旅日記 (最期の夜)   12/20/05

 釜山滞在も今日が最期の日となった。朝の10時ごろに朴夫人が迎えに来る。先ず初めに眼鏡を頼んでいた現代デパートに寄り、それからロッテデパートに行く。
ロッテデパートで冷麺を食べよう・・・と誘われ食堂に入ったが、まるで日本の食堂そのままの造り。
釜山では、東洋人の体型に合ったコートを買いたいと思っていたので二人で丹念に見て回ったが、日本人とは色彩感覚が異なり彼等は派手なラメ入りが好きなので、私達にしてみれば何かケバケバしく気に入ったものがなかなか見つからない。やっと私の希望に添うフード付きの暖かいコートが見つかり朴夫人の「とても似合いますよ。」の一言で即購入。日本の半額以下の値段だと思う。(宝塚の姉から、「私も欲しいわ~。」と言われた。)
デパートの中の造りも商品のセッティングもアレンジも総て日本。周りの人々が韓国語を話しているのがおかしい?と言った感覚に襲われる。聞いてはいたが、目の整形をしている女性の多いのは想像以上だった。それも田舎から出てきたと言った雰囲気そのままの女性が目だけ二重にしているのは何か滑稽さを伴う。
 韓国歌手の歌唱力は抜群なので又何枚か買いたくお店に寄ってもらうとシム・スボンのCDを見つけた。彼女は‘79年に朴大統領が腹心の中央情報部部長に射殺された時に同じテーブルに同席していた有名な女性歌手。朴夫人は、なかなかユーモアのセンスがある人。
この時も「この歌手は空を飛ぶ鳥よりも綺麗な声を持つと言われ大統領のお気に入りでした。でも顔が余り綺麗でないので朴大統領は彼女を屏風の後ろで歌わせていたそうです。」とか「大統領の一番得意な歌は船頭小唄でしたよ。私は歌詞を見ないでも6番まで上手に歌えるので大統領と親しい友人に“一緒に歌わせてくれ・・。”と頼んでいましたが、その前に暗殺されてしまいました。」と本当のような嘘のような話をして私を笑わせる。昔彼女が話してくれた韓国の古い諺も忘れられない。あるパーティーに行った時、集まっている米韓の軍人達が談笑しているが、夫人も私も理解できず退屈していると彼女が「韓国では“皆と一緒に笑い、通訳されてから1人で笑う”と言う諺がありますが、今の私達はそれですね?」と言われたのには余りにも的を得ているので大きく頷いた想い出がある。
 運転手のイギサを呼んで競馬場で血の気をあげているだろう朴氏を迎えに行き田舎の焼肉屋に向かう。ここは殺したての牛から採った脊髄が食べれる事で有名な店だと朴氏が行く途中で説明をしてくれる。地元の人間ばかりで私が一番好む雰囲気。せっかくの好意と思って脊髄とやらを口にしてみるが、付けて食べるニンニク味噌の味だけで、その物自体には何の風味もなく何か気色悪い。「体に良いから。力がつくから。」と何度も勧められ必死に食べてみるが、3本がやっと。粂原さんからは「アンタはもう台風ではなく、トーネェードだよ。」と風邪をうつした後言われているのだから、これ以上元気がつく必要もなし。
もちろん焼肉も美味しかったが、それよりも何よりも30年ぶりに頂く牛の血のスープが飲めたこと。血と言ってもトーフのような塊で血の臭いは全くしない私の好物。
だけど韓国料理店では小皿が次から次に出てくるものだ。しかも無料でお代わり出来る。
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                     地元の人々で賑わうお店
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                  出される小皿の数々(矢印が牛の脊髄)

 食事の後は田舎の海辺に行き浜辺を散歩する。かっては風光明媚な漁村であっただろうに規制のない開発で今は見る影もない。コンクリートの高層アパートが乱立して何故かそれらの建物が好きな方向に建ち並んでいるので見苦しい事、この上なし。混み合う人込みの中に日本人らしき格好をしている女性達を見たので、声をかけると渡り鳥の調査に来ているそうだ。
ここでも日本式のオデン屋の屋台が沢山出ている。韓国では60年経った今でも日本時代の影響を、ここかしこに見る事が出来る。
 魚市場では昔ながらにアジュンマ達が低い椅子に座り大声で客呼びをしている。吹きさらしの中で座る地面の足元には海水が流れるようになっていての仕事は、さぞかし辛かろうと思ってしまう。朴氏は40センチはあろうと思われる見事な大鯛を一万ウォンで交渉して刺身にしてくれと注文を出す。日本円で僅か900円。跳ね回る大鯛をアジュンマはグーッと押さえ込んで頭を撥ねる。刺身と言っても日本と全く違い、細く身をぶつ切りにして、それをタオルに包み込み自分の体重を使ってギューギューと押さえ余分な水分を取ってしまう。だからタオルを開いた時は見るも哀れなシナシナでボロボロとなっていた。もったいない!しかし、これをコチジャンで頂くと最高だそうだ。
韓国の女性は実に逞しく強い。だから昔の韓国男性は一見たおやかに見える日本の女性に憧れを持ったのだろう。
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                      釜山の町はオデンの屋台だらけ
                      こればかりは食べる気にはならない
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                         沢山のナマコ
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                  水浸しで働く逞しいアジュンマ達

 この後いよいよ昔私達が住んでいたアパートに行く。30年前には町の中心地に建つ新築の最高にモダンな建物だったのに今では古い残骸をみるようだった。一段一段と階段を上って三階のドアの前に立つ。左手には主人が備え付けさせた鉄骨の棚が錆びたまま残るのを見て主人の優しさを改めて思う。
その頃は捻ればお湯が出るアパートの生活は最高の贅沢で日本人の私達は毎夜お風呂に入る事が出来た。ところが夏になると突然そのお湯が止まってしまった。急いでオバちゃんに管理事務所に走ってもらい調べると「夏なのに何でお風呂に毎日入るのか?」と不思議がられたそうだ。「韓国の人は日本人のように毎日お風呂に入る習慣はないんです。」とオバちゃんは少し恥かしそうに言う。それで主人が苦肉の策として窓の外に取り付けさせた棚にプロパンタンクを置いてお風呂のお湯を沸かすようになった。近所の人達が珍しがって見にきたものだ。
階段を下りてくると朴夫人が「どうですか?」と聞く。今1人でこの敷地に立ち1人で建物を見上げる思いは言葉には出来ないものがあった。
間もなく取り壊わされると聞いた。
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                   かってはモダンだったアパートの建物
                      
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                    私達の住いだった三階の部屋
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       私達が住んでいた時代は戒厳令がしかれ、深夜の12時になると、アパートの
       建物入口に設備された鉄格子が閉り一切の出入り禁止となった。
       しかし今考えてみると、万が一建物内で火事が出ていたら、私達住人は
       柵が開かない限り昔の吉原の花魁みたいに焼き殺されてしまっただろう。
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             今でこのゴミゴミようだから30年まえは押して知るべし
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                         アパート前の大通り
               
 遅い昼食を頂いたので朴夫妻が招待してくれた鯛の刺身の夕食をお断りしてホテルに戻った。急いでオバちゃんに電話をすると「もう一目会いたい。」と言う。私も同じ思い。
この夜は深夜過ぎまで二人で話しこんだ。「娘から“奥さんに会えただけでも生きた甲斐があったな~。”と言われましたが、私もホンマそう思います。これでいつ死んでもいいと思っています。」に「何でそんなこと言うの!今度は姉も一緒に来たいそうだから、オバちゃんは生きないといけないの!」と叱ると「奥さん、私が生きていて何の足しになるんですか?娘達夫婦にもえらい迷惑かけて・・・。」と静かに人事のように言うのには返す言葉もなかった。
 一時過ぎホテルの前に止まっているタクシーにオバちゃんを乗せ、明日発つ私は彼女の上着のポケットに残ったウォンをねじ込んだ。オバちゃんは私の手を握り締め「コモスミニダ、コモスミニダ」と繰り返す。「この恩は・・・。」と、また言い出した時には、瞼に熱いものがこみ上げ「もういい。それ以上何も言わないで!」と運転手に発車を促した。

   11/21/05

  朝の9時に朴夫人の迎えで飛行場に向かう。運転手の金さんにはお断りしていたのに遠くからワザワザ見送りに来てくれた。出発時間を待つ間、スタンドでコーヒを飲み、働く二人の若い女性に好きな俳優はだれか?と聞いてみる。今回行く所、行く所でありとあらゆる人々に聞いて回ったが、韓国人達は自国の俳優に対しては冷静だ。日本のような現象は全くない。
むしろ「どうして、そんなに韓国映画やドラマそして韓国俳優に夢中になるのか?」と聞かれ、朴夫人など「おかしいのではありませんか?自分の息子のような歳の男性に、あそこまで夢中になるのはアブノーマルではありませんか?」と言う始末。この事は雑誌などで知ってはいたが、これほどとは思わなかった。
車中から見える看板やポスターを指差して私が「アッ、ヨン様だ!」「チャンドン ゴンだ!」「クォン・サンウだ!」と言っていると運転手のイギサまで笑いだした。特定の俳優名を挙げて問えば「いいんじゃないの?」と言った感じの答えが返ってくるが「この人、この人!」と即答はなかった。
これから考えると彼等、韓国俳優や歌手に取って日本は夢のような稼ぎ場となり、日本語も必然的に覚えざるを得ないだろう。”冬のソナタ”に出演したソンヨック?役のパク・ヨンハなどは今日本で歌手として活躍しているが、初めてのコンサートは横浜ランドマークでおこなわれ余りの観客の多さにステージに立つ彼が感極まって泣きじゃくったと言う逸話がある。(私の知識は日本の友人、粂原さん、木戸さん、坂田さんそしてベルモントの金さんから得ている。)

 朴夫人、彼女の運転手イギサそして金さんと再会を約束して釜山を11時半に飛び立った。
by arata-tamiko | 2005-12-16 06:27 | Comments(0)


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