のメールを下さった次の日には発送されている。
忙しい方だろうに、見も知らない私から受け取った一通のメールに対して、これだけの事をして下さる厚志には頭が下がる。
安さんと二人で胸ときめく思いで見始めた。これはSBSと言う放送局の60周年記念に催された企画だと画面で紹介されている。先ず初めに日本でも有名な韓流のスター達が出演している何社ものコマーシャルが出てくる。これはきっと放映前の編集されていないものだと思える。このコマーシャルが編集段階で合間、合間に挿入されたのだと推察した。
このテープの内容については私が百万の拙い言葉を連ねるより、編集長のオ・テジン氏が書かれた社説を掲載。
_______________________________________    平壌の市民たちは銅像のように身動きをしなかった。実際に平壌のスタジアムは冷たい空気に包まれていた。
 コンサートの後に「こんなに緊張したことはなかった」と話したほど、趙さんは緊張していたが、なんとか客席との駆け引きに乗り出した。

▶時間が経つにつれ、スタジアムには暖かい空気が流れ始めた。観客は耳打ちをしたり、微笑みを浮かべたり、目頭を熱くし、「再唱」を叫びながら、スタンディングオベーションをした。
 趙さんが話した「爆弾」とは、華やかで大きな舞台のことだったようだ。5トンのトラック28台で運んだ幅65メートル、高さ16メートルの舞台は、上下に照明のビームを放ち、スクリーンは鮮やかな映像を映し出した。
 趙さんが立っている舞台が上昇しながら、紙切れが雪のように客席まで舞い上がる壮大な場面は、現地の人々にとってはまさに衝撃そのものだったろう。

▶北朝鮮の観客が熱狂的だったとは言えないが、それは胸の奥に隠されている激情を表に出さなかっただけのことだ。
 “平壌侵攻”で趙容弼さんは勝者だった。平壌を揺り動かした力は華やかな舞台を超えた趙容弼さん自身の力だった。
 彼の歌は、聞き手の胸に染み込んで、虜にしてしまう。民族の心髄、恨(ハン)が胸を打つ。込み上げてくる何かを、激しく余すことなくさらけ出す歌だ。
 宵闇の家路につきながら、平壌の市民たちは趙容弼さんの歌を口ずさみながら、感動を反すうしたことだろう。
_______________________________________
 屋内に設置された舞台を見守る観衆は1,000人は越していると思うが皆特権階級の人々と見受けられる。韓国人の安さんも驚いていたが、男性達が白いワイシャツ、女性達は伝統的な朝鮮服と同じ格好をしている人々の群衆をみるのは異様な感がする。
 何曲か歌ったチョー・ヨンピルは微動だにしない観衆に向かって「皆様楽しんでいますか?」と聞くが全く反応がない。彼は次に「楽しんでいませんか?」と聞くと初めて彼等は少し笑った。
個々の感情や意見を表に出す事を禁じられて育ってしまうと、このような場でも自分達の感情を正直に出すべき方法が分らないのだろう。でもショーも終りになってくると若い人も年配者も年齢に関係なく、感極まって目に涙を浮かべている人達の顔がアップで映る。彼等に取っては最高の感情表現なのだろう。これには感動させられた。そして趙容弼と言う国民的大歌手と言われる人の偉大さを改めて思い知らされた。
 この感動を人にも分け与えたく、宝塚の姉に電話を通して「鳳仙花」を聞かせる。姉も「釜山港に帰れしか知らなかったけど、上手い!すごい声量ね。」と感動していた。
それから声楽のレッスンをしているチカちゃんのお母様にも電話をした。「まるでオペラのアリアを聞いているみたい。」との感想。60歳近くなって、これだけの声質と高音の艶、音域の広さ。聴く者の心の底にしみ渡る彼の情感。
安さんにしてみれば、彼は彼女の両親の時代の歌手・・・と言った感覚だったが、暫く椅子から立ち上がれないほどの感動を受けていた。
 このテープのお陰で今日は一日幸せだった。

  
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                     親切なオ・テジン氏からのテープ

   相変わらず暖かい一日
by arata-tamiko | 2006-01-28 15:51 | Comments(0)

学校訪問   1/26/06

 お昼近く飛行場にフィラデルフィアからの高校生を迎えに行きWestonにある高校に連れて行く。彼は寮生として既に2年間この国で留学生活をしているが、アートの方に進みたいと言う希望で転向を希望している。
インタビューと言っても、日本と全く違って、かしこまる事なく気楽に雑談をする雰囲気で椅子やソファーに対等に座って行われる。面接をする彼に会うのは、これで二度目だが、実に笑顔のいい人で彼の人柄の良さが表れている。苗字が「Mountcastle」と初めてお目にかかる名前だが、直訳すれば「丘の城」となるのだろうか?生徒のK君が「彼、ジム・ケリーに似ていませんか?」と小声で言う。「本当だ!」と私も笑った。トム・クルーズとかブラッド・ピットに似ているなら気軽に「似ていますね。」と言えるが、この俳優は有名なコメディアンだから、言われたとしても喜びはしないと思うので黙っていた。K君は気に入られたようで話がとても進んでいた。
 インタビュー前のK君は少々緊張ぎみで、私が持参したオニギリを車中で一つしか口に出来なかったが、飛行場に向かう帰途は美味しそうに残りを食べていた。寮生活で毎日アメリカ食だけだから、日本の学生達に取ってはオニギリは最高のご馳走となる。何年かして再会すると「あの時のオニギリの味が忘れられない!」と、よく言われる。

 日本の奇妙なニュースをテレビで見る度に「日本は大丈夫なのかな~。」と心配になってくる。
「11人の女性達と一夫多妻の生活」とニュースで流れた時は、どんなに魅力的な男か?と画面に釘づけになったが、その思いは私1人でなく日本中の人々が同じだったに違いない。男性は、オレ、オレの松平健みたいな風貌をしていて歯並びが悪い。それよりも気色悪かったのが、昔一世を風靡したマレーネ・デートリッヒも真っ青になるくらい細く眉を整えていた事だ。
そして何故だか、その女性達皆が安キャバレーのネェちゃんみたいな格好をしている。何であんなミニスカートをはいているのかしら?世の中には理解を超えた不思議な出来事が沢山あるが、これもその中の一つ。女性達を従えてゾロゾロ町を歩き、駅前で若い女性達を誘っていたと言うが、こんな異様な行為に対して今まで町の誰もが何も言わなかった事が、もっと不気味に感じる。

 4月から私が感動した韓国ドラマ「グッキ」がNHKで放映されると新聞記事に載っている。
これは見ごたえがある。韓国ドラマ独特の「摩訶不思議」な現象が見られない。グッキと言う名の女の子を演じる子役の演技の上手さに日本人は感動するだろう。沢山の日本人が、このドラマを見てくれると思うと嬉しいが残念なのは日本語で放映されることだ。
中国映画の「プロミス無極」に出演した真田広之が「中国将軍の役ですから、完璧な中国語をしゃべらないとおかしなものになります。監督から”吹き替えにする”と言われましたが、演じている本人の声でないと意味がなくなってしまいます。」とNHKのニュースで話していた。私も全く同感。どうしてNHKは吹き替えをするのだろう?
彼は血の出る思いで中国語の発音を勉強したそうだ。それに比べて私の韓国語は全く上達しない。記憶に残っている韓国語は釜山方言、その上隣人の子供たちから覚えたものだから、安さんが大笑いをすることがある。

   昨日に比べると寒さを感じる でも一月とは思えない気温
 
by arata-tamiko | 2006-01-27 13:12 | Comments(0)

劣悪な撮影環境   1/25/06

 今日また見に行くアパートの建物はBrooklineにあり、安さん一家も子供の健康診断が同じ頃の時間帯だったので、ついでに車に乗せてChildren Hospitalまでお連れする。
彼女宅でお昼を頂いたが、食卓に料理がならべられ子供達が待ちかねたように箸をつけようとすると、彼女が「アッパー(お父さん)が席につくまで待ちなさい。」と戒めた。これは今の日本で耳にしなくなって久しい。とても懐かしい言葉だった。
 私の家は商売をしていたから、家族が揃って食卓に座り食事をするなんて事はお正月以外は全くなかった。入れ替わり立ち代りで食事をしていたような気がする。養子だった父に、祖母は常に気を使い食事が出来ると一番に「お父さん、ご膳は如何ですか?」と東京弁の丁寧な口調で声をかけていたのが、子供で田舎育ちの私の耳には、とても時代めいて聞こえた。
 安さんも映画が大好きだから、つい先日起きた不幸な出来事の話になった。つい2週間前に日本にも来て大騒ぎをされていた韓国の若手俳優でエリックと言う人が、ドラマの撮影中にスタントマンが運転をする車に激突され全治4週間の絶対安静の状態になってしまった。その時、一緒に事故に巻き込まれ、やはり激痛で身動き出来ない若い女優が、現在TV Japanで放映されているオール インに出ている女性との事で驚いた。記事は読んでいたが、韓国人の名前は皆似ているので覚える事が出来ない。
 常々友人の木戸さんより、韓国映画やドラマ撮影はリハーサルもなく、ストーリも視聴者の意見でコロコロ変わるので台本も、そこらあたりにある様な紙に手書きでロケの直前に俳優達やスタッフ達に渡される・・・とは聞いていたが、韓国の新聞に「人災」とまで書かれているのだから彼女の話していた以上に劣悪な状態だったのだろう。
安さんが他の韓国の新聞で読んだところに寄ると、エリックには日本円で一万三千円の事故保険しか、かけられていないので、この治療費の殆どはカバーしないそうだ。それに台本も携帯電話に送られる事もあると言うから、それも凄い話と言う以外ない。
 それでいて、これほど日本人を惹きつけるドラマを作れる事は凄い!と思う。やはり韓国人と日本人のパワーの違いだろうか?日本人は余りにも丁寧すぎてリハーサルを何度もやりすぎるので、イザ本番となったら、くたびれ過ぎてしまっているのかも・・・。その点、韓国俳優は”出たとこ勝負”で気合が入っているのかも。
ドラマを見終わった後、毎度沢山の疑問が残る。中途まで出演していた人が突然出てこなくなったり、死ぬべき人が突然生き返ったり、あれはいったい何だったの???と言った理解を超えたことが沢山ある。
腰を酷く痛めているから、気の毒に彼は一生痛みを引きずっていかなければならないだろう。
(朝鮮日報より)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/01/24/20060124000053.html

 8歳になったカリフォルニアの孫からの電話に「クラスでトップの生徒なの?」と聞くと「No~。だけど僕の日本人の友達はトップ ステューデントだよ。」と自慢げに答える。全くこの子は救いようがなし。

   早朝降った雪が道路に積もるが春の雪で、溶けるのも早い コート不要の暖かさ

 
by arata-tamiko | 2006-01-26 14:08 | Comments(0)

帯に短しタスキに長し   1/24/06

 自分でもスープを作りたく早速Market Basketに行って4パックも骨を買ってきて午後から今の深夜まで煮込んでいる。大分白濁してきたので、そろそろ火を止めてもいいだろう。
何とかして5キロいや3キロでも痩せたいとは思えども、こんな風に食べ物にかけては全く厭わずに買い物に出かけ料理をするので不可能な願望だと思う。やはり痩せている人は見ていると食べない。私みたいに、美味しいものを頂いたりすると、即刻同じ物を作って食べてみたい!とは絶対に思わないはずだ。家族のために美味しい物を作ってあげたい・・・と思うのが普通だが、私は自分が食べたいがために”作ろう!”と奮い立つのだから始末が悪い。

 不動産屋から電話があり、2月入居で1年契約期間だと来年の一月終了となる。もしテナントがもう1年更新しない場合、冬場は借り手が少ないので大家としては困る。だから契約期間は今年の8月で一旦終了して新たに1年契約するか、又は来年の8月までとして欲しい・・・と言う。
もちろん私の一存では決めれない。
その日は同じ建物で2室を見せられたが、明るい方の室はキッチンが綺麗でなく冷蔵庫、ガスレンジ、カウンタートップと60年代のものだったので気に入らなかった。ところが今日電話で話していると、何かの拍子で、その室のキッチンは今リフォームされていて総べて綺麗になりつつあると言い始めた。
「どうしてそれを言わなかったの?」と、詰問すると「知らなかった。」と言う。信じはしないが電話で議論してもしょうがないので、明日その室を見に行くと言った。
 そうすると、もう1人の不動産屋から「角部屋の明るい2Bedを家具付きで貸すことが出来る。
家賃額はOne Bedの$1,800で良いし、6月からは同じ建物の10階の明るい広い室に入居出来る。この条件でどう?」と電話があった。
急いで日本に電話をして三つの物件の情報と条件を伝えるが、お客様も未だ見た事も住んだ事もない室の事を聞かされても、どう返事をして良いか分らないだろう・・・と気の毒に思う。
この方は子供さんが二人の家族。
1)広いOne Bed。キッチンと室内は綺麗だが室内は暗い。契約期間に問題あり。$1,750

2)キッチンがリフォーム中。狭いOne Bed。契約期間に関しては未だ未定。    $1,750

3)5月の末まで明るい広い家具付き2Bedに住む。6月からは同じ建物の広い明るい10階に移る。                                                 $1,800

 自分が自信を持って勧められる物件だと「是非これに決めて下さい!」と言えるが、今の状態は”帯に短し、タスキに長し”で、私も判断に困っている。
明日また2と3を見てきて決めないといけない。
 
 
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               日本の友からプレゼントされたコートを着るチビ

   コートを着ていると汗ばむ陽気 雪は残っている
by arata-tamiko | 2006-01-25 14:55 | Comments(0)

おいしい脚骨のスープ   1/23/06

 昨夜、安さんのご主人、金さんが「今年は冬があるんでしょうかね?」と聞いていたが今朝は大雪。気持ちの良いほど降ってくれたが寒くはなく、それにまるで春の雪のように水分を沢山含んで溶けるのも早く、庭にチビを歩かせていると木々の上からボタボタと落ちてくる。
 朝から日本のニュースはホリエモンのことばかり。街頭でインタビューをされている人の中で「同じ年代の僕達としては頑張って欲しかったですね・・・。」と意見を述べていたが、何を頑張って欲しかったのか?去年テレビ局とすったもんだの最中、誰かが「彼には品性がない。」と書いていたが”なるほど。上手いこと言うな。”と思った事がある。株はサッパリ分らないが、「時代の寵児」ともてはやされた彼の会社の株を大量に買っている人達は青息吐息だろう。

 私のお客様の1人に有澤さんと言う名の若いご夫妻がいらっしゃる。前にも書いた事があるがご夫妻とも人柄が良く愛らしいカップルである。二日前のブログに関してのメールを頂き嬉しく思った。奥さんが最近研究室に働くようになったそうで「あなたは美人だから通勤途中に悪い虫がつかないようにナフタリンをポケットに入れておくように!」と忠告のメールに「明日買いに行きます。」と返事があったが、買われたかしら?
 
 安さんから牛の脚骨のスープを頂いた。コラーゲンがたっぷり・・・とかで、牛乳のように白濁して中に大根が入っている。私は暖めて塩と胡椒そしてキムチとご飯を入れて食べたが、とても美味しかった。
普通のスーパーでは脚骨は余り見かけないが、サマービルのMarket Basketには安く大量に売られている。あそこは色の黒い移民の客が多く、白人が口にしないような骨とか臓物が手に入る。
 安さんは、この骨を何時間か水に浸けて時々取り替えていた。理由を聞くと「血出し」のためとか。そして一回沸騰させ、その熱湯を捨て、それから何時間も煮続けてスープを作る。明日早速自分でも作ってみようと思っているが、私はニンニクが好きなので一緒に煮込むつもり。

 朝鮮日報に「食器棚へのゴキブリの侵入を防ぐには・・」とあった。こちらでは未だ一匹も見た事がないが、気になって読んでみた。
「食器棚にカラシの粉を少しずつまいておくと、ゴキブリの侵入を防ぐことができる。 」と書かれている。と、言う事は韓国の総てのトンガラシ屋さんには、ゴキブリは全くいない・・・と言う事になるのかな?

   あれだけ積もった雪が夕刻には大分溶けてきた
by arata-tamiko | 2006-01-24 13:35 | Comments(0)

栃東優勝!  1/22/06

 昨夜いや今朝は朝の3時まで頑張って起きてTV Japanで相撲の千秋楽を見始めた。
私の贔屓の栃東が優勝杯を手にするかどうか・・・の瀬戸際だったから寝てはいられない。場内は”満員御礼”の垂れ幕が下がっている。横綱の朝青龍と取る栃東が負ければ、彼は2敗となり白鵬と2敗同士で優勝争いとなる。土俵に上がった白鵬と今一番人気の琴欧州を土俵下から、ジーッと見据える栃東。もし白鵬が負ければ三敗となるために必然的にそこで栃東の優勝が決まる。白鵬が勝ったとたん場内は割れるばかりの歓声!栃東の顔がアップになる。でも彼の顔は微動だにせず自若泰然。何事もなかったかのように瞬き一つせず土俵を見つめていた。これこそ本当の勝負士そして力士の風格、何と男らしい凛々しさ!と益々ほれ込んでしまった。近頃の男は泣いたり笑ったりする人ばかりで、中には女もこうは泣くまいと思わせるほど泣き崩れる人もいるから、栃東のような男性は希少価値だと思う。
朝青龍と栃東の勝負にはザーット数えただけでも29本の懸賞金がかかっていた。こんな時に、つい育ちが出て「一本が最低でも10万円だと聞くから300万円は軽く越すな。」と、キャッシュレジスターがチ~ン・・・と私の頭の中で鳴る。もし栃東が負ければ白鵬と優勝決定戦。もう固唾を飲んで見守る中、栃東は朝青龍を破り優勝杯を両手で抱えた。私はその後安眠した。

 久しぶりにGloucesterの友人二人に電話をかけた。一人の名はDavid、彼の両親が私の大家さんで一軒家の三階に、もう1人のボブと住んでいた。私は彼等ほど人間的に興味ある楽しい男性とはお目にかかった事がなく、今でも二人とは姉弟のような付き合いをしている。
Davidは裕福な家庭に育ちMITを優秀な成績で卒業をし、反対にボブは学校もろくに行っていない育ちだが二人とも知識にかけては誰にも引けを取らない。どんな分野の質問をしても返事が返ってくる。Davidの父親は田中角栄の時代にロッキードと売り込みにしのぎを削ったが負けてしまった。私はその後に大家さんとして彼に会ったが「もう少し早くに会っておけば、私が日本式の根回しや賄賂について教えてあげたのに・・・。」と言って皆で笑ったことがある。
 Davidの母親は、この6年ほどの間に痴呆症が進行して去年亡くなったと聞かされた。彼女は優秀だった息子が「今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く。」と言ったようなヒッピー的な生活をしているのは総てボブのせいだ!と彼を酷く恨んでいた。
私が「痴呆は酷かったの?」と聞くとボブが「かなりね。だって僕の事を誰よりも気に入ってくれていて、音楽をかけては僕とダンスをしたがるんだよ。一緒に食事をすれば、僕の隣に座って僕のお皿に自分のものを分けてくれるんだよ。あれだけ僕に酷い言葉を吐き仕打ちをした、かっての彼女からは考えれないだろう?これが一番証明するよ。」と笑いながら言う彼には、私はもっと大笑いをした。
「もっと驚く事があるんだよ。」と、Davidのお父さんが再婚した事を話してくれたのには、思わず「あなたのお父さん、いくつ?」と聞いてしまった。「81歳で彼女は83歳。」「もう一度彼らの歳を言ってくれる?」と聞き返したほど驚いた。二人とも2,3歳の頃からの遊び友達だったそうで「私が今まで生きてきて聞いた驚きニュースの中の一つに数えられるわ!」と言うと、Davidが今度は「僕が今まで生きてきて聞いたニュースのトップだよ。」と切り返す。
二人とも世間の枠にはまらず自分達流に自由に生きている、ちょっとお目にかかれない人達だ。
 私の主人は18年前に亡くなったが、自宅で最期を迎えたいと言う希望だった。主人は沖縄に住み私は既に彼等と同じGloucesterの家に住んでいた。看病に沖縄に行った私が先に戻り、彼等に「主人はこの家で死を迎えていいですか?」と聞くと「もちろん。その申し出は私達の名誉です。」と返事をしてくれた。
 死の一週間前に沖縄から、こちらに来た主人はお陰で病院に一度も入院をする事なく、この家で終りを迎えることが出来た。息を引取った後、病院に電話連絡をする前に彼らのドアをノックしてお礼を言うと「お礼を言うのは自分達です。人はどうやって死を受け入れるのか、どうやって死んでいくのかを教えてもらいました。」と言った彼等は並みの人間ではないと思った。

 チカちゃんのお母様から電話があった。彼女もやはり栃東のファンで私のブログを読んで嬉しくなったそうだ。私達は本当に似通った点が沢山ある。
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               横浜時代は通しで升席に座り相撲を楽しんだ
               左から父、ポートランドの姉、主人 (昭和58年5月)

   一月の天気としては文句が言えない気候
by arata-tamiko | 2006-01-23 15:41 | Comments(0)

人いろいろ   1/21/06

 土曜日の朝だと言うのに9時前にドアベルが鳴り「何か?」と慌てて階下に下りると、顔馴染みの郵便屋さんが「ハ~イ!この天気信じられる?」と小包を差し出した。生暖かいと言っていいほどの外の空気を肌に感じながらサインをする。「誰かしら?」と差出人を見ると、「ISAKA」と書かれている。以前、車保険のお客様に、このお名前の方がいらっしゃったが、このようなものを受け取る理由はないので「他の知り合いで同じ名前がいたかしら?」と考えながら小包を開いた。包みの中には「お陰さまで小切手を現金に替えることが出来ました。」と丁寧な礼状が入っていた。それで思い出したが、去年の夏前かに帰国された後に確か小切手が現金化できず私のところに相談のメールがきた。そのお礼だった。その志に嬉しく思う反面、こんな重い羊羹を、しかも「ゆうパック」の高い送料をかけたなら、小切手を換金した分は、この品と郵送料で消えてしまったのではないだろうか・・・と心配になった。日本時間の朝10時にお礼の電話をした。
 こちらの銀行口座を閉め残高を小切手で手にして、日本に帰国をした後、忙しさに追われ小切手を換金せずに期限が切れてしまった・・・とか、口座を日本からクローズしたいのだが銀行と話し合いが出来ない・・・と言ったような相談事が結構ある。
私は出来るだけお手伝いをしているが、せめて結果報告だけはして欲しいと時折思わされる。
ある先生は帰国後1年経って「現金化するのを忘れてしまったのですが・・・。」とメールがあった。額面は一万五千ドル、驚いてしまった。急いで彼の銀行に行って「日本の銀行で期限切れのために換金は不可能と言われたそうですが、再発行できますか?」とお願いをすると「彼にはBank Certifiedで渡したので2年間有効です。」と言われ彼に知らせる。
 先生から「どうしても駄目だの一点張りなのです。何とかなりませんか?」と又メールがきた。それで又銀行に走り事情を話すと支店長名で「2年間有効です。」と言う内容の証明手紙を銀行のレターヘッドが付いた用紙を使い、親切に書いてくれた。彼に添付で送った後は、いっさい何の連絡がなかったが「どうなりましたか?」と聞くのも押し付けがましい・・・と思い、そのままになっていた。それから半年近くして、その銀行員とバッタリ会った時「ところで、彼はあの手紙で問題が解決したのかしら?」と聞かれた。
手紙と一緒に彼女の名刺とメールアドレスも一緒に添えていたのに、せめて一言の礼状は人として、いや日本人としても出して欲しかった。本当に恥かしい。

 やはり帰国をした人で車のExcise Taxのことでメールをしてきた事がある。彼を仮にAさんとしよう。「何回か電話や手紙で、やり取りをしているが解決しない。」と書かれたメール内容であった。私は町の役場に行き、係りの人に「支払いたい。」と役場からAさんが受け取った手紙や請求書を見せると「何月に既に帰国をしているので、これは支払わないでも良い。」と言われ、それを日本にメールで伝えた。暫くしてから「また請求書が送られて来ました。」とメールがあり又役場に行くと、違う人が「これは支払いが滞納していますから利息と共に支払わないといけません。」と言われた。「そんな馬鹿な!」と言っていると先日の女性が入ってきたので「ねぇ~、あなたは私を覚えているでしょう?」で、やり取りが始ったが、その女性は言っていないの一点張り。何とも腹の虫が治まらず翌日また役場に出かけ上の人と話したが、アメリカの諺にある通りCity Hallには勝てなかった。後から考えれば始めに行った時に、その女性に一筆書いてもらえば良かったのだが、こんな事になるとは思いもしなかった。
 ところが、Aさんから「あなたのせいで利息まで支払わないといけなくなった。アメリカの友人に聞きましたが、役場の人間がそんな事を言うはずがない・・・と言っています。と、なるとアナタは”嘘つき”と言う事になります。アナタは初めから役場には行っていないのです。今後あなたの嘘によって私達のような被害者が出ないように願います。」とメールがきたのには、もっとショックを受けてしまった。私は率直な物言いをする・・・とは言われるが、生まれてこの方”嘘つき”と言われたのは初めてだった。一回目に役場に出かけた後に自動車保険の代理店に寄り、役場での話をしていたので代理店のCathyも憤慨して「彼女は確かに役場に出かけ支払不要だと言われています。私が証人です。」とAさん宛てに手紙を書いてくれた。
私は、こうやってAさんに書いた。
 「利息を$10支払わなくなった事に対しては誠にお気の毒に思います。彼女に一筆書いてももらわなかった事は私の過失です。お詫び致します。ですが私は役場に三度出かけています。私の時間給から、この$10を引いた金額の請求書を送らせて頂きますのでご住所をお知らせください。」
 でも一晩経ってみると何か空しい思いがして出すのを止めた。この人は帰国前に車や生活用品の個人売買で関係のない私に相談の電話を朝に晩に何度かけてきた事か。それも携帯電話に。
それを忘れて人を嘘つき呼ばわりする人に、どんなに本当の事を繰り返しても嫌な思いと情けなさが残るだけだから。(でも、これを書いた事で気分がスーッとした。)
 でも今日の伊坂さんの様な方がいると、気分が高揚して、この仕事をしていて本当に良かった!と思う。

   大人も子供も半袖で町を歩く
by arata-tamiko | 2006-01-22 13:50 | Comments(0)