朝鮮遣米使節団と一人の日本人との関係 9/14/13

隣町のPさん宅で、お茶を頂いていると御主人が、「Hさんのご主人のことが新聞に載っていますよ。」と、ボストンで発行されているハングル文字で書かれた韓国の新聞を見せてくれた。

そこには、朝鮮の帽子と衣装に身をつつんだ朝鮮使節団11名の横7センチ縦5センチ足らずの130年前の小さな写真が掲載されていた。
威風堂々とした朝鮮人たちの中にいる背広姿の背丈の低い男性を指差して、御主人が、「この人は日本人ですよ。」と言う。
「この記事の筆者は、Hさんの御主人の論文を参考にしたと書いています。」と言うが、彼女の夫は、韓国人ながら、こちらの大学で化学の教授として教鞭を取っていたはず。
「そうですが、歴史研究家としても有名でしたよ。」には、「本当ですか?」と、驚いた。
80歳のHさんとは、7年のお付き合いで、週に一度は電話を掛け合う仲。
だのに、そのような話は一度も聞いたことがない。

帰宅早々電話をすると、「はい。趣味で朝鮮の遣米使節団などを調べていました。なんでも若い日本の通訳がいたと聞いています。」に「どうして朝鮮使節団に、若い日本人がいるのですか?未だ朝鮮は、日本の植民地になっていないのに。」
「本当に、そう言われればそうですね。どうして日本人通訳がいるのでしょう?主人が生きていれば聞けるのですが、、、。あの人は、家のことは何もしてくれず、雪が降り始める前に、庭の落ち葉をかきあつめるどころか、葉っぱ一枚拾ってくれませんでした。時間があれば、資料集めをしたり、その上に人が好きで、毎週だれかれと夕食に招待をしましてね、、ボストン大学でフルタイムで働いていた私は、腹が立って、主人が何か発見をしても聞く耳を持ちませんでした。」には、笑ってしまう。

ご主人が集めた古い写真の中に、掲載されていた写真もあったし、日本人通訳が写っている他の写真も見たことがあると言う。
使節団の全権大使は、朝鮮王朝最後の王となる高宗国王の甥で、Arthurアメリカ大統領に朝鮮式の床にひれ伏すお辞儀をしている写真は、色づけされていたそう。
「主人が集めたものは、大きなファイルにされていましたから、何とか探してみます。」と、言うことで私達の話は終わった。
そして深夜から、私は、若い通訳と紹介されている「宮岡恒次郎」が、何者で、何のために加わったのか?の謎解きのため、パソコンに向かった。

(今夜テレビで松田聖子を久しぶりで観たが、いや驚いたのなんの。あの額の広さ、只事ではない。皺取りに毎年引っ張り上げているからに違いない。)

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     今年の初夏に美代子さんから分けてもらった茗荷を箱庭に植えたが、日当たりが
     良すぎたせいか、茗荷が出てくる気配がなく諦めていた。
     二週間前にのせた枯葉を、そ~っと覗くと、二つ茗荷を見つけた時の嬉しさ!  
by arata-tamiko | 2013-09-15 13:11 | 諸々の出来事


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