旅日記 (オバちゃんとの再会)11/15/05ー11/16/05

  ナオミさんは眼科医とのアポのため早朝に相模原へ出発。トシエさんは家のワンちゃんの餌やりで早くに家に戻ったので、朝食は佐々木さんと雄ちゃんと三人でする。
テーブルに「宜しいですか?」と同席してきた男性三人は団体バスの運転手さんで富山から。近年は高速道路が完備しているので昔のような長旅は無くなり、この団体の3泊は長い方だと言う。「三台もバスが連なるのですから、どなたか先頭に立つリーダーがいらっしゃるのですか?」と聞くと「この人ですよ。」と端にいた人を紹介する。「もしリーダーの方が道を間違えて走っていたらどうされるのですか?」に「もちろん後方の私達はお客様に気付かれないように、そのまま後を走ってますよ。」と笑われる。
 これで暫くワサビ漬けも口に出来ないと思うので、昨日より沢山ドンブリにもってきてパクパク食べていると、テーブルの中心に置かれている大きなポットに目がいった。このポットにはセルフサービスようにお茶が入っている。ところが下方の底に近い箇所が黒いカビだらけ。他のテーブルのポットを見ても同じ。ダイニングの責任者とお話をしたいとお願いすると40歳過ぎの方が「何でしょうか?」といぶかしげに出てきた。
「サービスもお料理も、とても満足しました。」と初めに告げて「お気を悪くされないで欲しいのですが、この黴一ツでもって厨房は清潔なのか?と言う不信感が湧いてしまうのではないでしょうか・・・?」と、おせっかいとは分りながら注意をしてしまった。本音だったかどうかは分らないが「ご意見有難う御座います。今後気をつけます。」と返事をされた。もし私がお店をしていたら、このような意見はあり難く思うだろう。お昼前、新幹線に乗り込み宝塚に向かう。
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      ホテルの事業員が座って客の目線と同じくして応対をする姿に感動を覚える
                 (男性は雄ちゃん)

 新横浜には義兄が迎えに来ていた。お昼に何を食べたいか?と聞かれ「立ち喰いウドンかソバ!」と返事をすると「それでいいの?」と変な顔。歯ごたえのあるウドンとダシのきいたツユに大満足。後で義兄が姉に「300円のウドンで、あんなに感動してくれるなんて安いもんだ。」と話したそうだ。阪神デパートに寄り、明日の韓国への土産にひよこ饅頭を8箱と八橋3箱購入。
 夜は韓国旅行の支度をする。そして朝の4時ごろまでDVDを観る。未だ声は正常に出ない。

   11/16/05

 朝の8:15分に迎えのタクシーが来て伊丹まで行く。そこで見送りの姉と別れリムジンバスで関空まで。乗車料金は1,700円。
KALともなれば乗客は韓国人多くしかも田舎の団体客が沢山乗り込む。もう日本では見られない服装と雰囲気。定刻通りの12:50分発。私が知っている時代の韓国人スティワーデスは未だエリート的なプライドがあったので感じが悪かったが、今は至れり尽せりのサービスと笑顔。
出発前に運転手の金さんが見つかった事は知らされたが、お手伝いのオバちゃんは未だと言う知らせ。一番会いたい人だから機内で、そればかり気にかかる。ものの1時間ほど経つと金海に近づいた機が高度を下げ初め懐かしい釜山が鮮明に見えてくる。聞いてはいたが想像以上の建ち並ぶ高層建築の多さに驚ろかされた。
  荷物を受け取り、迎え客の群衆を見渡すと懐かしいMs.Packと運転手の金さんが笑顔一杯にして手を振っている姿が見える。お互いの目に涙を見ながら抱き合った。そして金さんが、初めに言った言葉が「Mrs. Arata、チャンさんが見つかったよ!僕が見つけたよ。」だった。
「本当に?本当に?」「本当だ。夕方ホテルに来るそうだよ。」と言う。建物の外に出るとMs.Packの運転手、イギサが待っていた。「未だお抱え運転手を使っているの?」と聞くと「私達夫婦とも運転が出来ないのですもの。」と相変わらず流暢な日本語で答える。ホテルへの道中「ホラ、覚えている?ここに川が走っていたでしょう?」などと説明をしてくれるが余りの変わりように呆然とするばかり。ただ変わらないのは街並のゴチャゴチャした雑然さと汚さ。大小の看板だらけで「お店の看板は、ここにあります。」と説明する看板が必要ではないかと言うほどの数。これでは看板の意味は、なしてないと思えるが。
 今回の韓国行きは急に決意した事だし、その上APECの真っ最中だったために希望したホテルが満杯でPusan Tower Hotelしか予約が不可能だった。地の便利さは最高だが何か連れ込み宿的雰囲気。殆どが日本人客でフロントデスクの人達は皆日本語が達者。一泊税込みで$79。一つ助かったのは日本式に近い湯船があった事。古いテレビの横にスプレー缶が置かれているので手に取って見ると「油虫と蚊」の絵が画かれていたのには「韓国らしい・・。」と微笑んでしまった。それでも私は日本人のせいかベッドの部屋だったが、オンドル式の床敷き蒲団の部屋が沢山あった。
 夕方近く娘に連れられたオバちゃんがタクシーから降りて来る姿がロビーで待つ私から見えた。帽子を被り杖をついて、やっと歩いている様子。私は入口ドアを開けて飛びついた。
「オバちゃん、会えたね。会えたね。」と抱きつく私に「奥さん、私、夢を見ているんでっしゃろーか?ほんま、奥さんやね~。情けない、こんな姿を奥さんに見せて。」と悲しげに言う。
積もり積もった話は山ほどあるのに、お互いに何から話していいのやら分らない。彼女は私が一人身でいながら遠い韓国まで自分に会いに来てくれた感謝の言葉を述べて深々と頭を下げる。暫くして娘のご主人も参加してホテルで夕食を頂く。オバちゃんは自分のお盆に乗せられたメルチ(辛小魚)の小皿を「奥さん、これ好物でしたね。」と差し出す。
 昔の運転手の金さんは英語、娘さんとご主人は韓国語そしてオバちゃんと私は日本語と会話が飛び交う。オバちゃんはパーキンソン病のために震える手を、もう一つの手で押さえ私から隠そうとする。糖尿病も患い一生働き尽くめの人生だったためか酷い腰痛のために歩くのも大変そう。昔,姑を助けてくれたから今度は自分にさせて欲しいと娘の夫は夕食の支払をさせてくれない。
 翌日の再会時間を決めて金さんも一緒に娘婿の車に乗った。オバちゃんの冷たい手に私の温かい手袋をはめてあげた。

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   12/6/05

 心配した吹雪がそれて日光が射し始める。
今朝、2ヶ月前に日本へ帰国をしたK先生からメールが入る。帰国に際して個人売買でO先生に車を売り、自分のプレートの返却をO先生に頼まれたそう。未だ返却されていないために自動車保険の解約が終了しておらず、アメリカの保険会社から請求書が送られてきたので助けて欲しいとの依頼。私は保険のお客様も含めて年間数多くの方々のお世話をさせて頂くので、O先生がプレートをどうされたのかは明確に覚えていない。しかし保険代理店にお連れした時は未だ電話番号の取得をされていなかったので「必ず電話番号は代理店に後日知らせてくださいね。」とお願いしてプレートも早急に代理店に郵送するように言った事は思い出した。
急いで代理店に電話をすると係りのCathyも電話番号は未だもらっていないしプレートも返却されていないと言う。
K先生も電話番号を知らない。K先生に現事情をメールで説明をする。即刻K先生からお返事があり、O先生に出されたメールが添付で送られて来た。それに対しての返事をメールしていると電話のベルが鳴る。そして「もし、もし2ヶ月前に保険でお世話になりましたOですが・・・。」と言い出したのには「すみません!あなたは、どこどこのOさんですか?」と話を遮って聞くと「そうです。」と何事かと驚かれる。Oさんの奥様は全く違った件で偶然電話をされて来た。「今あなたたちを探しているのです。電話番号を下さい!」と懇願する口調で言ってしまった。プレート返却の大事さを失念してしまったようで未だ手もとにあるそうだ。でも不思議な出来事だった。

   日が射しているが空気冷たし
by arata-tamiko | 2005-12-07 16:11 | Comments(0)


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