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60年代の話し   5/30/05

 昨夜泊まられた先生は時差で全く眠気が催さないと言われるので、遅い食事が終わった後も深夜過ぎまで色々話しこむ。先生は「血管外科」が専門なので、私の主人が30代終りの時に症状が出て以来、一生苦しめられたバージャスディジーズに付いてもお聞きする。
この病気は手足の先の毛細血管に血液が通わなくなるため腐り始め、最終的には切り落とすようになる。
「原因は未だに解明していないのですが、最近の日本では昔に比べて患者さんが少なくなったのですよね。」との事。今から考えると信じられない話だが、初めは主人の指先に膿みがたまり腫れてきた。東京の近くに住む私達の町では結構有名な外科病院の院長を紹介されヒョウソウと診断されて膿みを出してもらった。その夜から激痛が始まり、だんだん指先が腐り始めた。
驚いた先生は初めに第一関節から切り落とし、最終的には二度目の手術で第二関節から先を失った。
また傷口から黴菌が入らないようにするためとして「家庭では湯の中に固形の洗濯石鹸を入れて泡立て、その中に指をつけておくように。」と指導された。どう考えても奇怪な方法だが私達は藁をもすがる思いの中で忠実に続けた。(どうして体を洗う石鹸ではいけなかったのか今でも不思議に思う)

 この後、東大病院を訪れ初めて病名を知らされた。喜劇王と言われた俳優のエノケンがこの病気になり片足を失った事を知っていた私は手紙を出し治癒の方法を請うた。彼は既に亡くなっていたが、奥様から丁寧なお手紙を頂いた。しかも直筆で。
エノケンは田んぼに住むヒルを悪い患部に当て血を吸わせていたと書かれていた。

 これから十数年して主人も片足をなくすようになったが、これは総て60年後半の出来事である。

 午前は快晴 気持ち良し 午後曇りで小雨ぱらつく
by arata-tamiko | 2005-05-31 11:22 | Comments(0)

お掃除   5/29/05

 アパートに今日から入居をするはずだった0先生が今夜到着される。ところが4日前、不動産屋から電話があり、入居は6月1日まで出来ない事を知らされる。先生が入居をされるアパートの住人は、もっと前に出て行くはずだった。ところが、その人が移る住居のリフォームが終わらないので出て行くことが出来ないとの事。
契約開始は6月一日だから余り強く文句は言えない。

  ボストンのホテル代は今の季節となると、とても高い。先生には今更「ホテルに泊まってください。」とは言えない。
「築150年の家ですが、我が家にお泊りください。」と急いでメールをした。(ちなみに昔、余りの年代物の住宅の数々に驚いていると、ある不動産屋から「Ma州では百年以下の家は新しいと言うのだよ。」と本気半分の冗談を言われた。)

 日頃だらしなくしているから、このような予期せぬ出来事の時は必死になって掃除をしないといけない。先生のお陰で今日の我が家は棚に埃もなく、床も輝いている。
私の家はお客様があると綺麗になる。そしてガラクタは一部屋に押し込むから、その部屋は開かずの間となるのである。

 朝うす曇 午後晴れ 夕方から雨 また上着が必要
by arata-tamiko | 2005-05-30 11:47 | Comments(0)

投資   5/28/05

 一夜明けると突然夏が来ていた。外を歩く人は夏の格好をしている。二十数年年住んでいても、この急激な天候の変化には戸惑わされる。

  中国製品の痩せ薬で亡くなった女性についてのニュースが流れている。私には理解できないのが、どうしてインターネット上で素性の知れないような飲み薬を安易に購入して口にいれるのだろうか?中国ほど世界のブランド商品の偽物や他の品々の海賊版が横行している国はない。これからしても判りそうなものだが、痩せたい一心の方が先にくるのだろう。
 2年ほど前にお会いしたご夫婦が日本で外資系の会社に働く投資家だった。我が家で夕食をしながら、投資と言う私に取っては全く未知の世界の話をしてもらう。年収を聞いた時、私は一桁間違っているのではないかと聞きただしたほどの金額であった。
「それ程の職を捨てて、こちらのビジネススクールに来たのは、どうしてなの?」と聞くと「未だ30歳になったばかりで、この年収が怖くなったのも一つの理由です。”これでいいのだろうか?”と夫婦で思うようになって・・・・・・」と話してくれた。
私のウエッブをデザインしてくれた友も同席していた。後で二人して「何て格好いい言葉なの。一生に一度でいいわ。私もこういった言葉を言ってみたい!」と顔を見合す。
「自分の年収が怖くなって・・・。どうしたの?お金が必要なの?一億で足りるの?」などと二人で”ごっこ遊び”をしたり、この世の不公平さを言ったりして慰めあう。

 この時中国株の話をしてくれ「未だバブルを経験していない国は中国です。今買っておけば絶対に儲かります。」と勧めてくれた。しかも親切に自分たちが既に株を買っている会社名もリストにして後日メールしてくれた。日本に住む姉夫婦に早速知らせる。その時、漢方薬を愛用する姉は「これからは化学薬品の薬より中国漢方薬が人気を集めるに違いないわ!」と漢方薬品の会社に一番投資したと勢い込んで電話が入る。
 それを中国人のお客様に話をすると「中国の薬品関係の会社は駄目ですよ。パテント代も支払わずに違法に薬をコピーして作ったり、何を使っているか成分が分らないから怖いですよ。
私は中国に帰っても信用できる会社の薬以外は絶対に買いませんよ。日本のが良いですよ。いつか中国が世界のルールを守らなければならなくなった時は沢山の薬の会社が潰れますね」と言われた事がある。
中国人が太鼓判を押す危険性があるのだから、服用していた人達は大きな代償を払ってしまった。

 晴れ 午後遅くから雷雨
by arata-tamiko | 2005-05-29 09:59 | Comments(0)

旧日本兵   5/26/05

 今朝、外に出ると折れた枝や葉っぱが庭や道路に散乱している。小さな子供の背丈ほどもあるゴミ箱も強風に飛ばされたようでなくなっていた。チビ公と散歩していると家からかなり離れた場所にころがっているのを見つける。何台もの町のトラックが折れた大きな枝を満載して走り回っているのを目にする。

  フィリピンのミンダナオ島で旧日本兵二人が保護を求めていると言うニュースを読む。
戦後60年経った今でも戦線から離脱した罪に問われる事を恐れているなんて可哀相の一言に尽きる。31年前にやはりフィリピンのルバング島で小野田寛郎少尉が姿を表したときは日本人皆、息を凝らして事の成り行きを見守った。その前の横井さんの時も大騒ぎとなったが、小野田さんの場合は戦友と一緒に未だ第二次大戦の世界に生きていたからだ。
「日本兵が隠れている。」と島民達は怖がっていたが、ある時に島民との間で銃撃戦となり戦友は撃たれ亡くなってしまう。これで旧日本兵の存在は確かとなり、この後はどんな小説家でも書き得ないドラマが始まっていった。
 名前が小野田寛郎少尉と判ると日本政府はありとあらゆる方法を駆使苦して救出しようと試みた。最期の手段として80歳過ぎた両親がフィリピンまで出かけジャングルに向かって息子の名を大声で呼び続け、既に戦争は終わった・・・と書いたビラを上空から撒いたがジャングルからは何の返事もなかった。
それを日本の若者が1人でジャングルに入り、焚き火をしていると突然小野田少尉が暗闇の中から現れた。「上官の命令が無い限り、この島を離れる事は軍律に反する。」と戦後生まれの鈴木青年に説明をしたそうだ。日本に戻った青年が証拠の写真を携えて日本国民に、この話をした時には、またもや日本中が唖然としてしまった。
 幸いな事に彼の上官が宮崎に生存しており、ミンダナオ島に飛び、当時の軍服を着て軍隊口調で小野田少尉に「武装解除を命令する!」と告げる様子の映像や写真の数々は何かタイムカプセルに乗った人をみるようだった。彼が何十年も磨いていた銃剣を軍のマナーに従って、島の司令官に差し出す場面も圧巻だったが、手渡すやいなや彼の鋭い目つきがとたんに和らいで普通の人になったのにも日本中がまた驚かされた。
(最近の事は忘れても昔の事は鮮明に覚えているのは要注意かもしれない。)

 そして私は小野田少尉に何を書いたか覚えていないが手紙を出した。返事はお兄様から葉書で頂いた。もちろん印刷だったが最期の一筆は手書きで書かれていたのには感動した。

 強風止む 雨は一日降り続く 寒さ少し和らぐ
by arata-tamiko | 2005-05-27 13:47 | Comments(0)

ドキュメンタリーの真実   5/24/05

 昨日は不動産屋にアパートをいくつか見せてもらって画像を何枚もお客様に送った。一軒とても気に入った造りで綺麗な物件があったので私も嬉しくなった。お客様もご夫婦で気に入って下さり「ケンカをしていたのが、これがキッカケで仲良く話すようになりました。」とメールが入る。
ところが残念な事に大家が売りに出したので貸すことはできないと電話がある。お二人の失望した様子を思うとお気の毒だが、どうしょうもない。またケンカをしなければ良いが・・と願う。
 メールのやり取りのみで既にこの先生には親しみを覚えてしまい、楽しいボストン生活を送って頂くために最大限の努力をしたいと思ってしまう。
 先生は面接日も決まり、心が奮い立つ余り何故か「アリーマイラブ」を見続けて勉強をしていると知らせがあった。ところが、その後のメールでは「このドラマは止めて”ER"を見始めました。」と書かれていた。裁判の場面ばかりで余り役に立ちそうに無いと思えたようだ。
この後に「法律用語は解らなくてもしかたないや!と思えたのが、ERを見始めて今度は医学用語が解らないことに気が付き前より落ち込みが激しくなりました。」と先生は悲しげに書いていた。だれだって、この先生を好きになるだろう。

 NHKが誇る番組「プロジェクトX」の内容に問題があり・・と言う記事を読む。
このタイトルは「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」で54年に赴任して来た新米先生が退学生徒80人も出すような学校に合唱団を作って遂に全国コンクールで日本一の栄冠を獲得すると言ったような内容である。私もTV Japanで観たが初めてのコンクールには警察のパトカーも出動したほどの荒れた学校だったと語りが入る。
 ところが、これが事実と全く異なる内容で合唱団のOBも当惑し、パトカーすら来なかったそうだ。私も先日雅子妃について書いたがドキュメンタリーとは、どれほどの真実が含まれているのだろうか?と疑問に思う。「校長先生は全く雅子妃の事は知りませんよ。TVに出たいがために自分で視聴者の皆様が聞きたい素敵な物語を作り上げているだけですよ。」と忠告をしたのに、インタビューをしているのだから後は押して知るべしと思った方が良い。
 ソフトボールのキャプテンと福キャプテンは「私達は別に良き友達と言った間柄ではないのよ。ただソフトボールのチームメイトだっただけなの。いろいろ質問をされると思うの。でも期待に答えれるようなものは何も持ち合わせていないの。それに今の状態では、もし私達を画面で観ても彼女を幸せに出来るとは思わないわ。」とインタビューを断ってきた。
尊敬できる意見として其のテレビ局の方に伝えた。もちろん相手には大きな失望を与えてしまったが・・・。

 一日雨 夜に入り風雨強し 暖房を一日入れる寒さである
by arata-tamiko | 2005-05-25 12:24 | Comments(0)

クレジットヒストリー   5/23/05

車のリースのお客様は政府関係の銀行からとの事。とても育ちが良いと言った雰囲気を持つ方で頭もきれる。きっと出世するだろうなとフッと思った。

 この国に来たばかりの日本人や外国人ではクレジットヒストリーが全く無いと車のリースは殆ど不可能である。もし出来たとしても貸す側は大きなリスクを負う可能性があるので、とても高い支払となってしまう。日本人ではあり得ないが、たとえばリースをした後に南米やカナダに逃げてしまう人がいると言った可能性も考えられるからである。
私がお客様達をご紹介しているToyotaのディーラーは、私のお客様のために特別プランを作ってくれた。お客様に取っては納得できる相応な月払いリースだから喜ばれている。

 私もこの国に来た初めの頃はクレジットヒストリーの意味がどうしても理解できず困ってしまった。
「借金をして、その支払方法でヒストリーを作っていく。」とアメリカ人から聞かされ、益々理解に苦しんだ。「銀行からお金を借りて返済して行く方法もある。」と他の人から言われた時は「どうして借金をしてれば信用度があるのだろうか?アメリカとは何と変な国だろうか。」と不思議に思った経験がある。

 「一番の良策はシアーズとかいった一般大衆的な店に行きクレジットカードを申請してヒストリーを作ることだ。」と助言をされ、のこのこ出かけた。そしたらまたそこでクレジットヒストリーがないから駄目だ!とはねられる。
知り合うアメリカ人、誰彼に構わず「どうやったらクレジットカードが取れるのでしょうか?」と聞き続ける。
Toyotaのディーラーのオーナーと知り合い、彼が銀行と話をつけて車のローンを組んでくれた。(上のToyotaとは違う)
毎月の支払を遅れること無く払い続けている内に、今度はゴミ箱に捨てるほどクレジットカード会社からの誘いの手紙が来るようになった。
今考えるとアメリカ人は初めてのクレジットカード申請に困った経験は余りないだろうから、聞く相手が間違っていたのだ。

 小雨が降り続く 5月も終りとは思えぬ寒さ 
by arata-tamiko | 2005-05-24 12:05 | Comments(0)

ケーキ屋さん   5/20/05

  N先生のお世話が終わった後Brooklineのアパートへ送る途中、前々から一度店内を見てみたいと思っていたケーキ屋の前を通る。Athan'sと言う名の店でヨーロッパ風の味で評判を得ているそうだ。運良く、パーキングが一台分空いていたので車を止めて、N先生とお店に入る。
店内には沢山の種類のケーキやペーストリィーが魅力的に飾られている。アメリカのケーキは味も酷いが何と言っても、その色合いの毒々しさである。赤いバラの花の色は赤より赤く、青い葉っぱの色は青より青くで、どう贔屓目に見ても食欲を誘う色ではない。あの原色の色は絶対に体には悪いと思える。このような色彩感覚はどこからくるのであろうか?
でもこの店の品々は日本人に取っては抵抗のない色合いである。

  必死になって誘惑に打ち勝ち、クッキーの詰め合わせだけを買う。これなら一日一ツ!と決めて食べればカロリーの心配も余りないと自分に言い聞かせる。N先生は親切なアパートの隣人にケーキを買った。
  この後、2年前に来られたM氏から「帰国前に是非もう一度お会いしたい。」と言われていたのでアパートにお寄りする。3日後に出発をされるご夫妻と久しぶりにお話をした。お別れの時に、お礼に・・・と差し出されたバッグにAthan'sとあり、車に戻って中を見ると、今私が買ったのと同じクッキーの詰め合わせが入っていた。

 晴れ 夕方肌寒し
by arata-tamiko | 2005-05-21 12:52 | Comments(0)

隔世の思い   5/19/05

 こうやってブログで日記もどきのものを書いてはいるが未だに仕組みがよく解っていない。何か疑問があると、手ほどきして下さったH先生に件名は「また質問」としてメールを出し続ける。本当なら「又、又、又・・・・・。」となるべきなのだが、品良くいつも一言にしている。

 雅子妃の事を読まれた方から、遠いヨーロッパよりコメントが入っていた。その方も余りこの方面に詳しくないらしく、受け取った私も「ところで貴方は私をどうやって見つけたのですか?」と聞く始末。
私などは電話が始めて家に取り付けられた日の出来事を何となく覚えているのだから、この世の移り変わりは隔世の思いがある。友人達やお客様たちにトンチンカンチンな質問をしながらも何とか世の流れに付いて行っている。
初めてコンピューターを習った時は嬉しくって、嬉しくって 「メールを頂戴!」と何人かに電話をした。その夜、帰宅してハッ!と思ったのが「どうしましょう!コンピューターの電源を切って出かけてしまったわ。」だった。急いで「ごめんなさい。何度もメールの送信を試みたのでしょう。ウッカリして電源を切ってたの!」と謝りの電話をかけた程の機械オンチの私である。

 だけど朝青龍は憎らしいほど強い!12日間、負け知らず。それも彼の凄い所は絶対がっぷり四つに組むところだ。立ち上がりざま、絶対に身をかわさない。千代大海などは、いくら白星が欲しいからと言ってヒョイ!と横に飛ぶなんて見苦しいの一言。勝負士なら堂々と戦うべきだと思う。
モンゴル、ロシア、ブルガリアなどの力士は国の親に楽をさせたいと思う一心で力士になっているから気迫が違う。だけどチョット昔の日本でも、そう言ったタイプの人達は沢山いたものだ

 晴れ 夕方雨がぱらつく 水仙、チュリップ、八重サクラ、花みずき、つつじそして藤が一緒に咲いているボストンの5月
by arata-tamiko | 2005-05-20 12:15 | Comments(0)

City Bank   5/17/05

  車の購入の方と会う約束をしていた。朝電話がかかり「日本でCity Bankを開いたので車の購入金を引き下ろしたいから場所を教えて欲しい。」と言う。「ボストンでは一店も、その銀行はありませんよ。」と教えたが、日本では開設の時に皆知らされていない。
到着後すぐに引き出せば良いだろう・・・とT.Cも現金も余り持ってこない人も中にはいる。こちらで口座を開いた後、自分の銀行情報をCity Bankの書類に記載して日本に郵送しないといけない。それからCity Bankにある自分のお金が初めて振り込まれるので入金までに一週間以上かかる。そのために何度か当座金を貸す事もある。

 ある企業の方はBank of AmericaのATMマシーンから自分の限度額である何千ドルを一週間に渡って毎日せっせと引き出した。
やっと車の購入金額までこぎつけ私に連絡が来た。こちらのATMから出てくるのは20ドル札のみなので、その束の量を見せられて唖然としてしまった。
二人で2万ドル近い20ドル札を持って窓口に行き入金をしようとしたら「こんなに貯める前に来て下さい!」と怒られた。
 
 中国、西安の城にある庭園が発掘された記事が目にとまる。時代は618年ー907年で日本からの遣唐使を、その庭でもてなした事が記録にあり有名な「源氏物語」にも庭園の池の名が出てくるそうだ。池の中央には中国の伝説である不老不死の蓬莱島と言う島の痕跡もあると書かれている。
中国は何が出てくるか分らない凄さを秘めている国だと思う。

 私の田舎に昔「蓬莱館」と言う映画館があった。変な名前だな~と今でも時折思い出すことがあったが、やっと意味が分った気がする。きっと館主は、その当時では最高の娯楽である映画を観て楽しんで長生きしてください・・・と言った意味で館名をつけたのではないだろうか?

 うす曇り 夕方冷え込む 暖房は未だ必要
by arata-tamiko | 2005-05-18 13:14 | Comments(0)

住所   5/16/05

 これから入居をする建物の住所をお客様に知らせたところ「建物の名前は住所に必要ではないのですか?」と質問された。
こちらでは建物に名前が付いていても住所書きの時には殆ど使用されない。建物の番地とアパートの部屋番号のみで事が足りる。

 日本は何故にモルタル造りの小さなアパートでも華美な、しかも英語かフランス語もどきのような名前をつけるのであろう。「カサブランカ何とか・・」と言ったアパート名もあったが、いったい何処から考え出したのかと1人笑ってしまった。大家さんが大輪の白いユリ、カサブランカが好きなのかもしれない。ちなみに建物は白くないそうである。
 四国に在る其の大学住宅の建物名が「南国荘」であった。「素晴らしい名前ですね。」とメールをすると返ってきた返事が「人に言うたびに恥かしい思いをしています。」だった。

 私の昔からの友人は横浜の一等地に広大な土地を持っていて家を継いだ息子が、そこに外人向けとして6軒の家を建てた。
付けた名前が「サニーサイド何とか・・・」で「どうしてこの名前にしたの?」と聞くと「丘の上で南向きだから。」と得意げに言う。
もし住む人がアメリカ人だったら、目玉焼きを連想するのではないかと一瞬思った。こちらではレストランの朝食に”サニーサイド!”と目玉焼きをオーダーするからね。
by arata-tamiko | 2005-05-17 11:20 | Comments(0)