旅の想い出  (2)

 小学校の算数が5だったKちゃんは愛すべき性格の持ち主。
泊まっていた友人宅には、オードリー・ヘップバーンの大きな写真が入った額がいくつか壁にかかっている。
それを見るたびに、この女優に関連した何かが過去の記憶にあるが思い出せなかった。

 日本全国では大分県のみが客に河豚の肝を呈する事を許されているそうで、同級生たちと河豚鍋を楽しむことになった。
Tさん馴染みの小料理屋に同窓生5人が集まり、部屋に入ってきたKちゃんを見たとたん想い出の中に眠っていた記憶がよみがえった。
Kちゃんが先に帰ったので「なぁ~、ヘップバーン刈り事件を覚えている?」と聞くと、皆キョトン?としている。
1953年に封切られた「ローマの休日」の中で、ある国のプリンセス役のヘップバーンが、長い髪をバッサリと切って一女性として自由とロマンスを謳歌する。
その頃は”女性は長い髪”、”男性は短い髪”と言った世間の決まりがあった時代。
見たこともない彼女のショートヘヤーの髪型は斬新で、アッと言う間に世界中に広がった。

 私達が10歳になるやならずのある朝、嬉しそうに教室に入ってきたKちゃんを見て、クラスの皆は驚愕して沈黙が続いた。
明治の侍のザンギリ頭でも、これほど酷くはないだろうと思えるほど彼女の髪は短くジャギジャギに切られていた。
一人の生徒が「どえーしたんな、その頭?」と口を切ったのが切っ掛けで、Kちゃんの周りに輪が出来た。
「うん、これヘップバーン刈りで。」と自慢げに言うKちゃんに、クラスの生徒達がからかいだし、ついに彼女は泣き出し家に帰ってしまった。
伸びるのに、どのくらいかかったのか記憶にないが、暫く彼女の頭は幼い子供が人形の髪をチョキチョキ切ったような無残な形状をしていた。
私が話したことで「そういえば、そんな出来事があったわね~。」と言う同級生もいた。

 二度目も同じメンバが集まり思い出話の最中、Kちゃんの方から「うちのヘップバーン刈り覚えちょる?」と言い出した。
先日の話を聞いている皆はチラチラと顔を見合わせていると「あれ、格好良かったじゃろ?」と相槌を求める。
思い切って私が「Kちゃん、あんとき苛められんかった?」と聞くと「苛められるわけねぇがー。近所の人からも褒められたくらいじゃにー。うちがモデルになってな、町で一番早うにヘップバーン刈りしたんで。」と笑顔。

 彼女の家近くの店が商売変えして奥さんが美容学校に通い美容院を開いたが繁盛はしていなかった。
今になって思えば、その女性が店の宣伝の意味で流行の先端をいく、そのヘヤースタイルをKちゃんで試したのではないだろうか、、、。
しかしあれは小顔で、柔らかいくせっ毛の女性だからこそ映える髪型。
それを何でも短くすれば良いと、大きな顔の硬い直毛のKちゃんにしたものだから目もあてられなくなった次第。

 それを恨むこともせず「あんまり評判がいいんで、あれから何回か、あの小母ちゃんのモデルになってあげたんで。」と言うKちゃんに、後で「全てを良く考えるのね。こんな善良な人は、そうそういないわね~。」と言いあい感入った。
本当に、そう思っているのか、そうでありたいと思っていたのでそうなったのか判らない。

   インディアンサマーで日中は半袖でも平気
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        小学校の象徴である樹齢百年以上の楠木。
        夏の炎天下での校庭の草むしりでは、先生の目を盗んでは、この木陰に涼んだ。
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               私の田舎は蜜柑栽培で有名。              
               昔、みかん事業で財をなした家をみせてもらった。
               古いものの良さを壊さず見事にリフォームされていた。
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               昔の屋根瓦が玄関口の飾りとして置かれている
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          大正時代に造られた格子模様は今でも斬新なデザインとして通用する
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          同じ時代の飾り窓は、増築されたモダンな部屋にはめ込まれていた。
               
by arata-tamiko | 2011-11-10 12:41 | 諸々の出来事


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