8月17日に
「ご苦労様とお疲れ様」のタイトルでブログを書いたが、その発端はタモリが疑問を投げかけたことから始まった。
ある週刊誌から問われた日本語教育研究者で
山形大学地域教育文化学部准教授の園田博文氏の回答を読んで
「わが意を得たり!」と手紙を出した。
最近の若い世代、特に女性のお笑い芸人が笑いを取る為に使う聞くに堪えない日本語。
それをゲラゲラ笑う出席者。何が可笑しいのか全く理解できない。
美人なら、「まぁー、しょうがないか。顔に免じて許してあげよう。」と思うやもしれないが、顔も不味く口から出る言葉も汚ければ許しがたくなってくる。
情緒溢れる綺麗な日本語が消えつつある鬱憤を書き連ねた手紙だったから、受け取られた園田氏も驚かれたことと思う。
なのに丁寧なメールを下さり、恐縮と反省。
「もともと
”お疲れ様”、”ご苦労様”という挨拶表現には関心を持っていました。新田様のご指摘に、私も同感です。」と書かれており、やっと長年のモヤモヤが取れた。
ご自身も興味があり、調べているが半年はかかりそうで、結果が出次第知らせてくださるとのこと。
律儀な性格が偲ばれる。
最近は
「されますか?」とか
「なさいますか?」の日本語を殆ど聞かなくなり、
NHKの女性アナウンサーでも「やるのですか?」と相手に訊いているのには嘆息してしまう。
私が日本に住んでいた時代は、女性が
「やる」という言葉遣いはせず
「する」と言った。
「やる」は、どうも卑猥感がつきまとう。
そのことについても詳しく説明をされ、平安時代の「遣る」が語源とのことには驚かされた。
蒸し暑い (今日で暦の上では夏は終わり)
イクラを大好きな5歳の男の子がいる。
思いっきり食べられるように沢山持っていってあげると、こんな可愛い手紙が来た。
届けたときに、僕はお風呂にはいっていて会うことが出来なかった残念さを最後に
書いている。