会社の歴史話   6/28/08

 K製作所のKさん御夫婦とベルモントのヤム茶を頂いている時「ここにはよく来るのですか?」と訊かれ「はい、今週は今日で4回目。」と返事をすると驚いていた。昨日は操さんとで後は仕事の合間に一人で昼食にきている。
8ヶ月の身重の奥さんが「とても優しい主人です。」と二人は幸せそうだった。同僚のKさんの奥さんも同じことを言っていたところからすると社訓に「妻には優しく!」と書かれているのだろう。

 三ヶ月の英語研修に来られたYさんから、とても興味深い社歴を聞かせてもらった。
今年に入って、この会社から既に5人もの研修生が来ているので「よほど会社は景気が良いのですね。」と言うと「我が社は鉱山を持っていて、それからの利益が大きいものですから。」と言う。
どこにと訊くと南米で昔、安く購入した鉱山が今の時代になって富を生み出してくれるそうだ。その当時買った会社の人は先見の目がある。
しかし海外で儲けたお金は日本の税金の問題があり、日本に送金できないそうで海外の銀行に預金をせざるを得ないのだそう。なぜだろう?日本の財務省の人に訊いてみよう。

 百年の歴史がある会社は日立での鉱山業が始まりで、当時はトンネルを掘る削岩機など全てヨーロッパからの輸入機械。その修理工場が現代の日立製作所。
「どうして社名が全く違うの?」と訊けば、戦後のGHQによる財閥解体でバラバラにされたそう。
同じ鉱山業でも三井、住友は財閥解体の憂き目にあっても彼の会社と違う点は、銀行を自社で持っていたため後日一体となることが出来た。

 戦前は政府の後押しで今の北朝鮮に水力発電工場も建てたそうで「戦後は北朝鮮に取って、とても役立ったらしいですよ。今でも未だそのまま使っているのではないでしょうかね~。」と笑っていた。
戦前日本は北に工業、南は農業生産の政策を取ったので戦後の北朝鮮は日本が残していった工場をそのままフル活用でき韓国の国民生産をはるかに超えていた。

 「では日立造船も昔は同じ系列だったのですか?」と訊くと、同じ名前でも全く関係なく社歴は百二十五年くらいではないか?と言っていた。「あれも、これも」と、彼は有名な会社名をあげて解体前は、旧社名日本産業の子会社だったと聞かされ始めて知った。
「何でそんなに知っているの?」と訊くと「社歴は入社の時に聞かされるからですよ。」と言うが、これほど克明に微にいり細にいり記憶している人も少ないと思う。表彰ものだ。

 またDVDプレイヤーからDVDが出てこなくなった。当地の110番、K製作所のKさんに電話。
友人宅で夕食をしていたKさんは、明日来てくれるとのこと。機械に腹が立ってスイッチ全てを押してみるとす~っとDVDが出てきた!まさか、まさか、、、と「Close、Open」のスイッチを押すとす~っと出たり入ったり。
またもや、まさか、まさか、、でリモートコントロールの電池を新しくすると難なく問題解決。
 余りにも恥ずかしく不在の家の電話に「すみません。電池が切れていました。はい、さよ~なら。」とだけメッセージを入れておいた。
私から電話を受けた時Kさんは「こないだ念入りに修理をしたばかりだのに。おかしいな~。」と心中思っただろう。可哀想に。

   余りの冷気に朝窓を閉める 夕方も肌寒し
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           近くにある公園はチビを走らせるのに最高の場所
           人工池には毎春町が稚魚を放し子供連れで釣りを楽しむ家族が多い 
           池の水は汚くよどみ汚染されていると皆は釣り上げては水に戻して
           いる
           この中国人親子は六匹を戻すようすなく訊くと今夜のオカズにする
           と言う Cambridgeに住んでいながら、どうしてこの池を知って
           いるのか?と訊けば、何人かの中国人から聞いたそうだ 
           これから毎週来るのだと張り切っていた
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           中国人の母と息子、絵になる姿だったが、いくら新鮮だと喜んで
           いても大丈夫かと心配になる
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              公園前のこのドッグウッドの豪華さには惚れ惚れしてしまう      
               
by arata-tamiko | 2008-06-29 12:16 | 興味ある話


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